第9話 主隷法のある世界

 アムちゃんが見つけてくれた“薄い本”の価格は六百円。予算の範囲内だったので買ってみることにした。

 僕の中の常識と、この世界の常識を比較するのに使えそうだと思ったのが購入の決め手だ。決して愛撫の仕方が図解されているのを気に入ったとかではない。

 後でアムちゃんはどの部位の愛撫が好きなのか訊いてみるべきだろうか。


「父様が頭を撫でてくれるだけでアムは頑張ろうって気になれますから、父様は頭を撫でるのがとてもお上手だと思うのです」


 はい頭でした残念。いやまさか娘の胸とか尻とか股間を撫でて褒める父親なんていないでしょ、いないよね?

 親戚のおじさんが姪っ子に、だいぶ育ってきたね〜と言いながらさりげなく触るのとはワケが違うんですよ。いやそれもアウトだけど。


「じゃあ夕食の買い出しをして帰ろうか。ハムちゃんも待っているだろうし」

「はい。今日は父様が荷物持ちを手伝っていただけるのなら、思い切って奮発しちゃいましょう」


 残金八百円でどう奮発するのか、僕には想像もつかなかったけれども、食料の調達についてはアムちゃんの判断に任せよう。


+*+*+


 日もだいぶ傾いてきた頃からアムちゃんが造花の制作に取り掛かっていた。

 夕食の準備を始めるまで一時間くらい、集中して50本程度を作り上げるつもりらしい。手際良く巻かれていく華やかな色の布地が、気付いたら花の形をしているのはさながら手品のようだ。

 この世界に来てからチアキさんに話を聞くまでは、内職で造花を作って売りに行くという状況が古風な印象だったので、現代風の家具や電化製品が無いこの家の特徴も相まって中世ヨーロッパ系のファンタジー世界へ転生したのではないかと思ったものだが、ここが現代日本そのものだと知った後はその古風さが違和感となっていた。

 今時でも造花の需要は大きいのだろうか。


「12月25日のバテレン祭でたくさん売れるので、今は多くの隷徒が制作に励んでいる頃なのですよ」

「バテレン祭?」

「はい、隷徒達がイエズス神の誕生を祝福する日です」


 日付からしても問うまでもなくクリスマスの事を言っているんだろうけど、歴史の授業でしか聞いたことのない単語が出てきたので面食らった。

 それに、隷徒というのはなんなのだ。これは初めて聞いた単語だぞ。


「たぶんそれ、僕の知っている世界だとクリスマスって言われてる行事のことだね。こちらではパーティーしながらケーキを食べたりするんじゃないのかな?」

「えっ、クリ……ス?」

「わからないんだ……」


 もう疑いようはないだろう。ここは英語が浸透していない世界なのだと確信した。

 ここは間違いなく僕の知識と相違ない現代の東京都で、街の様子はそれを裏付けていたのに、外見は西洋人が多く、それでいて英語が使われていない世界。

 どこで概念が捻れてしまったのか、奇妙な世界が構築されていた。


「父様の……レンヤ様の世界のクリスリス? について教えてもらえませんか?」

「……あ、うん」


 クリスマスツリーのてっぺんに輝く星のように瞳に星をたたえ興味津々の顔をしたアムちゃんに、僕はクリスマスがどんな行事なのか、できるだけ楽しい思い出を手繰り寄せながら教えてあげた。


「今年のバテレン祭では、サンタをクラッカーしてフライドチキンするのを楽しみにしますね!」


 覚えたての単語を使いたがった結果、盛大な勘違いによりサンタさんの服が内部から赤く染まってしまったようだが、アムちゃんの純真な希望に免じて許してあげてほしい。だがこいつが許すかな、な展開にはしないであげてほしい。


「じゃあ今度はバテレン祭について教えて。クリスマスの行事とはどう違うのが知りたいから違うところだけでもいいよ」

「えぇと、そうなるとほぼ全部でしょうか」

「なそにん」

「隷徒は神を象った偶像の周りに花を供え現世に生を受けた奇跡を祝福し、聖隷として主に仕える誓いを新たにするのです」


 聖隷、の言葉でピンときた。その言い回しならわかる。神に隷属する者のことだ。姪に教会の子がいるから、それなりに身近な言葉でもある。なので半ば確信めいた心持ちで訊ねた。


「主というのは神様のことだよね」

「神様のことでもあり、現在のご主人様のことでもあります」

「ご主人様、って主従関係の雇い主ってこと?」

「はい。主隷法における主人と隷徒の関係なので雇っているのではなく、施しているとするのが正しいのですが」


 どうやら隷徒というのは、いわゆる奴隷のことらしい。

 御主人様と奴隷――スレーブメード。繋がる世界。

 バーチャルリアリティのプログラム内世界から、リアリティの現実世界へ。

 僕は、アナログからデジタルに変換されてやってきていたようだった。


+*+*+


 受け入れがたい現実を目の当たりにした時は、やけ食いして現実逃避するに限る。辛い世の中を渡り歩く生活の知恵である。

 手提げ袋を両手に吊るして持って帰ってきていたキャベツともやしの炒め物をドカ食いして、久々に満腹感を得ることができた。

 キャベツについては形も味も変わらないが、この世界では“甘藍”とあまり聞き慣れない名称で呼ばれているらしい。

 本屋で気付いた違和感はどうやら正しかったようで、ここは外国語が排除された世界だと思って間違い無さそうである。


 食事は会話無く進んだ。僕が話題を振るのが得意では無いのもあるが、アムちゃんが食事中に会話をするのを良しとしない主義らしい。

 当然のようにテレビもラジオも無いため情報の入力が無いので、ひたすら食事と向き合い味わうことができる。食事の喜びに没頭できる。

 加えて、独り身では味わえなかった、家族の顔を見ながら食べる喜びも得られる。それも、僕を慕ってくれる可愛い子供が嬉しそうにしてくれているのだ。これ以上の幸福があるものか。

 改めて、育成師としてアムちゃんを、そして更に多くの子達を育てていきたい想いが心に宿ったのだった。


 ただやはり、先ほどアムちゃんから聞いた話の内容が気に掛かる。

 主人と隷徒の関係。それがスレーブメード世界そのままの仕組みでこの世界が成り立っていたのなら、育成師の本筋は主人に仕える奴隷の育成にある。

 愛情を込めて大切に育てた我が子のような存在を、ただの道具としてしか見ていないマスターに売り飛ばすのだ。それが育成師のやるべきことだというのなら、僕は職務を全うできるのだろうか?

 机を挟んだすぐ先に、美味しい食事を楽しんでいるアムちゃんが浮かべている明るい表情をどこか遠くに感じながら、僕の心境は暗さを増すばかりだった。

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