第4話 世界の仕組みを知る者

「誰か…?」


 思わず聞き返していた。と同時に、ならず者なんかよりもよっぽど危険な人物に早々遭遇してしまった予感に心が震える。

 会ってすぐに、僕がロムではない別人になっていることを示唆するとか絶対この人強キャラだ。敵に回しちゃいけないヤバイ人だ。ゲーム世界の約束事を知る僕にはわかるんだ。


 こちらの困惑を見透かすように切れ長の目がめ付けてくる。流れる冷や汗を、女の口から伸びた蛇のような長い舌が舐め取るのをイメージしてしまう。

 実際にその口から発せられているのは、こちらを値踏みして挑発するかのような言葉だったが。


「もうロムくんじゃないとしたら初めましてだね。これからよろしく。とりあえず家の中に通してもらっていいかな?」


 来訪者はこちらの返答を待たずに、僕の横をするりと抜けて椅子に座った。とても他人の家にお邪魔する際の態度ではないが、まるでいつものことのように自然な流れで入って行ったから僕は口を開けたまま声を出すことが出来ないでいた。

 そんな僕の反応が面白いのか、にやりと意地悪な笑みを浮かべた女が手招きする。どちらが家の主人かわからない。

 この状況に於いては拒絶する方が危険かもしれない。本能でそう悟った僕は、招かれるまま女の座った対面の椅子に座る。


「その感じ、もうロムくんじゃないのは間違いなさそうだ。妙な状況に面食らってしまうのはわかるんだが、君の今の名前を教えてもらえないか?」


 まずはお前から名乗れ、と言いたくなるシチュエーションに先手を打たれた。

 素直に答えて良いものか逡巡しそうになるが、ロムという名を知っている上で敢えて僕の名を問う異常な状況だけに詐欺の類とも思えず、ここは名乗っておかなければ話が進まない気がしたので正直に告げることにした。

 

「レンヤ、が僕の名です」

「うんうん、レンヤ君だね。ああ、レンヤ君だ」


 なぜか気味の悪い微笑みを浮かべて僕の名を反芻する。

 顔の前に掛かるウェービーな前髪を掻き分けてから、女は名乗りを上げた。


「私の名はチアキだ。気軽にチアキ様と呼んでくれていいぞ? レンヤ君」

「はあ……チアキさん、よろしくお願いします」


 僕の事を君付けで呼んでおきながら、さらっと様付けで呼ばせようとしているのをツッコみたくなるのを抑えつつ、努めて棒読みで返してやる。言い回しからしてこの女はなかなかのお調子者で、相手を惑わせて楽しむタイプだ。相手のペースに乗ってはいけない。

 見たところどうやら僕よりも年長者のようだが、お肌の曲がり角にはまだ達していないような、まだ若々しさのある人に見える。正直、チャンスがあればお付き合いしたくなるほど魅力的だ。

 それにしても――チアキ、か。日本名らしい聞き慣れた音だ。見た目は欧米人だが。


「それで、チアキさんはどういった用でこちらへ?」

「そりゃもうレンヤ君を私の配下に入れるために決まってるじゃないの。ってことでこの誓約書を見てくれ。ここに何が書かれているか、わかるかい?」


 嫌な予感がするため無視を決め込みたいおだが、何が書かれているのかと問われて、何が書かれているんだろうと知りたくなる欲求に駆られてしまった僕は、つい誓約書の文面を覗いてしまった。


「ええと……並行世界の同一人物と記憶を共有する事に同意すると書かれた文章の下にロムと書かれたサインがあって、横に血判が押されてますね」

「ここは異世界の文字がすんなりと可読できる感動に打ちひしがれるところだぞ?」


 よもやの言葉が提起されて、僕は一瞬何が起きたのかと思ってしまい、時間が静止した気分を味わった。

 チアキさんが机の上で肘を付き、両手を結んだ上に顎を乗せて、意地の悪そうな顔でこちらの出方を待っている。

 やはり問うべきなのだろう。その言葉の意味するところを。


「なぜあなたは僕にとってここが異世界なのを知っているんですか?」

「それね、私が君を異世界、いや、並行世界から喚んだ張本人だからだよ」


 さも当然のように言い放った。

 並行世界――パラレルワールド。そんなものが実在しているとは信じ難いが、実体験としてそう判断しなければ説明の付かない状況に現在進行形で身を置いている以上、信じる他無いだろう。

 今、僕がすべきなのは、並行世界への召喚者を自称するこの人物から可能な限りの情報を得る事だ。


「どうして僕を喚んだんですか?」

「こっちの君……ロム君がそれを望んだからだよ」

「なんで望んだんですか?」

「並行世界の君がしている事を夢に見るようになって、深層心理にはちょっと明るい私が相談に乗ってあげたんだよ。これは並行世界の君が影響しだしたんだねと話したら、凄く興味を持ったようでさ。それから色々と相談に乗ってあげていたら毎日頭痛が酷くなっていくんだと明かされて、見兼ねた私は君との記憶共有をしてみるという解決策を提示してみたんだ。すると食いついてきたんだよねロム君」

「じゃあ、ロムさんは僕を受け入れる方法を選択して、悪夢と頭痛からの解放に賭けたんですね」

「自分の事を悪夢だなんて言うのはどうなんだい」

「いや、そんな異常すぎる状況は悪夢以外の何物でもなくないですか」

「まあ君がそう納得してくれるんならそれでもいいんだけどさあ」


 納得するも何も、こんな突飛な話を納得して進められる方がおかしい。あまりにもおかしい。

 僕の複雑な心境は伝わっていないのか、チアキさんの顔からは深刻さが微塵も浮かんでいない。


「じゃあ次は私から質問させてもらうよ」


 僕を試す面接官のような圧迫の気配を漂わせながら、奇妙な質問が飛んでくる。


「なぜレンヤ君は自分の思い描いた通りの姿をした娘と同棲しているんでしょうか?」


 ブホッ!

 何かを口にしていたら吹き出してしまっていたところだった。

 ヤバイヤバイ。どれだけ僕の事情を知られているんだこの女に。

 それより、清廉潔白な父子の関係を同棲と表現するな。


「どうしてそんな事が解るんですか!?」

「驚くなかれ、なんとここは並行世界だからです」

「それ答えになってませんよね? さっきも聞きましたし」

「そこから先は自分で考えよう」


 暖簾に腕押し、糠に釘、豆腐の角に頭ぶつけろ。

 使用したポイント(謎システム)が水の泡となって消えただけの結果に、さすがの僕も怒りが湧いてきた。

 怒りをぶちまけるため机をドンと叩こうと思ったが、その腕はハムちゃんにホールドされている。僕にはこの子のか弱いホールドを振りほどくほどの力を持ち合わせていない。

 諦めて話を進展させることにした。


「コンピュータゲームってわかります?」

「わかるよ。私もレンヤ君と同じ世界から転生してきたからね」

「えっ、そうなんですか?」

「そうなんです。この世界に遭難してきたんです」


 しまったこの人、中身はオジサンかもしれない。

 でもオジサンならば詳しいはずだ。チアキさんへの妙な信頼が芽生えた。


「チアキさんはいつ頃この世界に来たんですか?」

「スレーブメードの情報が公開され始めた頃だから、今から数えると十ヶ月前くらいだね」


 ゲームのタイトルまでズバリ提示されてしまった。

 どうやら僕の転生は完全にこの人の掌の中で実行されたようだ。

 僕の趣味嗜好は見透かされている。そう覚悟しなければならない。

 意を決してカミングアウトする。


「じゃあチアキさんは、僕がスレーブメードでアムちゃんを作るタイミングを見計らってこの世界に転生させたんですか?」

「そうだね。こちらのロム君が別世界の夢を見るようになってから頭痛が酷くなったと相談してきたのをキッカケに、これは転生の兆候だと気付いて手伝ってあげたのさ。二人がこの後も幸せになるためなら受け入れるしかないよ、と諭してあげたらすんなりと誓約書にサインしてくれたよ」


 悪魔だこの人。悪魔に誓約しちゃってるよロムさん。

 とここで、アムちゃんが言っていた言葉をふと思い出した。


「もしかして、チアキさんは呪術師なんですか?」

「そうとも、私が希代の呪術師・マジカル★チアキ様だ!」


 見えないマントをバサーっと開くように手を掲げる大仰な演技を見せつけられた僕は、さらに転生を繰り返すんじゃないかと思えるような頭痛に見舞われたのだった。

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