第6話 現実世界の僕とアム

「ではまた会おうではないか」


 自らを転生者と名乗った自称呪術師だか魔女だかマジカルな人は、別れ際まで演技じみたセリフを吐いて帰っていった。

 扉を開けると吹き込む寒風が、今が十二月の後半期だと思い出させてくれる。

 部屋を見回しても暖房らしい器具が見当たらない。そもそも昨夜も毛布だけが頼りの状態だったのだ。期待は出来ないだろう。

 昨夜くるまっていた毛布が置かれた部屋には南向きの窓があって、暖かな陽射しが入っており貴重な熱源なのだ。今のうちに昼寝をして少しでも温まっておこう。

 でも僕がここでのんびりと温もりに包まれていていいのだろうか。働く能力のない僕の代わりに、この寒空の下でアムちゃんは花を売っているのだ。いや隠語などではなく文字通りに。きっとあのバスケットに収まった全ての造花を売り切るまでは帰ってこないだろう。日が落ち、夜の冷たい風に吹かれてもなお一本でも多く売ろうと健気に足早に通り過ぎていく人たちに向かって買ってくれるよう懇願の声を上げ続けるのだ。


 守らねばならない年頃の娘にそんな辛い仕事をさせるなんて、どれほどまでに情けない父親なんだ僕は。ロムさん、見損ないましたよ。


「ただいま戻りました父様」


 心配をよそにアムちゃん、昼前に余裕の帰宅である。

 売り捌くの早すぎません? もしかして相当に売り文句が上手なのか、生粋の商人だったり?

 まさか色仕掛けなんてしてないよね? それはパパが許さないよ? 花を売るのは造花だけにしようね?


「父様、もしかしてあの呪術師が来ていたんじゃありませんか?」

「ああ、うん、その呪術師と思われるマジカル☆チアキ先生ならついさっき出ていったところだよ」

「やっぱり……大丈夫でしたか? 身体を触られたりしていませんか?」

「大丈夫、身体を触られてはいないよ」

 

 心は触られまくって、かなり汚されてしまったよ、とはさすがに言えない。

 ただ、心配そうに顔を曇らせているアムちゃんの不安は取り除いてあげたい。

 僕は聞いてみることにする。レンヤの口調のままに。


「ねえアム」

「どうしましたか父様?」

「あの呪術師が転生者だって知ってるの?」

「……らしいですね」


 顔がさらにどんよりと曇りを帯びる。どうやらアムちゃんがチアキさんの事を良く思っていないのは間違いなさそうだ。

 なのに関連する過去を思い出させるのは心苦しいけれども、僕の立場を少しでも確定させるために今は我慢してもらいたい。


「チアキが僕に誓約書を書かせたのも知ってる?」

「はい。アムも隣で見ていましたから……」


 湧き上がる感情を堪えているように目の周りが歪んでいく。そこに浮かぶ感情は悔しさか悲しみか。少なくとも喜楽のベクトルではないだろう。


 もうひと突きで押し留めた感情を決壊させてしまうかもしれない。アムの慟哭する姿は見たくないが、長引かせるのは可哀想なので、ここで勝負を決めよう。覚悟を決めて本題を呈示する。


「今話してる僕がロムじゃくて並行世界のレンヤって人なのも気付いてた?」


 この告白は危険だ。慕ってくれていたアムちゃんが他人行儀になってしまうかもしれないし、拒絶され追い出されてしまうかもしれない。もしかしたらショックを受けてヤンデレ化――


「あちらの父様はレンヤという名だったのですね! 素敵な響きです!」


 満面の笑顔が咲いた。

 え、僕がロムさんじゃないのに気付いてた?

 気付いてたのに裸を見られても平然としていたり、僕が慌てた反応をしたら父様が悪霊に取り憑かれたーみたいな判断をして平手打ちかましてきたの?

 アムちゃんこう見えてチアキさんと同じタイプで、男心を惑わせてからかうのが趣味だったりする?

 やっぱりあのゲームの登場キャラクターって一癖も二癖もありそうだな。あのスレーブメードの事は詳しいんだぞって言ってるかのような口ぶりからすると、案外ゲームのプロデューサーがチアキさん説も浮上してきそうだ。

 そんな、完全にあの人の掌の上で踊らされてるだけの自分って構図は冗談でも笑えないから考えたくもないんだけど。

 気分が重くなっていく僕とは対象的に、曇った顔が晴れ晴れとして上機嫌になったアムちゃんに思わず出来心が芽生えてしまった。


「僕がロムさんじゃなくても、アムは平気なの? カラダを触られたりしたのに?」

「父様がアムの前では甘えん坊さんなの、いつもと全然変わりませんから。レンヤさんも思う存分甘えてくださいね」


 やっぱりここは異世界です。貞操観念が破綻しています。風紀が乱れています。

 都市の秩序を維持するために必要な条例が行方不明のようです。

 けれどももし――アムは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ、と宣言すれば問題とはなずに済みそうですかね。


 なるほど、この世界を一言で表すのであればそう――

                         これなんてエロゲ?


「エロゲってなんですか?」

「…………あ」


 声に出して読んではならない日本語だった。


+*+*+


 当たり障りないゲームの話を続けてエロゲなる単語を他の意味に置換しつつ、あの造花をどうやって短時間で売り捌いたのかを聞いてみた。


「問屋さんに届けたんですよ」

「ああ、問屋さんがあるのか」


 ここは異世界だ。ファンタジーの世界だ。きっとそんな世界では童話の世界のように大通りの片隅で露天販売をして律儀に一輪ずつ売っているのだろうと勝手な思い込みをしていたのがそもそもの間違いだったのだ。異世界にだって問屋が存在し商品流通を担っていることはあるだろうし、何よりここは異世界の気がしない東京と呼ばれる都市だ。ちょっと郊外の方だけど大都会だ。流通の中心地なんだから問屋の一つや二つ、どころではなく、商社が千は下らない数あるだろう。


 問屋さんに出入りする業者が、まだ中学生ぐらいのジャージを着た女の子、って組み合わせは充分に異世界じみている気もするが。


 まずなんでジャージなのか、と聞きたいところだけどそれは察するべきだろう。所々にアップリケが付いて補修されている感が漂っているのを見たら。

 ごめんやっぱりロムさん、ひいては同一の生活能力しかない僕のせいだ。

 ここがどんな異世界であれ、貧乏という概念だけは揺るぐことはないのだろう。


 この世界に来てからまだ家の外に出たことのない僕が、貧乏なこの家の中の家具だけで文化レベルを判断するのは見当違いを引き起こしかねない。何しろ自動車免許があるのだ。チアキさんは科学がどうとかも言っていた。実際には通信インフラが整い、一人一台スマホ生活が一般家庭の常識だったりするのではないだろうか。

 外に出なければならない。

 引きこもり生活に順応しつつあったこの僕にそう思わせるとはこの世界なかなかやるではないか。

 出てやろうじゃないの。


 外出する服が、無い。


 アムちゃんの服装がジャージだと心の中では笑っていた自分自身の服装を今まで気に留めていなかったのを恥じなければならない。

 この世界では外出用ファッションとしてのパジャマが普及している可能性に賭けて玄関をくぐる勇気は僕にはなかった。


「これが僕の一張羅だなんてことはないよね」

「父様、お着替えなさるのですか?」

「うん、着替えるものはあるかな」

「もしかして外出されます?」

「そのつもりだけど」

「ならお揃いにしましょう!」


 お揃い。ペアルックというやつか。

 つまり、僕にもジャージを着ろと。

 なんでだろう。なんでだろう。

 アムちゃんが赤色を着ているから、僕が青色を着ればちょうどいいね。なんでだなんでだろう。


 二人揃って赤色のジャージ姿で家を発つことになったのは、朝食とあまりラインナップの変わらない昼食の後になった。

 ジャージ姿で街を闊歩するのが違和感のない世界でありますようにと願いながらの旅立ちだ。

 これが僕達にとっての旅人の服なんだ。文句を言う奴は檜の棒で殴り倒してやる。


「では行きましょう、父様」

「ああ、行ってやろうじゃないか」


 玄関のドアを開け放ち、力強く一歩を踏み出すとついに、僕は異世界の光景を目にすることになったのだった。

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