第2章:人生呪った決意の言葉
就寝直前、莉結は寝室のダブルベッドの中でゲーム機の画面とにらめっこしていた。
やがて大きく息をはくと画面から目を離し、投げやりに寝返りを打った。
「わっからーん……」
「りーゆっ。なに読んでるの?」
ちょうど風呂から上がって寝室に移動してきた悠璃が、莉結めがけてタオルごとダイブしてくる。悠璃の加重でベッドがたわむ。
体が揺れるのにまかせるまま隣を見てみると、にこにこ笑う悠璃と目が合った。
彼女の腰あたりに、ちぎれんばかりに振られる尻尾が見えるのは気のせいだろうか。
そんなことを思いながら莉結は寝転がったまま言葉を返す。
「でかい犬がきよった」
「えへ、わーんわん♪」
可愛らしく首をかしげる少女の髪が跳ねて、莉結の鼻先をくすぐる。
ふわり、金木犀に似たシャンプーの香りがして――――はたと気づいた。
「って悠璃! まだ髪ぜんぜん乾いてへんやん!」
莉結が鼻先に残った湿り気をパジャマの袖で拭いながら指摘すると、悠璃は何の気なしにえへらと笑った。
「莉結に乾かしてもらおうと思って」
「もーっ! ちょいこっち来て!」
このままではせっかくの綺麗な髪が傷んでしまう。
莉結は握った左手を開き、揺らいだ空間からドライヤーを取り出す。
そして電源にコンセントをつなぐ。
ベッドの縁に悠璃を腰かけさせ、バスタオルとドライヤーで髪を乾かしていく。
悠璃は極楽のため息をつきながら、おもむろにゲーム機へと手を伸ばした。
そうして画面が表示されっぱなしのゲーム機を弄びながら莉結に訊ねる。
「さっき読んでたのはこれ?」
「そう。そのゲームの世界観と特質についての説明。何べん読んでも意味わからへんけどね。それの作者、ぜったい性悪やで」
「ふーん?」
何べん読んでもわからない『ゲームの世界観と特質』とやらの説明に興味が湧いたのか、悠璃は画面を覗き込んだ。
『始:この世界は〈言葉〉によって全てを創造することができる。
量子力学のコペンハーゲン解釈によれば波束は観測によって収縮される。
ひるがえって誰にも観測されない事象は存在していないのと同じと見なすことができる。
それを一個人に当てはめた場合、その個人の観測できる部分が世界の全てである。
つまり観測できない客観などというものはこの世に存在せず、個々人の数だけ個々人の世界が存在するということである。
同時に、個人の世界を観測できるのはその個人のみであり、他者との共有はされず、真の相互理解は存在しえない』
『中:けれど、それぞれの世界は相互作用しあう。
それぞれの世界を相互作用させることのできる手段を人間は持ち合わせている。
見かけ上の相手=意識心理学でいうところの表層心理に対し、作用し作用されることができる唯一にして全ての手段であるそれは――――〈言葉〉である。
そもそもコペンハーゲン解釈では〈観測〉という言葉に明確な定義付けがされていない。
しかしこの世の最小単位である粒子を〈言葉〉に置き換えれば、〈観測〉=〈言葉の読み取り、聞き取り〉に変換することができ、そうすることによって全ての粒子を言葉で記述することが可能である、ということになる。
つまり〈言葉〉によって世界を創ることができるようになるということである。
相互作用とはすなわち粒子の交換であるから〈言葉〉を交換し合う者の中に粒子を生み、事象を観測したという事実の共有になる。
〈言葉〉を聞いたり、読んだりする場合も同様の結果がもたらされる』
『終:ひるがえって、全てを〈言葉〉で記述できるこの世界では観測者がいる限り、〈言葉〉の発話、または記述によって全てを創造することができる。
また〈言葉〉で創造した〈文脈〉をもって〈言葉〉そのものを相互作用させ、〈言葉〉を強化し増幅させるなどの応用方法も考えられる。
そしてそれは、個々人によって世界に示されるべきものである』
「………………」
「どう? わからん?」
画面に視線を落としたまま微動だにしない幼なじみに、莉結は意地の悪い笑みをもって問いかける。
けれど、返ってきた言葉は予想と反していて、
「ううん、だいたいわかったよ」
「えうっそ!?」
「ほんとー。まあ、かいつまんで要約すると、このゲームをクリアするためには誰かが観測し続ける必要があって、観測されないとクリアできないどころかゲームオーバーになる。けど観測さえされてるなら、言葉遊びでだいたい何でもできる。っていう感じ」
「……要約されてもようわからんのやけど」
「まー要するに、莉結はなんでもできるってこと!」
「うわっ! ちょっと悠璃、なにするん!」
「もう寝よー。寝て明日に備えよー」
髪を乾かし終えたと同時に、悠璃がこちらへ振り向き飛びついてきた。悠璃より小柄な莉結は勢いに負け、なされるがままになる。
具体的には、悠璃に抱きつかれたまま下敷きにされている。
「重いねんけど……」
「いーじゃん今日くらい。仲良く並んで寝よ?」
「うえぇ〜……この部屋あほみたいに広いんやから、もっとそっち行ってよ」
「イヤでーす♪ はい電気消すよー」
悠璃が握った右手を開くと、部屋の照明が落とされて真っ暗になる。
どうやら本当にこのまま眠るつもりらしい。
いい匂いのするでかい抱き枕と思えばいいか、とポジティブに捉えた莉結が目を閉じようとしたとき、悠璃が声をかけてきた。
「ねえ莉結」
「なに悠璃」
「もし……もしさ。神様になれるとしたらどうする? もしくはわたしが神様になったとしたら」
「なにそれ? なんかの診断?」
「なんでもいいよ。とりあえず答えて。莉結はどうする?」
「うーん……神様にはなりたないかなあ。めんどくさそうやし。悠璃と一緒にだらだらしながらゲーム作れればそれでええよ」
唐突な問いに若干困惑した莉結だが、逡巡したのち答えを返して、今度こそ目を閉じた。
「……そっか」
真っ暗闇に、悠璃の声だけが聞こえる。
「じゃあ、莉結はちょっとだけ頑張らないとだね」
「せやねえ」
明日こそはクリアしてやろう、と思いながら莉結はまもなくまどろみに落ちていった。
『――――――――。――――――――。――――――――』
音が聞こえる。
ひどく無機質な。
それでいてどこか心地良い。
ただ、普通の音じゃない。
覚醒していくにつれてだんだんと鮮明になっていくそれが、言葉であると認識した瞬間。
「っ!?」
莉結は致命的な異変を予感し、跳ね起きた。
そうして、目の前の光景に息を飲む。
「…………は?」
部屋の真ん中で、発光する悠璃が浮いていた。
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