第35話 触らぬ神に育ちなし

 初日の出の瞬間から絶えず降り注ぐ陽光の下、元気に身体を動かしている子たちは忘れているのかもしれないけれど、今日も気温はかなり冷え込んでいる。

 さして身体を動かしていない僕は、暖を取りに孤児院の中へ移動した。

 院内では書き初め大会が催されており、院外同様お正月ムードに染まっている。


「上手く書けてるね」

「あっ御主人様、あけましておめでとうございます」

「うん、おめでとうございます」


 ユノちゃんから新年の挨拶を掛けてもらえたが、御主人様と呼ばれるのがこそばゆく思える。

 字が上手いと褒めたのはお世辞でもなんでもなく、丁寧で的確な筆跡は彼女の実直な性格をよく表しているように思える。

 書かれた文字は「真心まごころ」だ。他の子を見ると別の文字を書いているから、自分自身で選んだ文字なのだろう。新年の抱負なのかもしれない

 彼女らしさのある言葉選びに思えた。


 添えられた名前から、ユノちゃんのフルネームは【百瀬癒乃ももせゆの】と書かれることも知った。当たり前ではあるのだけれど漢字名なんだな。

 纏う雰囲気は癒やし系。なる諺の体現者のようだ。


 真心。ユノちゃんが選んだ言葉。

 その想いに応えるには、僕も真心で接しなければ。

 打ち明けなければならないだろう。その機会はやがて訪れるだろうけれど、年が明けた今が相応ふさわしいと思えた。


+*+*+


 昼食は、おせち料理の具材が随所に使われた豪華で縁起の良いものだった。

 対面に座ったユノちゃんが代わりに食べてほしいと差し出してきた数の子をプチプチと潰していると、アムちゃんとエリスちゃんが盆を手に到着した。当然のようにアムちゃんは僕の隣に座り、椅子の距離を縮めてくる。

 料理はお願いすれば一部の具材を多く出来るが、エリスちゃんの皿には伊達巻だてまき栗金団くりきんとんの二大甘味が山と盛られていた。

 アムちゃんの皿には紅白の蒲鉾かまぼこが板に付いたまま乗っていた。そのままかじりつくつもりなのだろうか。


 ユノちゃんに視線を移すと、黒豆軍団と格闘していた。ひとつづつ丁寧に摘んで食べているため、なかなか減っていかない。僕だったら面倒になって掻き込んでしまうだろうから、我慢強さは敵いそうにない。

 エリスちゃんに視線を移すと、栗金団で口の周りをべとつかせ始めていた。綺麗な顔立ちなのに、食べ方が粗暴で乱雑なので汚れてしまうのはいささか勿体もったい無い。

 アムちゃんに視線を移すと、蒲鉾の板を持って事も無げに齧りついていた。育ちの悪さが出ているように見えて僕の方が恥ずかしくなってしまうようだ。

 いずれも僕にとってはやや不可解な食事形態ではあるものの、おせち料理という豊富な具材を前に、三者三様の楽しみ方をしているのが面白くもあった。


 さて、楽しいひとときに乗っかって、軽い感じで打ち明けてみるか。


「ところで、一週間くらい前からの僕はこの世界の人じゃなくなっているんだけど、何か違和感があったりしないかな?」


 三人とも食事の手が止まり、僕をじっと見つめてくる。

 突然の告白に驚いているのだろう。頭の中が混乱しているのかもしれない。


 困惑しているらしく眉根を寄せたエリスちゃんが開口一番となった。


「何となくそんな気はしていましたわ。御主人様……あのロム様が私に気安く触れてこないなんて不思議でしたもの。もしかすると嫌われてしまったのかと不安でしたが、そうではなかったのですね」


 あの、と前置きがあったのが気になってしまう。

 むしろ僕の方が困惑してしまう意見をアムちゃんが受け継ぐ。


「ふぅん、そうなんですか。アムとは今まで通りに密着してますのにね」


 言い終わるまでには腰に腕が回され、抱き寄せられていた。

 流れのまま、口元に蒲鉾が差し出される。


「どうぞ父様、美味しいですよ?」


 アムちゃんの歯型に穿たれた蒲鉾の姿が迫る。

 この提案を拒否して食べない選択をしたらバッドエンドに向かうと、僕の脳内シミュレーターは訴えている。

 食べた。馴染みのある味だった。

 直後、僕の食べた所を板ごと抉りそうなほど勢い良く齧り取っていくアムちゃんの牙。

 獰猛にさえ見える行為に、なぜか僕は肉食獣に狩られた小動物の気分になっていた。


「私には同じように見えますけど……」


 ここでユノちゃんの意見が提示され、緊張してきていた場の雰囲気が弛緩する。

 助け船にすがり付こうと質問により会話を繋ぐ。


「触られたりはしてなかったってこと?」

「私は胸とお尻くらいでしたから……」

「それ完全にセクハラじゃん!?」

「えっ、セクハラ??」


 そんな言葉は知らない、と皆の顔には書いてあるようだ。

 ここはセクハラという概念が無い世界なのか?

 それはうらやま――いや、由々しき問題だ。司法は仕事しろ。

 まあ、奴隷制度が生き延びてると聞いた時点で望み薄とは思っていたけども。


 にしても、年端も行かない女の子にセクハラを敢行していたとはロムの奴、僕よりもよっぽど人でなしなんじゃないか。なんでこんな奴が慕われてる風なんだよ。納得いかねえ。


「えっと……これからも触ってもらえるとその……嬉しいですぅ」

「はあっ!?」

「ひゃっ、ごめんなさい!」


 マズいぞ。常識が通じない。狂ってる。

 なぜこの子達はロムの奴に騙され、常識改変を受けているのか。そこんところを明確にしておかなければ、先行きが大いに不安だ。


「みんなは触られても平気なの?」

「はい、触って具合を見ていただいたほうが安心できますので」

「えーと、僕、というかロムは医者ではないと思うんだけど、具合が見れたりしたの?」

「育成師様なら、目標の成長具合を確かめるのは普通なのかと思うのですが……私の認識が違っているのでしょうか」


 毅然と答えているのはエリスちゃんだ。

 その言葉と表情からは、僕をからかっているような様子は感じられない。

 本心からの発言だと認識して良さそうだ。


 正直なところ、そんな役得があるなら目指す人が多いのは納得だ。男心をくすぐりまくっている。

 一方で、容認されているのが信じられないし、怖いくらいである。僕が未成年の女の子だったら、育成師の名目を免罪符としてボディタッチをしてくるオジサンとか絶対怖いし、生理的に受け付けないからと拒絶するに決まっている。

 本当に、どう理解したらいいんだろうこの状況を。


「でしたら実際に触ってもらえばいいのです」


 言うなり僕の手を取り、自分の胸へと当てるアムちゃん。

 大胆すぎる行為にされるがまま、僕の手は桃源郷へと軟着陸した。

 幾度か見ているので形状は知っているけど、触感として把握するのとはまた違う趣が感じられる。

 収まりがちょうど良く、僕にとっては理想的だ。

 この流れなら行ける、とちょっと冒険したくなり、軽く揉んでみた。

 確かな弾力がそこにある。

 アムちゃんの口から、熱っぽい吐息が漏れた。

 揉む、吐息。揉む、吐息。

 なんだか楽しくなってきた。


「具合を確認するにしては少し入念すぎませんか?」

「はい、なんだか……いやらし……いような」


 えっ、これだとダメなの!?

 セクハラに該当する境界線を乗り越えちゃった!?

 純粋無垢が象られたようなユノちゃんから「いやらしい」と判定を下されるのは重く効く。


「父様、とってもいやらしいです……」


 追い打ちを掛けるようなアムちゃんの言葉。しかしその顔にはなぜか満足そうな色がにじむ。

 細められて上目遣いとなっている表情からは、気持ち良さそうな印象しか伝わって来ない。むしろ、おねだりされているようにすら見える。

 アムちゃんが本当に猫だったなら、ゴロゴロと喉を鳴らしていそうだ。


 アムちゃんを膝の上に載せたくなる衝動を抑え、胸の温もりと別れを告げる。

 危ない。あのまま揉み続けたなら、地獄の釜に落ちるところだったかもしれない。


「揉むと育つ、の育成方針は賛否が分かれていますので注意してくださいませ」


 エリスちゃんが自らの胸に手を当てているのがまるで、私が論より証拠ですと宣言しているように見えて説得力を高めている。

 対して、背を丸めて前を隠すようにして、もじもじしているユノちゃんが揉まれまくった過去があるようにも思えない。初心な反応が示すのは、天然物の証であるかのようだ。


「アムはまだ成長中ですから、実験していただいてもいいんですよ?」

「いや、やめておくよ」


 やっぱりアムちゃんの言うことを鵜呑みにして、世の常識と思い込むのだけはやめておこう、と強く心に誓ったのだった。

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