第6章:かくなるうえは、かかってきな
「し、死ぬかと思ったぁ……」
初の戦闘を終えた莉結は床に寝転び、大の字になった。
目立った外傷は左ふくらはぎのみだが、気持ち的には満身創痍だった。
精神的な疲労が大きすぎて、〈神犬〉の残滓や剣のなごりが賑やかなチンダル現象のようにキラキラと煌めいているのを眺めるしかできない。
再び静寂の訪れた寝室で莉結がただ無為に呼吸を続けていると、小気味良いファンファーレと共に無機質なアナウンス音声が鳴り響いた。
「んお?」
『レベルアップ。新たな言葉遊びが解禁されました。どれにしますか?』
視界左下のステータスが変化し、それと共にいくつかの言葉遊びが視界中央に表示された。
表示されているのは【段駄羅】、【倒語】、【語呂合わせ】、【アナグラム】の四つ。
「【
思わぬ報酬に莉結は驚きながらも喜び、どないしよかなーと唸りながら吟味する。
十秒ほどうんうん唸り続け、ふいに口の端をニヤリと歪めた。
選んだのは【倒語】と【語呂合わせ】の二つ。
「これがあれば悠璃の元へいける!」
新しくセットされた二つの言葉遊びを見て、莉結は確信をもって笑う。
『チュートリアルプログラムが終了しました。規定シナリオに則り、〈当該ユーザー:R65535〉は第二章のステージへ向かってください。繰り返します――』
レベルアップの処理を確認したアナウンスが莉結へ移動を促してくるが、莉結は平然と逆らう。
「つれんこと言わんといてーや。もう終盤だっつーの!」
そうして発動するのは【倒語】。
「【
【押韻意義語】のような鮮花じみた光と違い、光を帯びた文字そのものが空間に浮かび上がる。
白い部屋に極彩色をぶちまけ続けた、芸術家のような所業から一転、まるでオーケストラの指揮者のごとく両腕を振るう。
すると【倒語】の言葉通り、文字がひっくり返った。
そうして現れるのは、逆さ読みの文。
「――【
それと同時に詠唱を開始する。
「ならば【
再度手を振るう。
ヴンと鈍い音が鳴ったかと思えば、とっくのとうに消え去ったはずである――悠璃が消えた時の――空間の揺らぎが現れた。
続いて【語呂合わせ】を発動する。
「【阪島】と【呉島】を繋ぎ表す言葉により【阪島】と【呉島】を繋ぐ道を紡ぐ」
宙空に浮かぶ【
それを見た莉結は悠々と笑い、歩き出す。
「さぁ、ラストステージ行ったろか!」
莉結が【倒語】と【語呂合わせ】の二つを選んだ理由。
それは【倒語】の別名に由来する。
【倒語】……ある単語や文章を逆から読んだ際、別の意味を持つ単語や文章が現れる言葉遊び。逆さ読み。またの名を――――【さかしまごと】という。
「なんじゃこりゃ……」
空間の揺らぎを通りぬけた先、無重力状態で空中に放り出された莉結が目にしたのは、摩訶不思議な景色だった。
前を見てみれば、グラデーションがかったサイケデリックな雲が地平線を満たしているのが目に入る。
上を見上げれば、0と1の逆瀧が果てのない空へ向かって何本も落ちていく。
下を見下ろせば、大小様々な幾何学的形状の物体が小惑星帯よろしく無数に漂い、更にその下に、無数のプログラムが書き記された大地があった。
そして、地平線の雲以外その全てが淡いエメラルドグリーンで統一されていた。
「ここがシステムの管理する場所……世界の裏側ってことか」
不可思議な感覚に、この場所は時空間の概念すらも書き換えられる完全な四次元空間であると本能で理解する。
まさに異界。この空間こそ、無限の0と1が支配するプログラムの力場だった。
「思ってたよりずっと綺麗やけど、ずっとここにいたら気ぃ狂いそうやな……」
最悪の場合、ただのデータに変換され文字列として悠璃のデータを探すことを覚悟していた莉結はひとまず安堵した。
けれど、ずっとこの世界にいる理由もない。
「よしゃ! さっさと悠璃見つけて帰ろ!」
両の頬を叩き、気合いを入れなおしたところで、身体がガクンと重くなる。
「うん?」
髪を舞い上げる風を感じて真下を見てみれば、緑色の地面がどんどんと近づいている。突然の重力によって地面へ吸い寄せられていると理解するのに時間はかからなかった。
「うおおおおおおお!?」
運よく結晶帯を通り抜け、そのまま真っ直ぐに落ちていく。
このままではあと数秒で地面へと激突する。
「やばいやばいやばいやばい――【落下】は【待った】!」
すんでのところで止まり、地面との衝突を回避。
「あっぶなっ! いきなりゲームオーバーなるところやったわ……。とりあえず――【
ゆっくりと降下していき、しっかりと地面に足がついたことを確認して莉結は前を見すえた。
「粋なお出迎えどーもな、悠璃」
莉結の視線の先には、オレンジ色の球体に包まれた悠璃が浮遊した状態で佇んでいた。
虚ろな瞳の奥に絶えず文字が流れているのが見えて、決して届かないであろうと悟りながらも、莉結はごく普通に――元から待ち合わせをしていたかのように声をかける。
「ごめんなー遅れてもうて。待った?」
『規定外の存在を検知したためプロトコルにより排除行動を開始します』
「聞こえてへん、か。まあそやろな」
当然のごとく言葉は届かず、悠璃は淡々と〈神〉としての役割を全うしようとする。
『――阻止コマンド:ファイアウォール起動』
そうして現れたのは、炎の壁だった。
それは悠璃を中心として放射状に広がっていく。
人の身からすれば炎の波となんら変わりないそれに、莉結は眉根を寄せる。
「ファイアウォールやなくてウォール・オブ・ファイアやんけ。まあ別にいいけど――【心頭滅却すればまた火も涼し】」
耐火性を得て火の中でも活動可能となった莉結は、炎の海の中で悠璃を見つめる。
『――防御コマンド:プロテクトコード起動』
対する悠璃は十二枚の蒼白膜を展開。
翠玉の大地を嘗め尽くす赫のなかでも燦然と輝くそれは、まるで幾重にも広がる天使の翼のようで。
綺麗だと思うのと同時、笑っている自分に気づいた莉結はその笑みを深めた。
「そんじゃまあ……ラストバトルやりますか!」
燎原の只中で【
そうして右手を天に掲げて「かかってこんかい」と不敵に挑発し、【a・i】で文章を紡ぎ出した。
「【神はいかに私が貴方に逢いたいか知らない。在りし日から愛知り、気が気じゃないから貴方に逢いに。さあ相対したまま快哉しマジガチな戦い今から開始】――」
今までで一番の速度で積み上げられていく言の葉に呼応するようにして、莉結の頭上では超弩級の花が開いていく。
『――迎撃コマンド:ウイルスバスター起動』
悠璃が言葉を呟くと、オレンジ色の球体が一際強く光る。
すると球体の表面はうねる触手のように形を変え、いくつもの槍となり、莉結を貫かんと稲妻のごとき速度で向かっていく。
「――【
対し莉結は積み重ねた韻により、頭上の小惑星を誘引して20を超える星屑を落とし――――
空間をまるごと揺らす衝撃が通り抜けていき、刹那の遅れで爆音が鳴り響く。
ファイアウォールは消し飛び、エメラルドの大地は抉られ、粉々になった破片が粉塵となって辺りに舞い散る。
粉と化したエメラルドによる視界不良で悠璃の様子を伺い知ることはできないが、莉結は戦闘態勢を保ち続ける。
果たして粉塵が晴れてきた先、流星群によって作られたクレーターの中心にいる悠璃は健在であった。
「あれでダメなんか……って、お?」
けれど、先んじて展開していた蒼白膜は今にも砕け散りそうな一枚を残して、ほかは痕跡が残るばかり。
『――再生コマンド:リバースフォール起動』
悠璃の言葉に呼応し、時が巻き戻るようにして膜が再生していく。
「あとちょっとぉっ!」
膜が再生しきる前の今が最初で最後の攻め時と判断した莉結はクレーターめがけて走り出す。
「【貴方が神なら私はサタン。神死にさらし、大地に死満ちん】――【
莉結が右手を払うと黒い光が手裏剣のごとく飛んでいき、蒼白膜をドス黒く染めて溶かしていく。
悠璃を包むものはオレンジ色の球体のみとなった。
「今度こそっ……ラストぉ!」
球体から繰り出される幾つもの槍が体を掠めていくのも気に留めず、莉結は血を散らしながら詠唱する。
「【だいたい会話しわりあいカシマシ
莉結が一歩、また一歩と踏み出すたび、後ろには虹の道ができていく。
一言、また一言と発するたび、莉結から放たれる光が波状的に世界を覆っていく。
「【しからば
そうして悠璃の目の前まで到達した莉結は右足を振りかぶり、
「【心配なんやからちゃっちゃか頭覚ましぃやぁ】!」
渾身の力で球体を蹴り割った。
「出たぁぁぁぁ! ……ってどこ行くねーん!」
甲高い音を立てて割れた球体の中から、卵の黄身のごとく飛び出してきた悠璃を追いかけていき、なんとかキャッチ。
悠璃をお姫様抱っこの形で懐に迎え入れた莉結は次いで閉じた左手を開く。
「【神堕落したらちったぁ楽になる】……から、これや」
取り出したのは、昨日悠璃から没収したばかりのリンゴジュースの瓶だった。
「
歯でこじ開けた蓋をペッと吐きだし、瓶をあおり中身を口に含む。
こんな形でファーストキスしたくなかったと思いつつ、けれど少しもためらうことなく莉結は悠璃に口づけする。
「んっ…………ぷはっ、はぁっ」
莉結は静かに悠璃が目覚めるのを待った。
そして、
「莉結、」
「ん、おはよ悠璃。よう寝れた?」
「……うん。寝れたよ」
「そか。なら良かった」
「えへへ」
「……良かった。ほんとうに」
そして、莉結は悠璃を取り戻した。
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