第7章:『犬』蹴るために必要なこと=『読』



 意識を取り戻した悠璃としばし笑いあって泣きあいようやく気分を落ち着けた莉結は悠璃に声をかける。


「悠璃、立てる?」


「なんとか……って莉結!? ひどいケガじゃない! どうしたの!?」


 悠璃は血みどろの莉結に今さら気がついたらしく、顔面蒼白で肩を揺さぶっている。


「悠璃にやられたんやけどなこれ……。まあ気にせんといてよ。もう血は止まっとるし、傷もあとで治せるし」


「治るしって……それでいいの?」


「いいんよ。せやから、さっさと帰ろ?」


 莉結が笑いかけると、悠璃はキュッと唇を噛み締めてうつむいた。


「悠璃?」


「莉結……言わなきゃいけない事があるの。聞いて」


「ん、聞く」


「わたし達はもう、終わりなの」


 俯いたまま喋り出す悠璃に、莉結は頷いた。


「わたしが〈神〉の権能を失った時点で、メインシステムは機能を保てなくなってる。そうしたらゲームが、この世界そのものが崩壊するの。……ごめんね、ずっと黙ってて」


「ほーん。それで?」


 腕組みをしてふんふんと頷きながら聞いていた莉結だが、悠璃は莉結の態度に納得がいかなかったらしく顔を上げ、涙を湛えた瞳で見つめてきた。


「それで、って……! もう終わりなんだよ!? 崩壊はもう始まってて……死んじゃうんだよ……?」


 莉結は微笑み、悠璃の唇に人差し指を添えた。

 そうして緩やかに首を振る。


「知ってる。ぜんぶ知ってるんよ、悠璃」


「じゃあ、なんで……」


「まあ見とってや。今からすごいの見せたる」


 そう言って後ろを振り向くと、崩壊しつつある世界が莉結の視界に飛びこんでくる。

 0と1の逆瀧は途切れ途切れに飛沫を上げており、小惑星帯は次々と地面に落下していく。

 サイケデリックな雲はいつの間にか散り散りになり、代わりに雲で見えなかった大地の端が音を立てて崩れ始めていた。

 世界が目の前で崩れていく様を見せつけられるのは誰であっても耐え難いことのはずだが、莉結は依然として笑ったまま言葉を紡ぎ出す。


「創世神話によると、神は七日で世界を作った――それに準えて、ウチは全七章でこの世界を作った」


 莉結の言葉と共に莉結が決めてきた各章のタイトルが浮かび上がる。


 第1章:『酔』いしれ占う仲良いあの『娘』

 第2章:人生呪った決意の言葉

 第3章:現実見てもいいことないなら

 第4章:んなことあるかいな

 第5章:正攻法なんてやる意味あんの

 第6章:かくなるうえは、かかってきな

 第7章:『犬』蹴るために必要なこと=『読』


「んで、対角を【語呂合わせ】によって合わせる」


 そう言って、【犬】=【神】=【娘】と【酔】=【読】で結ぶ。


「これにより四角ができて、世界を囲う枠組みができる。そんで、一旦全部ひらがなに開く」


 莉結が手を振るうと、タイトルは全てひらがなに変化する。


『よいしれうらなうなかよいあのこ

 じんせいのろったけついのことば

 げんじつみてもいいことないなら

 んなことあるかいな

 せいこうほうなんてやるいみあんの

 かくなるうえは、かかってきな

 いぬけるためにひつようなこと=よ』


 ここまで行なったあと、莉結は悠璃の方へを向き直った。


「はい! ここまででなにかわかった?」


「なんにもわからないけど……」


 困惑したように首を振る悠璃に、莉結はしてやったりとドヤ顔を決める。


「ふっふー、よく見とってや。


「……るーぷする?」


「わかりやすいように切り取ってくか。ほいっ!」


 莉結が手刀を入れる。

 すると、タイトルのが切り取られていく。


 浮かび上がるのは以下の四文。


 ”よじげんせかい”。


 ”ぬけるためにひつようなこと=”


 ”よなのならば”


 ”よいしれうらなうなかよいあのこ”


「……どこがループなの?」


「まあまあ、こっからやって」


 莉結が指を振る。そうすると、一文目の”よじげんせかい”が”四次元世界”へと変わる。


 もう一度指を振ると、二文目の”ぬけるためにひつようなこと=”は”抜けるために必要なこと=”となる。


「ここでもっかい【語呂合わせ】をする」


 そう言って、【】=【】へと変化させる。


 そうして出来上がるのは”死なのならば”という三文目。


「最後は……【さかしまごと】!」


 莉結が両腕を広げると、四文目がひっくり返っていく。


 よいしれうらなうなかよいあのこ

 ↓↑

 このあいよかなうならうれしいよ


 転じて生まれる文は――――この愛よ叶うなら嬉しいよ。


 改めて出来上がった四つの文を並べる。


『四次元世界

 抜けるために必要なこと=

 死なのならば

 この愛よ、叶うなら嬉しいよ』


 それは、自分と世界の運命を理解した一人の少女が世界を犠牲にしてでも伝えたかったもの。


 永遠はないと知りながらそれでも安寧の未来を願い、世界そのものを象って作り出したラブレターだった。


「うっそぉ……」


 口元を押さえて唖然とする悠璃に、莉結は満面の笑みで語りかける。


「どや? どや? すごいやろー? ほめてほめてー!」


「すごい! けど重い! 激オモだよ! わたしじゃなかったら一発アウトだよ!」


「なんでや!?」


「普通の人はわざわざ思い伝えるためにこんなことしないよ! ラブレターに死なんて文字も入れないし! わたしだったからドン引きですんでるけどさ。本当に気をつけなね」


「う、うん。でもドン引きしとるんやな……」


 めちゃくちゃ考えたのに、としょげる莉結だったが、突然悠璃に後ろから抱きすくめられた。


「えっ、なになに。ドン引きしたんじゃないん?」


「確かにドン引きしたけど……でも、ありがと」


「……ん」


 胸元にかけられた悠璃の手に自分の手をかけて、互いの温度差を感じながら莉結は世界の崩壊をぼうっと眺めた。

 なんならこのままここで世界の終わりを迎えるのもいいかも、なんて思い、やっぱりないなと思い直す。

 そして莉結はその場でくるりと向き直り、二度目の悠璃の唇を奪った。


「……帰ろっか」


「……だね」

 

 どちらともなく、そう言った。





 帰り道は莉結が自らのラブレターを用いて作った。

 ループするという性質上、二人がいつも使っている真っ白なリビングに繋がった。


「その【想像=創造イマジン・クリエイション】っていうの、ホントにすごいね」


 空間に出来上がった穴から奥に見えるリビングを眺めて、悠璃がいたく感心する。


「ホントにな。世界の崩壊もこれで止められたらいいんやけどな」


「そのものが壊れちゃうとねえ」


「せやねえ」


 二人で苦笑する。


 良い吹っ切れ方だな、と莉結は笑いながら思った。


 これなら――――二人でならきっと、世界の終わりも笑顔で迎えられるだろう。


「まーぐだぐだ言ってもしゃあなし! さっさと帰ろ!」


「帰ろー! ということで、はい」


 悠璃がにっこりと笑い、手を差し出してくる。


「うん? ああ、はい」


 なにを言うともなく、莉結は差し出された手を握りかえす。


 そうして二人は手を繋いだまま真っ暗なトンネルのような道を歩き、見慣れたリビングに辿り着いた。

 天井付近に取り付けられた窓から見える空は、真っ青であった。


「やっと着いたー! 疲れたー!」


 莉結は定位置であるふかふかな白いソファに飛び込んだ。

 ぼすんと音を立てて身体が沈み込む。


「なにもしてないけど疲れた〜」


 悠璃は白いカーペットの上に寝転がった。

 やっぱり犬みたいだ、とそれを見た莉結は思った。


 沈黙が訪れ、二人はしばし壁にかけられた時計の刻む音に聞き入る。


「…………」


「…………」


「なかなか終わらないね、世界」


「せやな。こんな焦らさなくてもいいやんな」


 なにか策を弄せるわけでもなく、そして弄する気もない二人はただ世界が終わるのを待つのみ。


 特にやることも思いつかない莉結はゲーム機を取り出して適当にいじりながら、世界最後の日になにをするかというアンケートにどんな回答をしたか思い出そうとしていると、


「ねえ、莉結。すっごいくだらない質問してもいい?」


「ええよ」

 

「なんで助けてくれたの?」


「え? なんでってなんで?」


 予想外の質問に悠璃の方を見ると、吸い込まれそうなほど黒い瞳がこちらを見つめていた。

 瞳の中には後ろめたい困惑の色が浮かんでいる。

 それは、罪悪感と呼ばれるものだ。


「だって、わたしを助けたら世界が終わっちゃうこと知ってたんでしょ?」


「うん。知ってた」


「だったら、わたしを助けずにずっとそのままにしててもよかったんじゃないの? 自分で言うのもなんだけど、わたしを助けなれば世界は終わらないんだよ?」


「あー、そんなん考えたこともなかったわ。てか悠璃考え暗いな」


「うるさいなー! いいから答えてよ!」


「うーん、そんなん言われても……あ」


 一つ思いついたとばかりに、莉結は空中に文字を書いていく。


 そうして浮かび上がったのは、


「【莉結】と【悠璃】は【友】の【百合】……?」


「そ。それが【理由】。まあ要するに友達助けんのに理由なんかいらへんよってこと。悠璃だって、逆の立場ならウチと同じことしたやろ?」


「うん。絶対したね」


「そんなもんよ」


「そんなもんかあ」


 他愛ない会話をしていると、ついに地鳴りのような音が聞こえ始めた。


「そろそろみたいだね」


「やっとやなあ」


「この世界が終わったらどうなるんだろうね」


「そんなんもっぺん始めからやり直しやろ」


「え、そうなの?」


「うん。タイトルループするし、っていうかさせとるし。ウチはそういう解釈なんやけど違った?」


「そもそも考えたことなかったや……」


「はは。まあ、いつか終わるでしょ」


「いつかっていつ?」


「さあ? いつかやない?」


「いつかかあ」


「いつかやねえ」

 

 そうして話す間にも、地鳴りは大きくなっていく。


 ふいに天井が割れ、まだ朝だというのに暗闇に差し込んだ時のような、極めて眩しい一条の光が差し込んできた。


 ついに崩壊が始まったのだ。


 莉結は崩れ薄れ潰れゆく視界と意識の中、次こそはこのゲームを終わらせられますように、と切に願った。


 

 

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