第36話 お約束はほどほどに

 正月気分はそこそこに、日々は着々と過ぎていく。

 元より日付感覚が薄い生活を過ごしていたから、元日を過ぎてからは正月らしい生活をするでもなく、平穏な日常に身を投じるだけだった。


 平穏だか、安穏としてはいられない。

 三人を一流のメードさんに一歩でも近づけてやらなきゃいけない。できれば喫茶店が開店の日を迎えるまでに。


 店になる建物は、年始の工事休業中ならば触れない事を条件に中へ入らせてもらうことができたので、間取りや内装の様子が肉眼で確認できた。

 今から変更できる部分は少ないだろうけど、可能であればお願いしますと、要望をメモして渡した。

 どうせやるなら、なるべく理想に近い形でスタートを切りたい。


「うん、こっちでは階級が下の子になら触るくらい許されるだろうって思い上がったオジサマが発生しやすそうだから、お触り禁止は書いておくべきだね」


 聖薇ちゃんと一緒に利用案内と注意事項を作っている中で、この世界はセクハラの概念が無いのかと聞いてみたら、たっぷりとジト目による洗礼を受けた後に見解をもらえた。

 どうやら、あちらの世界に比べて明確な階級社会の様相を呈しているため、身分が低い相手と見たら粗相は許されると判断されやすいようだ。

 店のコンセプトからして、店員たちは御奉仕する従者を模しているし、御主人様と呼ばれたら勘違いするのかもしれない。それに、もしかしたら彼女たちが孤児院の子だと気付いてマウントを取れると思われてしまうかもしれない。

 不安が募る状況だった。


「三人の身を案じてくれているのかな?」

「もちろん。従業員に心地よく働いてもらうのが運営の大前提だからね。不快な思いをしてしまう要因はなるべく排除したいんだ」

「あー、おにぃって昔よりももっと頭が固くなっちゃったみたいね。経営者視点に重きを置きすぎてるように感じるよ」


 聖薇ちゃんの指摘には、自身の間違いは見出だせない。これから経営者として従業員を預かる身になるのだから、経営者視点に重きをおいて何が悪いのか。


「そこはほら、俺の女に手を出すな、出したら出禁だかんな! くらいの大見得を張ってもらった方が、三人とも喜ぶと思うよ。今のところ男性はおにぃだけだから、実力行使もありえるぞって姿を見せる役はおにぃにやってほしいし」

「僕よりも聖薇ちゃんの方が強いの、見れば誰でもわかると思うけど」

「はい今ので五十ポイント失いました。言われた相手が他の女の子だったら殴られててもおかしくないくらいの失言だよ?」

「ごめん」


 他の女の子ならまだしも、聖薇ちゃんから殴られたら五体満足でいられないかもしれないので、乙女心を傷付けそうな発言には気を付けないと。


 けれど、いざとなれば僕だって、客が一線を超える行為をしたならば毅然とした態度で対抗しなければならないだろう。覚悟はしておかなければ。

 でも、できるだけ聖薇ちゃんがいる間にお願いしたいな。


「反省する気持ちがあるなら、また鍛えてあげようか」

「僕にはそういうの向かないって知ってるでしょ」

「じゃあ向いてるお仕事をバリバリ頑張ってもらわなきゃね!」


 バシッ、と背中を叩かれた。

 体育会系の洗礼だ。シスターのそれでは決してない。


+*+*+


 翌日。

 エリスちゃんとユノちゃんには我が家に来てもらっていた。

 聖薇ちゃんを通じ、来てもらうようお願いしていたのだ。


「これから大掃除をする、と。年末に済ませていなかったのですか?」


 出張させられた上に面倒そうな仕事を押し付けられた恰好かっこうのエリスちゃんが放った指摘は耳が痛い。

 僕はもちろんとして、アムちゃんも片付けはあまりやらない性格のため、そこらじゅうが散らかったままになりやすく、掃除もおざなりになっている。

 やりがいのある大掃除になりそうだったので、二人にヘルプを頼んだ次第だ。


 店の掃除について意識付けをしてもらう機会にとの思惑があるのだけれど、二人を呼ぶ事でアムちゃんの意識が変わってほしいのが一番だ。この子、個人的には嬉しいんだけど、僕が求めていること以外は億劫になる傾向があるからな。

 僕が意外と綺麗好きだと思わせられれば、掃除を積極的に行ってくれるようになるかもしれない。いや、僕自身が意外と思っちゃうくらい実際は雑然なままでも平気なタイプなんだけど。


「ここを働いてる喫茶店だと思って、チリひとつ残さないつもりでお願いね」

「なるほど、ゴミがあったら回収して構わないのですね?」

「うん、そうしてくれ」

「承知しました。二言は無しですよ」

「うん…?」


 エリスちゃんがなぜか機嫌を回復させ、そそくさと移動していった。

 その後ろ姿を見ると服装は完全に外行きモードで、今日は寒さが和らいでいるからか、それなりに短いスカートを履いていたりするので、とてもじゃないけど掃除なんてするスタイルではない。

 掃除向きの服にするか、着替えを用意しておくよう先に言っておくべきだった。

 

 ユノちゃんはセーター姿なので温かそうではあるけれど、静電気で埃が吸着しそうでやっぱり掃除には向かなそうな服装だ。


 普段着からジャージのアムちゃんは準備万端って感じすらあるけれど、本人が掃除に対する意欲が薄いのが問題となるかもしれない。


 僕だって三人に任せきりにして寛いでいるなんて態度は見せられないので、ほどよく手伝いつつ偵察していくつもりだ。


「私、拭き掃除をしますね」


 ユノちゃんが立候補してくれたので頷き、雑巾代わりにする古着の切れ端を渡す。


「アムは何をすればいいでしょうか?」

「とりあえずこの部屋からホウキがけをしてくれないかな」

「わかりました、お任せください」


 自主的では無いものの、言い付けたらしっかり働いてくれるから頼もしい。


 二人はしばらく思うままにやってもらう事にして、僕はエリスちゃんが向かったであろう部屋に移動した。


「あっ、それはゴミじゃないからね」

「くっ……それは残念ですわ」


 手に持った袋に、僕が普段使っているタオルを入れようとしていたエリスちゃんを制止した。

 確かにその使い込まれた風合いは、これこそ雑巾にするのが相応しいと思えるほどボロいものだが、これを捨てたら差し当たってのタオルがなくなってしまう。

 後で買ってきてもいいのだけれど、まだ家計が怪しい状況のでなるべく保持したままにしておきたい。水がろくに吸い込めなくなるまでは使うつもりなのだ。


「捨てる物は僕が選別しておくから、先に拭き掃除をしてもらえないかな?」

「ええと……この服ですのでしゃがまなければならない作業はできるだけ避けたいのですが……」

「ああっごめん、気が回らなくて」


 その通りだ。エリスちゃんはスカートなので、しゃがんだら床に擦り付ける事になってしまう。汚れを拭き取る代わりに、自身の服を汚してしまうとなってはさすがに申し訳ない。

 僕だったら掃除用具を置きそうなのはこのあたりだろうと思っていた場所で長い柄の付いたフロアクリーナーらしき物(こちらでは何と呼称するのかわからない)を探し当て、エリスちゃんに差し出した。


「いいですねこれ……うずうずしてきます」

「うずうず?」

「はい、いきますよ」


 手に取ったクリーナーを床に押し付けると、途端に駆け出すエリスちゃん。

 こ、この動きは、かの伝説のHMX-12――


 すってーん


 エリスちゃんはお約束がわかっているのか、綺麗にすっ転んでいた。

 伝説は本当だったのか。


 そして、そこまでお約束に忠実じゃなくてもいいのにと思う。

 短いスカートでは有事ともなると砦の役目は果たせず、お召し物を顕にしていたのを見て。

 店ではサービスが過剰にならないよう、服装は考えなきゃなと思ったのだった。


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