第27話 甘焦搾汁がお好き

 はたと気がつく。

 これから開こうとしているのは喫茶店だ。

 料理よりもまず、飲み物が重要になる。

 いかに美味しい飲み物を提供し、寛いでもらいつつ、おかわりを繰り返してもらうのが客を定着させる上で重要だ。

 客が長居してくれれば賑やかしになるし、周りにいる人から窓越しに客が見えれば入りやすい店の印象を持ってもらえることにもなる。

 休憩所として使われてしまうのは望ましくない見方もあるが、チャージ料を取って使いにくくするよりは、つい注文したくなるよう誘導してあげるべきだろう。店に入るのを敬遠されてそもそもの客数が減ってしまったのでは光熱費すらまかなえなくなってしまうかもしれない。


 なので二人には、飲み物に関しての素養を聞いておかなければならない。


「エリスは好きな飲み物ってあるの?」


 聞くや否や、エリスちゃんの目がカッと見開かれた。

 僕に向けていた不満が吹き飛んだかのように表情がガラリと変貌し、主人にじゃれつく犬のように息遣いが荒くなってくる。


「珈琲の事でしたらぜひこのエリスにお任せくださいませ!」


 あ、コーヒーのことはちゃんとコーヒーって言うんだ。でも発音が流暢でカフィに聞こえるところは、らしさを感じた。

 その単語が聞けたのがちょっと嬉しくなっているだけの僕を置いてけぼりにする勢いで、エリスちゃんの白い顔に朱が走っていく。

 よほど自信がある分野なのだろうか。


「コーヒーを淹れるのは得意なの?」

「ぜひとも淹れる作法をお見せしたいです。ところで、豆と挽器はどちらに置かれているのですか?」

「ここにはない」


 僕の返答に、立ち上がりかけた椅子に崩れ落ちてしまうエリスちゃん。

 一気に朱色が抜けていき、普通を過ぎて蒼白になりそうだった。


「ごめん、ウチには嗜好品類がほとんどなくてさ」

「珈琲は淑女のたしなみですのに……」


 とても残念がってしまったので、せめて話だけでも繋げて気持ちを盛り上げてもらいたいので、飲み方を聞いてみることにする。


「コーヒーに砂糖や牛乳を入れるのは邪道って思ってる?」

「とんでもありません。私は牛乳と半々にして、砂糖は小さじ五杯分が基本と思っています。珈琲のみでは苦味が強すぎて、本来の味が分からなくなってしまいそうになりますから」


 良かった、背伸びしてブラックを飲むタイプの子じゃない。砂糖は多すぎるような気もするけど、甘党はそんなもんなんだろう。

 僕だってこの歳になってようやくブラックの苦味もいいなと思えてきた頃なんだから、エリスちゃんくらいの歳で苦味が平気だって言ったら本当なのか疑わしい。

 むしろ、牛乳と砂糖をたっぷり入れてもコーヒーの味と香りを見極められるのであれば、味覚と嗅覚が鋭いと言えそうだ。


「教会の方にならそれがあるの?」

「珈琲と紅茶、どちらも揃っていますわ」

「なら明日、あちらで見せてもらっていいかな」

「そういたしましょう」


 明日は牛乳たっぷりの美味しいカフェ・オ・レが飲めそうだ。ただし砂糖は控えめにお願いしておきたい。


 さて、しばらく続いた僕達の会話をそわそわしながら見ていたユノちゃんにも問おう。


「ユノは好きな飲み物ってどんなのかな?」

「あ、はいっ。甘焦搾汁がだいすきですっ」


 かんしょうさくじゅう?

 まるで耳慣れない言葉だ。


「ごめんね、僕はそれを知らないんだ。教えてもらえるかな?」

「えっと、甘焦を、搾ると出てくるお汁のことで」

「うん、甘焦についても教えてもらえないかな」

「あっ……」


 うわあ、そんな悲しそうな目で僕を見ないで。純真そうな子だから余計に効く。

 エリスちゃんなんて、この人は甘焦も買えないほど貧乏なんですねと顔に書いている。そうさ貧乏なのは明白だから何も言うまい。

 それでもユノちゃんは身振り手振りで教えてくれようとした。


「甘焦は、細長くて、皮を剥いたら咥えて食べるものです」


 その手付き。細長い、を示したときのその指で円を作って上下に動かすその動き。

 純真な子がやっているのを見ると余計に効いてしまう。

 まさか、その動きをすると汁が出て来て、それを咥えるとかもしかして――


 そんなバナナは僕も好きだよ。

 うん、バナナジュースだよね完全に理解した。下半身が疼くけど関係ないね。

 細長くて、皮を剥かなきゃならないのは不思議と合致しているけど。


 他にもリンゴやミカンの搾汁も良く飲むとのことなので、ユノちゃんはどうやら果物のジュース全般を好んでいるようだ。喫茶店のメニューとして、聖薇ちゃんに咥えさせる――ではなく加えさせるのを提案しておこう。


 飲食の候補はぽつぽつと上がってきたので、今日の相談事は一旦ここまでにして、せっかく作ってくれた食事を楽しもう。

 休憩しながらガス釜で炊いている白米の番をしていたアムちゃんが、四人分の茶碗を盆に載せて食卓に合流したのに合わせて、いつもの倍の人数と、倍以上の料理がひしめき合う賑やかなクリスマスディナーが始まった。


 またアムちゃんとエリスちゃんが険悪ムードにならないかと心配だったが、二人とも食事に集中して言葉を発しないため、何事もなく過ぎて行った。

 何も言わないのはそれはそれで何を考えているのか分からなくて怖いけど、アムちゃんはいつもの通りだから気にすることは無いだろう。

 ユノちゃんが、口を開ける際にいちいちと声を出すのが可愛らしくて、ちょっとだけ場が和んだ雰囲気があり、美味しい食事が楽しめた。

 こんな豪勢な物を食べたのは久しぶりだったので、胃がびっくりして明日は腹を痛めるんじゃないかと余計な心配をする余裕があるくらいだった。


 全員の食事が終わり一息ついたところで、散会する前に三人へ意思確認をしておくことにする。

 これから働いてもらう場所が、単なる喫茶店ではなく【メード喫茶】であるからこその重要な確認事項だ。


「三人とも、飲食店で給仕をするのは初めてだと思うけど、やるのがメード喫茶なのはもう聞いているよね」


 チアキさんがメード喫茶なるものとは何ぞやと説明してくれているはずだったが、あの人のする説明だから僕の想定外に話がねじくれている危険がある。だから確認しておかなければならない。


「お客様は御主人様と呼び、お出迎えとお見送りを懇切丁寧に行うのを基本として、メードさんと会話を楽しめるのを一般的な喫茶店との差にしたいから、ご主人様に呼ばれて会話するのを要求されたら、なるべく従ってほしい」

「誰とも分からない客と話をするのは難しいと思うのですが?」

「アムも会話を楽しめる自信がありません」

「私も……です」


 うん。そうだよな、エリスちゃんの指摘にアムちゃんとユノちゃんも賛同しているけど、僕だって同じ立場なら右倣みぎならえで首肯する。

 その通り。知らない客と楽しい会話は難しい。年齢が離れていて、趣味がかすりもしなかったら尚更だ。

 でもこれは仕事として割り切ってもらわなくては。皆にはそんな仕事だという自覚を持つ必要がある。


「こちらが楽しめないのは辛いけど、楽しむ必要はないんだ。相手に楽しく話させてやればそれでいい。聞き流すだけでいい。ただそれでも、聞いているフリをしてあげることは大事だよ。どんどんしゃべらせて、適当に相槌を打ってあげることがこの仕事のこなし方なんだ」


 さすがに僕自身がメードとなって仕事に従事したことは無いので経験則とは異なるけれど、僕がメード喫茶で満足できた店は、一様にメードさんが聞き上手だった印象が残っているので、客を満足させるための方法論は理解できているつもりだ。


「もちろん断っても問題ないように客との間に約束事は決めておくけど、客は会話するのが楽しみで来る人もいるはずだから、なるべく対応してあげて」


 三人とも一様に不安そうな顔に染まっていた。

 そうだよね、見知らぬオジサンがワクワク顔で話し掛けてきたら怖いもんね。事案だよねそれ。

 けれども危惧していた展開にはならなかった。


「わかりました。アムはきっとその試練を乗り越えてみせます」

「くっ……私も耐えてみせましょう」

「頑張りますっ!」


 全員、覚悟を決めたようだ。エリスちゃんは嫌悪満載な様子だけど。

 さすがに取って食われるような事はないのだから、警戒するのは最初のうちだけだろう。慣れてしまえば、この子達ならそつなくこなしてくれるはずだ。


 ハンバーグに添えられた人参に火が通りきっていなくて苦味を感じるのに若干の嫌な予感を重ね合わせながら、開店の日までに僕がしてあげられる事はなんだろうと考え始めていた。

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