第20話 父子の複雑な関係

 二時間前の疲れた顔が嘘のように回復し、煌々こうこうとした光を目に湛えたアムちゃんが、負けていられませんと宣言して聖堂を出ていってから半刻ほど経っただろうか。

 シミュレーションゲーム脳の僕は、妙に冷静な思考でアムちゃんと聖薇ちゃんが僕とどのような関係なのかをおさらいしていた。


 まずアムちゃんは、聞く限りの情報でしか無いものの、親子の関係になる前は孤児なので赤の他人で養子のため血縁関係は無い。

 そして聖薇ちゃんは、曾祖母の弟が東京に移り住んでの子孫なので、血縁関係はあるもののかなり薄い。ただ、幼少期から母に着いて東京に来るたび顔を合わせていたし、こちらに単身引っ越してきてからはお世話をしてくれるようになり毎日のように顔を合わせていたから、昔から他人ではなく妹の印象だ。ただ、僕の母とはまるで似ていないから他人のようにも思えるし、何より母とは比べ物にならないでっかいっぱいの持ち主である。

 よって、二人ともアウトブリードなので危険因子は存在しない。

 しかし、片や親子、片や兄妹みたいな関係で、倫理的には別の意味でアウトなのではないかと思える気もする。

 なのだが、当の二人にはそんな立場であることに諦観は持ち合わせていないようで、こんな僕に真摯な愛の告白をしてくれた。

 連想されるのは、かの伝説として語り継がれている、攻略不可である事を知ったプレイヤーが血の涙を流したと言われる乃絵美ちゃんが、異世界転生特有のチート設定のおかげで攻略可能になって、ここなら攻略可能だよお兄ちゃんと甘言を囁いてきたようなものだ。ストーリーの第二部としてこんな超展開が用意されていたなら、当時のプレイヤーは幸せの絶頂を迎えて昇天していたに違いない。

 なるほどね、今度アムちゃんと聖薇ちゃんにはサイドポニーを試してもらおうか。そうとなれば、聖薇ちゃんにもメード服を着てもらわなければ。


 思考が脱線していったので一度立ち上がって伸びをする。

 と、足音が聞こえて横の通路を進む人の姿が視界に入った。

 そのまま、奥の十字架近くまで歩を進め、立ち止まる。

 再び足音が聞こえ、追うように人の姿が続いていく。

 数分後には二十人ほどの規模となっていた。

 人々は皆、清潔な純白の衣装を纏っている。

 手には小瓶が握られていた。

 最初に入ってきた人が何事か言葉を発してから、小瓶を十字架に向けて振りかける。それを契機にして、皆が小瓶を振るった。

 十字架が透明な液体に濡れる。

 それが何であるかは聞くまでもないだろう。聖水だ。

 明日の祭を迎えるに当たり、神へ挨拶をしに来たといったところか。

 全員が揃って、両手を結び祈りを捧げる姿勢を取った。僕がそれを眺めているだけでは神になった気でいるのかと咎められそうなので、皆に倣って手を結びこうべを垂れた。物音が聞こえるまでそのままにしておく。


 やがて足音が聞こえ顔を上げると、一人を残して帰っていく様子が見えた。

 残る一人は、最初に入ってきた人物だ。


「やあロム君、息災だったかい」

「こんにちは聖侍せいじさん、お久しぶりです」


 言ってから、こちらでは名前が違うんじゃないかと一瞬焦ったが、聖薇ちゃんのパパはまるで気にした様子はない表情のままだ。思い起こせば聖薇ちゃんがあっちと変わらないなんて事を言っていたような。


「セラがいつも迷惑を掛けていないだろうか。私が居ない間に君へどんな無理難題を吹っ掛けているのではと心配なんだ。我が娘ながら不思議なくらい、君のこととなると途端に人格が変わったように執着するから」

「いえ、良くしてくれていますからご心配いただかなくて構いませんよ」

「まあ僕としては、ロム君みたいな好青年とならいつだって許可するから、ロム君もセラと一緒になってくれるのを望むならすぐにでも挙式の準備をするよ」

「はは、しばらく考えさせてください」

「そうか。いつか良い返事をしてくれるのを期待しているよ」


 父親公認の関係どころか、よもやの結婚内定が告げられた。ただ、聖侍さんの性格があちらと同じならば納得できる気もする。いつもは毅然としているのに、聖薇ちゃんには頭が上がらないタイプだったもんな。

 娘の尻に敷かれる、とは妙な表現ではあるけれど、奥さんを早くに亡くして聖薇ちゃんを奥さんにダブらせてこじらせた結果と思うと同情の余地がある。

 でも、例えそうであったなら、奥さんと同等の存在である聖薇ちゃんを僕が奪ってしまったら、聖侍さんはいよいよ独り身を実感して沈んでしまうのではないかと心配になるので、すんなりと首を縦に振るのは難しいだろう。


 聖侍さんは講演のために全国行脚をしているような事を聞いていたけど、さすがにバテレン祭を欠席するわけにもいかず戻ってきたのだろう。それだけ重要な祭典であることを窺わせる。

 もしや聖薇ちゃんは、父親に式典を任せて自分は僕と二人の時間を過ごそうと画策しているのではないだろうか。いや、それは嬉しい気持ちがあるけど、娘のサポートを受けられなくなる聖侍さんが可哀想だ。

 いっそ断るべきなのだろうか。


「おかえりとーさま、相変わらず腹が出てるわね」


 ドキリとして横を向くと聖薇ちゃんが来ていた。そのまま聖侍さんの前に進み、言われた通りにだらしなく出っ張っている腹を容赦なく平手打ちした。

 パチンという軽妙な音が、聖堂の静謐な空気を乱す。


「いやあ、地方の料理は美味しくてね、せっかく振る舞ってくれるのだからと残さず食べちゃうんだよ」

「ボクの料理はあんまり食べないのに?」

「ごめんよ、せめて家にいる間くらいは量を少なくさせてくれ。太りすぎて動けなくなってしまう」


 聖侍さんに対してはボクっ娘になる聖薇ちゃん。同じだ、あちらの世界と。パパではなく父様と呼んでいるのはアレンジがあるが、言い方はアムちゃんと違って軽い当たりが聖薇ちゃんらしい。

 一人称がボクになったのは知る限り中学生になった頃からで、それまでずっと男の理想像のままの女の子らしさを強要してきた父への反抗心から、男の子みたいになりたくなって性格が変わってしまったと以前本人から聞いているだけに、ボクっ娘な聖薇ちゃん可愛いなどとは思えない。

 でも、幼少期のお人形さんみたいなフリル満載の服を着ていた頃の聖薇ちゃんが自らをボクと呼称していたら、僕の嗜好は変化を見せていたかもしれない。


「じゃあ今夜はとーさまにじゃなくて、ロムにぃにたっぷり御馳走するからね。後からちょうだいって言ってもあげないから」


 こちらを見て舌なめずりして見せる聖薇ちゃん。

 僕は食べさせてもらうのではなく、食べられてしまうのではないかと背筋が凍る表情だった。まるで注文の多い料理店みたいに。

 パン粉をまぶされそうになったら逃げ出そう。キャベツは忘れずに。


「父様ぁー、疲れましたぁー」


 声が聞こえたかと思うと、駆け寄って左脇に潜り込むように抱きついてくるアムちゃん。慣性の法則そのままに飛び込まれたせいで、よろめきそうになってしまった。

 衆目の前でこんなだらしない声を発して密着してくるのは意外だったが、それだけ体面を保つ余裕が無いのだろう。

 子猫のように身体をこすりつけてくる様は、完全に甘えんぼモードである。


「セーラも疲れたー」


 右脇の側からは聖薇ちゃんが抱きついてきた。

 容赦のない弾力による打撃が加えられる。


「くっ……」


 聖侍さんからは噛み殺した感情を含んだ声が投げつけられる。


「……二人とも、神の面前ですよ」


 この場で最もその言葉を使うのに相応しくないだろう僕が、言うに事欠いてそんな台詞を口走っていた。


 鐘の音がする。時間は四時を迎えていた。

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