第3話 眠れない夜に抱いた
朝チュン――
すっかり慣れ親しんでしまった、早朝を告げる小鳥のさえずりに薄目を開ける。
見えるのは慣れない色の壁。
そして腕にはいつもの抱き枕に比べると重みがあり、むにむにとした触感まであるのだから最近の枕は本格的になったものだ。本当に美少女キャラクターをこの手に抱いているかのようではないか。
抱いていた。美少女そのものを。
「父様ぁ、くすぐったいですよぉ……」
胸元をぐりぐりと押し付けられるので顎を引くと、美しいブロンドヘアーから漂う香りが鼻孔をくすぐる。
この過剰なまでのサービスシチュエーションを受けて微睡んでいられるほど、僕は紳士ランクを向上させてはいないのだ。
身体を覆った毛布を引っぺがし、少女がいるのと逆方向へ逃れるように床をゴロゴロと転がり壁に激突。昨晩も味わった感覚に記憶を呼び戻されながら、今の己に何が起こっているのかを悟った。
「待ってください父様ぁ……」
徐々に近づいてくる声のする方へ顔を向けると、自分と同じように床を転がってきた少女がゴロリゴロリと迫ってくる。避ける間もなく体当りされ、哀れ僕の身体は壁と少女に挟まれてプレスハムと化してしまった。
そしてもう逃すまいとばかりに背後からホールド体勢を取られる。だがその腕力は簡単に振りほどけそうなほどに弱かった。
「今度はアムが抱く番〜」
背中越しに投げ掛けられたのは、じゃれつく子供の声音だった。
こんなの、どんなに腕力が弱くたって振りほどけるわけないじゃんか。
この少女――アムちゃんの気が済むまでこのままにしていよう。
心臓が飛び出てしまうのではないかと不安になるくらい脈動する胸を抑えながら、これからどうしたものかと思考を巡らせる。
うん、今を存分に楽しもう。
背中に押し当てられた柔らかい感触を味わうことに没頭するのが正解だと、僕の中の紳士が頷いていた。
+*+*+
「父様、あの……先ほどは甘えてしまいごめんなさい」
(いや、もっと甘えてくれても良かったくらいだよ)
そんな本心丸出しの返答など出来るわけもなく、先ほどまでとは打って変わってよそよそしい態度になってしまったアムちゃんの本心もまた隠されてしまったことを残念に思う。
まだこの少女の事を知って一日も経っていないから想像に過ぎないが、起きてからしばらくは低血圧で頭が回らず、理性よりも本能が露出してしまうタイプなのだろう。
そうだとしたら、父親に甘えたい気持ちがまだ強い年頃なのかもしれない。
父親という立場に慣れていない僕からしたら、こんな好みど真ん中ストライクの子に甘えられてスキンシップされる状況なんて百利あって一害なしなんだけど、父親の立場からすると律しなければならないのだろうか。いや、僕に入れ替わるまで父親だった人が普段から律していたからこそ、今こうして反省の弁を引き出している可能性は高そうだ。
そう思い至ったところで、父親をする難しさが急に押し寄せてきた気分がする。育成シミュレーションとは違う、リアルの責任が伴う感覚によるプレッシャーに勝てる自信がない。
何と声を掛けたらいいのだろう。思うほどに、口から言葉が出なかった。
「今日は目玉焼きに醤油とソースどちらにします?」
「醤油で」
即答した。
僕が入れ替わったこの人物は目玉焼きにソースを掛けることもあるのか。どうしたらそんな発想に行き着くんだ。
それより、この世界は醤油があるんだな。アムという名前は洋風なのに、食文化は僕もよく食べ慣れている日本食のようだ。一体この世界はどうなっているんだろう。後で調べるべき事は多そうだ。
「……うまい」
「しっかり食べて元気になってくださいね」
心遣いに溢れる言葉を発しながら優しく微笑むアムちゃん。実は胡椒も掛けたかったが、この反応が何よりのスパイスだ。ご飯三杯行けそう。
目玉焼きをはじめとする朝食は平均的日本人が想像する定番メニューで構成されていて、質素ながらも僕が一人暮らしで食べていたインスタント食品やコンビニ飯なんかでは足りない栄養素が補給できそうだった。
白米の入っている茶碗を持ち上げると、こちらを見ているだけで箸の動いていないアムちゃんの事が気に掛かった。正直、落ち着かない。
まあ、気になって落ち着かない一つの要因は、体操服にエプロンというなかなかマニアックな組み合わせの服装なのもあるが。
「僕はもう元気だから大丈夫だよ。それよりアムもちゃんと食べて」
「はい、それではいただきます」
手を合わせてから行儀よく食べ始めるアムちゃん。そんな仕草までこの世界も共通しているのか。
小ぶりな口が小刻みに動くのを見ているだけで楽しい。まるでハムスターがヒマワリの種を齧っているみたいだ。
モグモグ、ゴックン――喉が動く様子に見とれていたところで、どことなくジットリとした視線が投げ掛けられた。
「……父様、そんなにじっと見られると食べにくいです」
「ああ、ごめんごめん」
先程と立場が逆になっていたのに気付く。僕が言いたかったセリフを言われてしまって虫の居所が悪い。でもそう思うのならおあいこだ。
アムちゃんとならばこのやりとりを繰り返すだけで僕は楽しめそうだけど、アムちゃんの方はそうでもない雰囲気なので、黙々と食事を平らげることにした。
食事中は喋っちゃいけません。そう父に躾けられていたことを思い出しながら。
+*+*+
「では父様、もし具合が悪くなりましたら電話してくださいね」
「了解」
アムちゃんはこれから造花の販売をするため外出するとのことだった。体操服の上に着ただけのジャージ姿で。
僕の今の立場では服装に文句は付けられない。でも学校に行くわけでも運動するわけでもない、磨けば光りまくりそうな容姿の女の子がジャージ姿で外出するとか、この世界のファッション感覚がズレていることを願わずにいられない。
年季の入った手押し車に載せられたバスケット内には、色とりどりの造花が積み重ねられていた。どうやら家内制手工業、というか内職でこの家は生計を立てているらしい。アムは花が好きなのだろう。黙々と作っている姿が目に浮かぶ。
僕もそうした作業を得意とするところなので手伝ってあげようと思う。さすがに中学生くらいの子が学校に通わず内職と販売をして、親が子のスネ齧りをしているなんて目も当てられない惨状である。
さて。
アムちゃんが外で頑張ってくれている間に、僕は自分の置かれた状況を把握する作業を頑張らないと。
まずはこの世界がわかる書物や地図、そして僕の入ったこの人物のプロフィールがわかるものがあるといいんだけど。
それほど大きくもない家を探索し、僕ならこういう場所にその手の物品を置いておくだろうという場所を当たってみる。
予想通り、タンスの一番上に今の僕のプロフィールがわかる車の免許証があった。
そう、この世界には自動車があるらしい。しかも一見して車の免許証だとわかるほど、あのテンプレート通りのデザインだった。
そして書かれている文字に漢字、仮名のどちらも使われている。異世界なのに文字が読めないどころではなく、読めなければ義務教育の敗北者と認めなければならないレベルだ。
僕の名前はキャラ・ロムらしい。漢字では喜屋良露夢と書かれている。苗字は同じで名前だけ違うのはなぜなのか。転生したにしても中途半端だ。
にしても、こっちの世界でもキラキラネームってあるんだな。
それより何より驚くのが住所で、僕が住んでいたアパートのそれと同一だった。
ここは、東京都あきる野市だった。
悪いなと思いながらもアムちゃんの部屋を(衣服の入っていそうな家具だけは遠慮しながら)探索し、学習机の片隅で地図を探し当てる。
表紙からして僕が中学校の頃に持っていた地図帳と相違ないことがわかる。念の為ページを繰ってみるが、笑ってしまうほど違いが発見できなかった。
日本は日本と書いてあるし、アメリカ合衆国はアメリカ合衆国と書いてある。当たり前のことがこれほど不可解に思えるとは。僕は他の異世界作品に毒されてしまっているからなのだろうか。これが現実の異世界の在り方なのかもしれない。
混乱してきたので、一旦この世界は僕の今までいた世界と同一と判定して先に進むことにする。
アムちゃんの出ていったドアの前まで戻ってくると、そのドアが叩かれる音がした。
もう帰ってきたのだろうか。でもアムちゃんなら叩かずに入ってきそうなものだ。
まだアムちゃん以外の人に会ったことのないこの世界での第二の遭遇者。緊張が走る。
ドアを開けるべきか逡巡したが、ここが勝手知ったるあきる野市ならば、開けたらいきなりスラム街のならず者に襲われるなんてことはないだろうと思い、意を決してノブを引いた。
「やあロム君――それとも今はロム君じゃない誰かかな?」
癖毛のブロンドヘアーに、性格まで癖の強そうな美女がそこにいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます