1.レイラ・凰花《おうか》・バード
―2135年、アメリカ・ニューヨーク
レイラ・
その鳥の大きさは優にビルの3階はあるように見える。
鎖につながれた鳥の両翼は途中から切断され、その真紅の羽毛は体の至る箇所で削がれている。また、翼の切断部やそぎ取られた肉体からは血液が管を通して採血されていた。そしてその瞳はうつろで、そんな大きな赤い鳥が一言だけ言葉を放った。
「
慌てて起きたレイラの顔は酷く青白く、寝汗でベッドは湿っていた。
朝日に照らされるアップルレッドの色をした長髪は少し乱れていた。
日系人の父を持つレイラの顔は何処となく日本人の面影を感じるが、そうではないと言われればそうだろうと感じる程、目鼻立ちはくっきりともしていた。所謂、美人である。そのレイラの瞳はアップルレッドの髪と同様、まるでそこにルビーがはめ込まれているのではないかと思える程に赤かった。
「大丈夫か?」
うなされていたレイラを心配して、恋人のガイアが横から声をかけた。
ガイアは色白のスキンヘッドで、顔は彫りの深い顔立ち。頬や口周りまで全体的に無精ひげを生やしている。その目鼻立ちはギリシャ彫刻を彷彿とさせ、体格は細身だががっちりしている。身長はレイラより10センチ程高い。
アンドロイド一般公開データでは178センチとなっている。
「大丈夫よ・・・」
そう言いながらレイラは髪をかき上げ、真紅の瞳でガイアに微笑んだ。
いつも側で支えてくれるガイアとは、三年前にレイラが日本からアメリカに帰国した雨の日に出会った。
― 夜の十時過ぎ。
人も少なくなってきたニューヨークの空港より、レイラはタクシーで家まで帰る予定だった。適当に客待ちしているタクシーを拾い、長旅で疲れた体を後部座席に預けながらうたた寝をしていた。
発車からどれ程の時間がかかったのかは定かではないが、目覚めるのは一瞬でとても刺激的だった。
それはドライバーの大きな叫び声と、豪快なブレーキ音、そして急ブレーキをかけたことによって生じた重力。
ハッと目覚めた次の瞬間には視界はかき乱され、何の抵抗も出来ないまま事故に遭ったその車と共にレイラの体は打ちのめされていた。次に目を開けた瞬間には薄っすらと目に映るぐったりと脱力したドライバーの姿、フロントガラスは割れていて、ドライバーから流血した血液が生々しく滴っている。
自分の乗ったタクシーが事故に遭った事実に気がつくことに時間はかからなかったが、体を動かすことはできなかった。
割れたフロントガラスからは増々激しさを増した雨が車内を打ち付けている。
事故からどれ程の時間が経過したのかは定かではないが、体に寒さを覚えたタイミングで通りすがりのスポーツカーが事故に気付いてその場に停車した。
車から出てきた男、それがガイアだった。
黒いジャケットスーツのガイアは雨に打たれながらタクシーに駆け寄り、生命確認を行った。
タクシードライバーに息は無く、ガイアの眼内には“救出不可能”の文字が表示された。
ガイアはタクシードライバーを諦め、脈があるレイラをタクシーから拾い上げると自分の車へすぐに乗せ、その場を後にした。レイラは薄れ行く意識の中で優しいまなざしのその青い瞳をした男の名を訪ねた。
「あなたは誰?」
男は答えず、首から下げた小さなプレートをレイラに見せた。
そこには“GA-1A ”(Future System Innovation Company)と書かれていた。
レイラが次に目覚めた場所は病院のベッドの上だった。大袈裟な程に包帯が巻かれているその体を起こそうとした瞬間、激痛が全体に迸った。
「痛っ」
「まだ起きない方がいい」
そう言いながらガイアは病室の花瓶に赤い花々を挿していた。
「あなた、ガイア?」
「ガイアは女の神様では?」その男はあきれた様子でため息交じりにそう言った。
「でも名札にはガイアって書いてなかったかな?」
「俺はGAー1A《ジーエーワンエー》。・・・アンドロイドだ」
「ジーエー・ワンエー?なんか暖かみが無い名前ね。アンドロイドだろうと貴方は私
を助けてくれた優しいアンドロイドであることは事実でしょ」
「俺はアンドロイドだ。優しいなどの感情、そう、心なんて無い」
「そうなの?でもありがとう、ガイア。私はレイラ・凰花・バードよ。宜しくね」そういってレイラは微笑んだ。
「だから俺の名は・・・。まあいい。ガイアで」男は再び呼び名を訂正しようとしたが、レイラのその無垢な笑顔を見た途端、話を聞かないタイプだと判断し、ガイアと呼ばれることを容認した。
「そう言えば、タクシードライバーはどうなったの?」
「死んだ。俺が来た時にはもう手遅れの状態だった。居眠り運転だったそうだ。一応、救急車や警察へは連絡しておいたが、俺に出来ることは生きる可能性のある君を病院へ運ぶことくらいだった」
「そうだったのね・・・気の毒だったわ。タイミングを見てお墓参りに行ってくるわ」
「・・・ああ」
二人の間に少しの沈黙が生まれた。そしてその気まずい雰囲気を変えようとしたのかレイラが口火を切った。
「ねえ、ガイア。アンドロイドは食事しないのでしょ?」
「ん?・・・当然だ」
「では助けてもらったお礼にお食事でもとはいかないわね」
「礼なんていらない」
「ううん。それでは私の気が済まないわ。ねえ、あなた、何が好きなの?」
「・・・そんなものはない」
「じゃあ、私が事故に遭った日、あなたは何をしていたの?」
「仕事だ」
「何の仕事?」
「・・・黙秘する」
「秘密主義なのね」
「秘密主義だ」
「じゃあ、もう聞かないわ。あなた、お休みはあるの?」
「・・・ああ」
「じゃあ、お休みの日にあなたが欲しいものを私が買うわ。それは、限度ってものはあるけれど、可能な限り奮発するから。ねっ?」
「はー・・・やはり話を聞かないタイプのようだな」
ガイアはため息交じりにそう言った。
「そうなの」
レイラは微笑みながら言葉を返した。
「ふー・・・了解した」
ガイアは再び溜息交じりにそう返事をした。
一週間後、退院したレイラはあちこちまだ痛むものの、仕事に復帰し、忙しい日々を過ごしていた。レイラがパソコン操作をしていると、一通のメールが送られてきた。
『その後、体調は良くなったか?』
GA-1A、ガイアからのメールだった。
『こんにちはガイア。ありがとう。もう大丈夫よ。まだ少し痛む個所はあるけれど、回復力は人一倍なのよ』
『良かった』
『ありがとう。早速だけれど、お礼をしたいから、お休みの日、教えてくれる?』
『週末はあいている』
『わかった。じゃあ、明日迎えに行くわ』
『OK』
翌日、レイラは自身の髪の色と同じアップルレッドの色をしたスポーツタイプのオープンカーに乗り、ガイアが住むというマンハッタンのマンションへ向かった。到着すると、ガイアはレイラが到着する前からマンションのエントランス前にいた様子で、レイラが気づくよう片手をあげた。しかしその表情は硬く面倒くさそうにしている様にも見える。
「おはよう、ガイア、調子はどう?」
「おはよう、レイラ。問題ない。君はどうだ?」
「まあまあ、ありがとう。ねえ、ガイア、あなたに“調子はどう?”なんて聞く意味はあるのかしら?」
「何とも言えないが、その日によってコンディションが変わることはある。大体が自己修復機能で何とかしているので、問題ない」
そう言いながらガイアは車の助手席に乗り込んだ。
「そうなのね。せっかくのお休みなのにごめんね」
「本当に悪いと思っているのならば、俺を連れ出すことはないはずだ」
「あっ、そういうこと言って」レイラはそう言い少し微笑むと、車を走らせた。
「人間なのに自動運転にしないのか?何処に行く?」
「え?車は自分で運転するものでしょう?だって日本では自動車って言うのよ?自分で動かす車。あれ?自動で動く車?まあ、いいや。私は運転が好きなの。それより、今日はあなたのプレゼント買いに行くのよ。食事以外でしょ。何が好きなの?あなたに感情が無いと、私には思えないのよね」
「日本語か。確かにデータの中にCar《カー》は自動車となっている。運転は危なくなったら俺が修正しよう。それより俺は人ではない。だから感情なんてものはあり得ない。好きなものもない」
「そうなのかな・・・。でも、あれが欲しい、これが欲しいとか思わない?」
「・・・欲しいとは思わないが・・・。そうだな・・・、あると便利だと思うものはある」
「例えば?」
「自身の性能のアップデートだ。例えば、俺は防水ではあるが、泳ぐことは出来ない。飛行機の操縦は出来るが、空を自ら飛ぶことは出来ない。しかし、アップデートすればそれが可能になる」
「そうなのね!凄い!自分の性能の向上を求めるってことは、あなたはポジティブなのね!」
「・・・ははは!レイラ!君はどうしても俺に感情があることにしたいようだ!」
「あはは!ガイア、笑った!やっぱ感情あるのよ!」
「ははっ、駄目だ!もうギブアップだ!やはりレイラは人の話を聞かない!わかった。俺はアンドロイドの失敗作でガイアだ!そして感情を持ってしまった駄作。それで納得か⁉」
「うん」
そう言ってレイラは歯を見せ笑った。
レイラはこの日、ガイアに水泳機能のアップデートをプレゼントした。この日からガイアは泳ぐことが出来るようになった。
― 半年後
レイラはガイアと同棲していた。
世間一般ではアンドロイドを恋人に選ぶ人間は何かしらの秘密を抱えていることが多かった。そしてそれはレイラにも言えることだった。
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