第17話 歴史を紐解く二つの著書


「うん、許可」


 約束通りの時間に訪問した礼拝堂に待ち構えていた聖薇ちゃんは、顔を合わせてすぐさま差し出した請願書を見て戸惑った様子はあったものの、内容に目を通して一分もしないうちに結論を出していた。

 事前に電話で連絡を入れた時には請願書の内容については一切触れていなかったから、誰かと相談していたなんてことはなく、自己判断でスピーディに降りた許可。

 どうやら聖薇ちゃんが絶対的な権力を有しているのは本当のようだ。

 だからこそ、無視できない疑問が浮上する。


「すぐに許可をしてもらえたのは助かるんだけど、聖至きよしさんには確認してもらわなくていいの?」

「ううん、こっちのパパは講演で全国を飛び回る生活をしてるから、ここの運営はセラに任されてるの。まあその講演はセラの転生ネタが釣り餌なんだけどさ。ちなみにこっちでのパパの名前はセージだよ。あっちでもそう読まれたことがあったから案外違和感ないよね」

「へえ、そうなんだ」


 外見は世俗から一歩離れたような修道士スタイルをビシッと決めているのに、出てくる口調と言い回しは俗そのものな、間違いなく僕の知る聖薇ちゃんで安心感がある。

 だからこそ、距離感が近くて一気に踏み込まれる。


「だけど条件を三つ出すからね。これは決定事項だから、拒否したら即座に許可を取り消すから」


 有無を言わさぬ構えで、僕の鼻先に人差し指を突き立てながら宣言してくる。


「こう書き加えて。ひとつめは、調理場から店内全てが見渡せるようにすること。ふたつめは、調理場担当にセラを任命すること」

「えっ、それって聖薇ちゃんが調理場で働くってこと?」

「もちろんそれもあるけど、現場監督が一番の役割だね。で、みっつめは、夜は孤児院の子たちが使える食堂として開放すること」


 意外な条件が続いたが、最後の条件には驚かされる。

 経営が軌道に乗ったら夜は趣向を変えた店にするのもいいかな、と妄想ばかりが先走っていたが釘を刺された恰好だ。


「夜は喫茶店として営業しちゃいけないってこと?」

「元々、子供たちが揃って晩御飯を食べる場にするのが目的で作ってる施設だから譲れないってのがあるんだけど、この喫茶店プランだと夜は女の子に関わろうとするのが目的の連中を呼び寄せかねないから、そんなの教会が運営している施設として許可できないでしょ」

「ごもっともです」


 実に見事な正論を突きつけられたので、思わず敬語になってしまった。

 聖薇ちゃんの目的が、孤児院の子たちにとっての食堂を作る事だったのはさすがだと感心したけれど、そんな恵まれた環境を作ったら孤児院から独立したくない子が増えてしまうんじゃないかと余計な心配をしてしまいたくなった。


 さて、夜の営業が出来ないとなると、あのドイツビール専門店のような内装は向かないかもしれないと思い至る。

 聖薇ちゃんの目指す店の姿と両立できそうな内装の相談をするため尋ねてみる。


「街で見掛けたドイツビール専門店みたいな内装にしてみようかなと思ったんだけど、どう思う?」

「店にもよるけど、ドイツの伝統を感じられる造りの内装なら歓迎だよ。お酒の店は詳しくないからよくわからないんだけど」


 悪くない反応だったので、店頭で入手したチラシを渡しながらふと疑問に感じていた点も訊いてみた。


「気になったんだけど、こっちの世界ってドイツの文化だけやけに取り込まれてない?」

「そうそう、なんでか知りたいなら用意したこの文献がわかりやすいよ」


 近くに用意されていた本を、チラシと引き換えに渡してくる聖薇ちゃん。

 そうだった。今日は僕らが元いた世界との差が生まれた理由の参考になる本を見せてもらう約束だったのだ。


 どれ、どんなタイトルの本なんだろう。


『チョビひげおじさんの日本滞在記』


 字体からして内容はシリアスになりそうではないが、描かれたチョビひげおじさんは明らかにあの軽々しく語れない人だし、せっかくならと例の危険極まりない紋章が胸に付いている。

 アウトでしょこれ。 


「この人物絵で誰の自伝なのかわかるよね?」

「自伝なのかこれ」

「そう、ノンフィクションだから覚悟して読んでね。それともうひとつ」


さらに追い討ちを掛けるべく本が差し出されて来た。


『本能寺で炎上する愛の華』


 あっ、これビーエル本では。

 本能的に結構ですと突き返そうとしてしまうが、それを突破する威力を有する聖薇ちゃんの一言が放たれる。


「これもノンフィクションだよ。ちなみにこの業界は衆道本を禁止してるからセーラが持ってるなんてことありえないから安心して」


 何を安心すればいいのか不明だが、そう言われたからには聖薇ちゃんの趣味嗜好が清廉潔白であると信じるしかない。


「ふたつとも貸してあげるから、おうちでじっくり読んでみてね。ちゃんと理解しないといけない世界だから」

「ちゃんと理解したら僕の性癖が歪むってことはないよね?」

「それだとセーラも困るから大丈夫だって。おにぃを信じてるから」


 信じる者は救われる。瞳がそう告げていた。これが聖職者の能力か。

 結構です、の一言が口に出来ない強迫観念に囚われてにっちもさっちもいかなそうなので、いっそ話題を変えてみることにした。


「ところで、聖薇ちゃんはバテレン祭の準備とかしなくていいの?」


 重要な祭日を明日に控えているというのに、普段通りの暢気な雰囲気が漂い続けているのが不思議に思えた。アムちゃんが忙しそうにしているので尚更そう感じる。

 指摘を受けた聖薇ちゃんは至ってのんびりとした口調で返答した。


「私は受け入れる側の立場だから、事前にすることは聖堂内を掃除して綺麗に保つくらいだよ。厳かな祭典だから装飾するなんてこともしないし。むしろ大変なのは終わった後のお片付けだから」

「お片付けか。後の祭りってやつだね」

「それは違うと思う」


 否定の言葉を、聖薇ちゃんは笑いを噛み殺しながら発した。

 ボケをボケと理解してもらえるのは助かるなあ。やっぱり聖薇ちゃんだこのおっぱい聖人は。


「なんでかは明日参加してもらえればわかるから、敢えてセーラからは何も言わないよ」


 聖人のくせにちょっと小悪魔で意地悪なところも聖薇ちゃんだ。

 ホントに聖薇ちゃんなんだなあ。気心知れた関係だからこそこなせる阿吽の呼吸が発揮され、実感がより篭もる。

 まだまだ再会の余韻に浸っていい頃合いだろうし、また抱き着いてもいいだろうか。


「じゃあ用が済んだみたいだから、セーラは造花販売のヘルプに行くねー」


 さっきまでは自分のやることは無いみたいな事を言っていたのに、急にそそくさと僕の前から離れて行ってしまう聖薇ちゃん。

 気心知れた関係は時として仇となる。見事、僕の下心を感知されてしまったようだ。 


 声を発する者が聖堂内から消え失せ、圧倒的な静寂に支配される。

 祈りを捧げる者も今はおらず、皆が明日の準備をしているのかもしれない。

 完全に孤立した空間に、祭の部外者が我が物顔で居座る状況には敬虔な信徒たちに石を投げられそうな気もするが、今この場に於いては黙っていれば誰も邪魔はしないだろう。

 

 販売所で頑張っているアムちゃんを残して自分だけ帰るのは気が引けたので、せめてここで帰るまで待とうと思い、借り受けた本を開くことにした。

 聖堂の中央に掲げられた十字架を正面にして、神に見られているような環境下で開くのだから、本の内容が神の教えに背くような内容なんてことはないだろう。


『本能寺で炎上する愛の華』


 可愛らしい挿絵に、矢印で『信長』と示された美少女がいた。

 早速、神に背いてませんかコレ?

 慌てて一旦本を閉じ、こんな悪趣味な本を書いた著者は誰なんだとその人物像を確認すべくあとがきを探し、見当たらなかったので名前だけでもと思い奥付のページを見てみる。


『これはフィクションではありません』


 最後通牒が書かれていた。

 待て、それはおかしい。


 ここで開いたから神の力によって内容が改変されているんだな。そうに違いない。

 念のため、もうひとつの『チョビひげおじさんの日本滞在記』も開いてみた。

 こちらは僕の知る歴史で見掛けたことのある、例のチョビひげおじさんの顔写真とともに、日本国内で本人が残したとされる言葉が記されていた。


『おっぱいぷるんぷるん』


 ここで見ちゃダメなやつだ。

 静寂を破るようにバタッと音を立てて本を閉じると、本を横に退けて惰眠を貪ることにした。

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