第30話 魔王転生の変

「おにぃがセーラにとってどれだけ大切なおにぃなのか、本気で語りだしたら三話分は使っちゃうけどいい?」


 どうにもメタな言い回しをしている聖薇ちゃんだが、それだけ熱く僕への想いを語ってくれるつもりらしい。

 その熱に当てられたら、着火した僕は噴火レベルが島外避難クラスに達しそうだったので、上の空を決め込んで天井の染みの数を数えるだけの存在へと成り果てることにした。

 めっちゃ早口になってる聖薇ちゃんと、相槌を打つ声に荒立った鼻息を乗せているアムちゃんの熱が増していくのを両側から感じる。

 二人で話すのなら、わざわざ僕を挟んでやらなくてもいいのに。

 でも、二人の体温が常に伝わってくる今は暖房いらずなので、工事にやってくるガス屋の作業員には寒空の下で待ち続けてもらうことにしよう。

 部外者であるガス屋の人にも、会話の中の主役である僕にさえも、この二人の燃えたぎる会話をさえぎる権利はないのだから。


「ごめんくださーい」


 馬耳東風にしていた女の子の嬌声に、威勢の良いお兄さんの声が混じってきたので、意識を天空から地上に戻す。

 二人の温もりから離れ、幸福感に包まれた空間にガス屋の作業員を招き入れる。

 外から吹き込む風よりも、背後の二人から叩き付けられる思念が乗った視線に冷たさを覚えながら、作業員とガス管の配置と機器の仕様から室内を効率良く温風が巡る取り付け位置の最適解を導こうと熱く話し込んだ。

 やっぱり男たるもの、機器類について熱く語るべきだよね。


 ガスストーブの試運転が始まり、問題なく動くことを確認した作業員が家を出ていく頃にようやく、聖薇ちゃんとアムちゃんの会話は終わったらしかった。

 会話の充実ぶりは、二人の顔が赤熱した暖房器具のようになっているのを見ればわかる。握手を交わしながら、互いにニヤニヤしているのはちょっと怖いが。


「そうだ、貸した本は見てくれた?」


 ガスストーブの存在など意識の端にも掛かって無さそうな聖薇ちゃんから投げ掛けられた問いに、あのビーエル本の存在を思い出させられて憂鬱な気分になった。

 僕は男同士の熱い友情は歓迎だ。でも、そこから踏み込む趣味は無いと拒絶の意思を示さなくてはならない。その基準に於いて、チアキさんとは住む世界が違うのだ。聖薇ちゃんがチアキさんの毒牙に掛かり、その世界の魅力に堕ちてしまったのなら、僕は一定の距離を置かせてもらうと突き放さなくてはならないだろう。

 気は乗らなかったけれど、借りている本を放置したままではいけないので、返すつもりで聖薇ちゃんの前の机に二冊並べて置いた。


「ごめん、信長が美少女に描かれている絵だけ見て閉じて、それきり見てないよ。幻視するにしたって、美少女に見えるなんてどうにかしてる。変はお前自身だ、光秀乱心す、でしょ」

「面白いよね。それがこの世界の真実だっていうんだからもう私だって最初知った時は信じられなくて、この頭の悪い創作を本気にしてる日本人ってやっぱり未来に生きてるなって思っちゃったもん」


 聖薇ちゃんは冗談を言っているような軽い口調ではあるけれど、言葉をそのまま受け取ると、本の奥付に書かれていた【これはノンフィクションです】の文字が幻視ではなかったと告げている。僕は光秀の境地に至れなれなかったみたいだ。

 いや、ノンフィクションなのマジで。


 美少女の信長が出てくるなんてトンデモ本には興味が無いのだろうか、アムちゃんが温まってきたガスストーブの前に移動して身体を丸めたので、先ほど買った猫耳だけでも手で持ち帰ってきていたならすぐさま装着するのにとの想いに駆られた。


 さて、逃避したアムちゃんに連れ添いたくなる気持ちを抑えて、僕は現実を見なくてはならない。

 信長は美少女であると、この世界の歴史には刻まれているらしいのだ。

 決して美少女が嫌いなわけではないしむしろ大好物の僕としては、腰を据えて真実と向き合うのを拒否する理由は特に無かった。

 必死に脳内の信長像を挿絵の美少女信長に挿し替えながら、事実だけが記された歴史書を読み解いていく。


 明智光秀が織田信長を討たんと本能寺に乗り込み、信長の寝る布団を引っペがしたところ、そこには女性としか思えない身体が横たわっていた。

 男性用の寝間着には収まりきらない胸を見て光秀は抜刀を決意し、腰の横から抜き放つのではなく着衣ごと取り払い、一心不乱に突き立てた。

 光秀の独断による機転により急遽変更された、信長を討ち取るのではなく寝取る作戦が大成果を収めることとなり、身重となった信長は女として子を成す喜びに目覚め、憎しみと愛は表裏一体を体現した二人の間には多くの跡継ぎが生まれ、現代までに多くの子孫と思想を残していると、その歴史書には語られていた。


「やっぱりこれ、厚すぎる薄い本じゃん! 歴史的ナマモノ本じゃん!」

「うーん、その手の本もセーラは嫌いじゃないけど、この史実ついて他の色んな本にも同様に書かれてるから、認めざるを得ないのよね」


 さらりとカミングアウトされたような気もしたけど、どうやらこれがこの世界の史実だと認めなくては、この世界の人からは歴史を捏造するなと石を投げられてしまうかもしれないようだ。


「じゃあその後の秀吉による天下統一とかはどうなったの?」

「驚いたことに時同じくして秀吉も見た目が美少女のようになってしまって、多くの家臣から今までとは異なる熱い眼差しを向けられたそうだけど、その度に困惑顔で『儂は男じゃ』と返すのがいじらしいと人気を増す一方になってしまって、すっかり武将としての牙を抜かれてしまったから天下統一は成されなかったそうよ」

「そんな秀吉、どこかで見たことあるんだけど気のせいかな……」


 でもその秀吉なら性別の枠を飛び越えてるから問題ないな、と思いながら。

 ならば家康はどうなった、と聞くのが怖くなってそれ以上追求するのは一旦止めにした。


「信長が美少女になり、身体のみならず心も変わって、かの魔王と呼ばれた人物がすっかり聖母へと変身を果たしたこの事件を『魔王転生の変』として日本の歴史に於ける転機として伝えられているの」

「転生……そうか、転生なのか」

「そう、転生なの。事例が少ないので詳しくは未だ判明していないけど、転生をこの身で体験した当事者である私達には、この奇想天外な歴史にも起こり得る可能性を見い出せるはずだよね」


 聖薇ちゃんは、二冊の本を横に並べながら続けた。


天下人てんかびとと成り得る豪傑達が軒並み勢力を失うと、台頭して勢力を伸ばしたのは、いわゆるキリシタン大名達だったの。彼らは自分達の都合の良い教義だけを残し、他国の宣教師は追い出して鎖国をしたの。宗教観の異なる神社や寺の多くは、その頃にほとんど呑み込まれてしまったようね。そこから昨日の、クリスマスとは異なる祭りが開催されるようになる流れが起こるんだけど……それから先の話は興味があったら自分で調べてみてね。私の立場で語るのは語弊を生みかねないから」


 聖薇ちゃんは教会の司祭の娘だ。自身が属する宗教の歴史に関しては事実だけを口にしなければならない人物が、この世界の歴史とは異なる話をしたと知られたなら弾劾されかねない。これ以上の追求は迷惑を掛けてしまう。


「なので次はこちらの話をするね」


 もう一冊の本を、僕に向けてずいっと押し出した。

 出たよ、チョビひげおじさん。今になって改めて見ると、おっぱいぷるんぷるんって言いそうな顔に見えるよこのおじさん。


「このおじさんが日本に来た理由は、同盟国である日本に信じて送り込んだ自国の艦が、信じられないことに美少女になってしまったという事件が発生し、その一報にいてもたってもいられなくなったって、これまた無茶すぎる設定なんだけど」


 知ってる。それ、ダンケって言葉が独り歩きしてるゲームだ。

 いや、ゲームの話だよね。史実じゃないよね、信じて送り出したクールな潜水艦が日焼けして明朗な性格と白スク水姿に様変わりしちゃうのって。


「例えばこれ」

「やっぱりプリンツは可愛いなあ、特にこの中破後のプリケツが……ってマジ!?」


 この画像、ちゃんと使用許可もらってるの、と聞きたくなるくらい見覚えのある画像が、遥か80年も前の史実として歴史の一ページに刻まれていた。

 本来であれば痛々しくて目を覆いたくなるような戦争による損傷の痕が、恥ずかしさで目を覆いたくなるような性戯の鉄槌に見えるのだった。


「で、もう戦争とかどうでもいいやって空気になっちゃって、艦という艦を日本に送り込んでは美少女化するのに腐心した結果、アムちゃん達みたいに見た目はドイツ人そのものの人々が人口の多くを占めるまでになってしまったの」

「艦船に生殖能力があるとか、薄い本が厚くなるな……」


 僕のシミュレーション脳が悪いんじゃない。こんな世界にした神様が悪いんだ。

 そう心の中で言い訳をしながら、アムちゃんが突如として血が疼き出して好戦的になる理由がわかったような気もした。

 確か、ゆーちゃんって姉妹が千人以上いたような。その子達がみんな送り込まれたんだとしたら……ああ、白髪に近いエリスちゃんってそういう。

 有り得ない話と思いながらも、符合する点が多くて嫌になってきた。でも、エリスちゃんが競泳水着ではなく白スク水を着たならなるほどそっくりだと思ってしまう自分がいた。今度、語尾を『ですって』にしてもらえないかお願いしてみようかな。

 でも、コーヒーにこだわりがあるところとか、一見クールだけどチョロそうなところとか見てると『なーぐー』って言って欲しいかも――って彼女たちで妄想を捗らせてどうするんだ。

 チアキさんには喫茶店用にドイツの軍服風の衣装をオーダーすることを心に決めながら、再び聖薇ちゃんの話しに耳を傾ける。


「世界大戦中に英語は敵性語として禁止され、そのままなし崩し的に戦争の炎が立ち消えて、後に残ったのは英語は使わずにドイツ語を使おうという風潮と、でもドイツ語の共存は難しすぎるしドイツ艦もすんなり日本語をしゃべってくれるからもう日本語だけでいいよねって教育界の投げ槍が今のこの世界になった理由、らしいよ」


 うん、擬人化美少女文化ってすばらしいって話だよね、うん。


 故郷の両親へ――

 ――僕はトンデモナイ世界に来てしまったようです。

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