第8話 参考書を探して
「お待たせしました父様、行きましょうか」
読んでいた漫画本を畳むと、満足げなほくほく顔がこちらに向けられた。頬に朱が差し、興奮醒めやらぬ様子だ。
アムちゃんが巻末までしっかりと読み尽くすまで待っていたのは、読み進めるごとに変わる表情が面白く可愛らしいと、時折漏れる甘い溜息が極上のスパイスになって僕を虜にしていたからだ。
今夜、その顔と息が自分に向けられるかもしれないと思うと、父としての立場のままでいられる自信が無い。でもアムちゃんは父と子の関係を超えたい願望がありそうな様子を見せているだけに利害が一致しそうではある。
いやいや、親子の関係を切り裂きかねない百害あって一利なしだって有り得るのだからやめるべきだ。勘違いと思い込みで行動し、アムちゃんの不興を買って絶縁してしまうなんてのは願い下げである。
「もしかして、父様もこの漫画に興味がおありなのですか?」
上目遣いで、こちらの顔色を伺うように訊いてくる。その瞳には期待の色が滲んでいるようだった。
「アムが興味のある作品には興味があるよ」
危険な香りがしたので適当にはぐらかしたつもりだったのだけれど、その言葉をどう受け取ったのかアムちゃんは握手してきた。同意したと思われたのだろう。
まあ、それでもいいか。
「本屋さんはもう良いのですか?」
「いや、何か買えれば思ってたけど、僕はお金を持ってなくてね……アムはどのくらい持ってる?」
「はい、ええと……夕食の分を四百円引いたら……今日使えるのは残り八百円ですね」
娘のお小遣いを当てにする父親の図は下衆いが、資産管理を娘がしているのだから全く問題なし。そのはずだ。
もしその八百円を使ったら、夕食が質素な内容になるのが確定するようだ。二人で食べる量を等分とした場合は一人二百円。自炊にしても厳しい。この世界では物価が大きく違うとの可能性に賭けたいが、状況から察するにそれはなさそうだ。
早く安定した収益を得られるを探して家計を支えなければ。バイトもしたことの無い僕だけにまるで期待が持てないけど。
僕の苦悩を感じ取ったのか、アムちゃんが元気付けるように明るい声で言ってくれる。
「お金を使わなければならない事はあまりできませんが、体を使ってお金にする事ならできますので!」
「体を使うって、何する気!?」
それ、元気良く大きな声で言っちゃいけないことなんじゃないですかね?
アムちゃんの覚悟はありがたいけど、父として許容はできません。施しを受けている立場の僕にはそれを糾弾する資格はないだろうけど。
「造花の作成以外にも裁縫などができますよ」
そうだよね。そう言ってくれるって信じてたよ。
ついさっきまで、オジサマに体を委ねるメードの漫画を見ていただけに、もうそういう流れからの発言なのかと思ってたりしてないからね。アムちゃんは清い体だもんね。
さておき、体を使うのが体力を活かすって話なら、本来僕のような青年の役割だろけど、なにぶんニート候補生になりつつあった僕の体力ではままならない。
異世界では強い体を手に入れた、なんてこともなさそうで、ロムさんは僕と同位体らしく体力も同様なようだった。
「まずは僕にも出来る仕事を探さないとね」
「父様、あちらの世界では育成師をされていないのですか?」
「育成師?」
「メードの育成師になる予行演習として、アムを調教していただいたとおっしゃっていたのですが……もしお忘れになっているのでしたらとても残念です」
調教などと不穏な表現がなされているけれど、額面通りに受け取っていいのかわからない。でも、この世界がスレーブメードのシステムをなぞっているとしたら、文字通りの意味なのだろう。
調教していただいた、と言っているからには好意として受け止めているのだろう。英才教育が行き届いているらしい。そりゃ胸を揉まれた挙句に裸を見られても動じない子に育ってるわけだ。
でも、そんな育て方をしているにも関わらず父親としての立場を守って手を出していないとしたら、生殺し状態もいいところである。いくら僕同様にロムさんがヘタレだからと言っても据え膳を食らわない選択肢はないだろう。
もしかしたら一線を超えているのかもしれなかったが、やっぱり僕はヘタレなので真相を尋ねる勇気はなかった。
それより今は、育成師についての真相を追わなくては。となれば今ここで手に入れるべきは。
「育成師の本を見てみたいな」
育成師を知る事は、ロムさんの事を知る事にもなる。この世界での立ち位置を測る近道になるはずだ。
「他者のやり方に追従したって仕方ない、僕の理論と信念に従ってやるだけだ、と常々おっしゃられていた父様の口からそのような言葉が聞ける日が来るなんて……アム、感激です!」
ヤンキーが更生したらマイナスからゼロになっただけなのに、プラスされた分のおかげで立派な人に見えるみたいな評価をされていた。あくまでロムさんの事だとは言え、同一体らしい僕にも思い当たる節はあるので甘んじて受け入れるけれど。
「ごめんな、僕は僕なりのやり方でやらせてもらうよ。ロムさんとは違うかもしれないけど、頑張るから」
「はい、アムも頑張って父様に育てられますね」
そう言って胸に手を当てるアムちゃん。
え、そのポーズは育成対象として胸をアピールしてるわけじゃないよね?
思わず昨夜の感触がフラッシュバックする。もしもこの世界では揉むことが有効な育成手段とされているのであれば僕も採用を検討しなければならないだろう。
うん、育成のためなら仕方ないよね。
+*+*+
「こんなに数があるのか……」
「育成師の方はとても多くいらっしゃいますから、参考書もいっぱいあるんですよ」
単独のコーナーがあり、範囲も大きく取られている育成師関連本。この世界におけるメジャーな職業であることが伺えた。
ありがたいことだ。数が多いということは、安価な書籍にも期待が持てる。
今の僕にとって何よりも必要なのは基礎。育成師とはなんなのかを知らなければならない。常識が同じとも限らないので、やるべきこととやってはいけないことの線引きができるだけの知識も必要だ。
基礎知識を網羅しつつもなるべく薄く、安価な書籍がないか棚を探る。
「どのような本が良いのでしょうか? アムも探すのを手伝いますので」
「じゃあお願いね。薄い本を探してもらえれば助かるよ」
「薄い本……」
アムちゃんが一瞬考え込むような顔をしたためハッとなり、違う表現にすべきだったもしれないと後悔しかけたが、そもそもあちらの世界でも一部界隈のみ通じる表現なのだから、そのような意味としてアムちゃんが捉えることはないだろう。
「これなんていかがでしょうか?」
「どれどれ……愛撫から始める奴隷の躾け方、と」
公衆環境で声に出してはいけない日本語だった。てかマジでそういう意味での薄い本じゃないのこれ!?
「えーと……アムちゃん、質問いいかな?」
「はい、なんなりと質問攻めなさってください」
「愛撫とか奴隷とか、育成師ってそういう趣味の世界なの?」
「趣味の世界、ですか。まあ趣味が高じて就業された方もいると思いますが、家族経営されている場合も多いですし、趣味に留まる職業ではないと存じ上げます」
家族経営で他人を奴隷として扱う上に愛撫などするのは異様すぎるのではないでしょうか。それ倫理的に許されるのでしょうか。
「じゃあ敢えて訊くけど、アムちゃんは愛撫されたことってあるの?」
「父様にはよくしていただいていますよ。育成の基本だとおっしゃっていましたし」
「マジでっ!?」
「??」
僕の驚いた声に、何を驚いているんだろうと言いたげな顔をしているアムちゃん。
常識を疑え。ここは異世界なんだ。僕は自分に言い聞かせる。
僕の驚きが正しいのかどうか、その答えは本の中にある。表紙をめくり、導入の文を確認した。
『愛撫は基本です。しっかりと褒めてあげ、愛を込めて撫でてあげましょう。頭を撫でられるのが苦手な子もいるので、その子が気持ち良さそうにする部位を見つけてあげるのが大切です』
愛撫って、愛を込めて撫でるの略称かよ!
この世界には紛らわしい略称もあるのだなと念頭に置いておかねばならないようだ。やっぱり自分の中の常識は疑わないと、あらぬ勘違いをする変人と思われてしまう。
娘を愛撫する父親は決して倒錯者ではないのだ。
安心感に包まれながら続く文を目で追っていく。
『愛撫推奨部位・・・頭、胸、腹、腰、股間、尻』
やっぱりそういうプレイみたいじゃないか!
倒錯しているのはこの世界そのものだと断定しなければならなそうだった。
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