第2話 メード・イン・イセカイ

 遡ること一週間前、十二月最後の金曜日。


 発売前から一部界隈で話題が持ち切りになっていたVR対応キャラメイキングゲームの「スレーブメード」を購入して、思い描く限り最高の俺の嫁を作るんだと躍起になり、ちょうど冬休みに入ったのをいいことにモニタの前から移動しないままキャラクターの作成に没頭していたら、気づけば四日間が過ぎていた。

 百時間弱に及びモニタの光を浴び続けていた目と、休息を与えられず思考を巡らされ続けた脳の負担は大きく、限界が近づいていることは明らかだった。


 越境入学した専門学校に通っている僕――喜屋良錬冶(きゃられんや)は、親元を離れて誰からも咎められずにゲームをし続けられる環境を手に入れたけれど、逆にそれは無謀な行為を誰からも止めてもらえず、不測の事態が発生しても助けてもらえない環境に身を置いてしまったことを、今になって思い知らされる結果となってしまった。


 もう、今の僕はVRのある世界にはいない。

 ヴァーチャルではない、圧倒的なリアリティしか得られない世界にいた。


「父様、気分はどうですか?」


 百時間掛けて僕が作り上げたメードさんか、僕を父様と呼んで体調を気遣ってくれる、こんな夢のような世界にいるという現実を噛みしめるしかないのだ。


 図らずも肉体を得たメードさんに、僕は何と声を掛けるべきなのか逡巡したが、ここはシミュレーションゲームのご主人様になりきりプレイをすればいいだけなのだと悟り、機械的なまでの棒読みで話を合わせようとした。


「大丈夫だ。お前はいつも優しいな」


 いつもより大きく見える自分の手をメードさんの頭に置いて、努めて優しく撫でる。


「わわっ……父様ぁぁ……」


 素っ頓狂な声を上げ、戸惑いの色を隠せないメードさん。明らかに目が泳いでいる。

 この反応は個人的に好ましいものだけれども、どうやら最初の選択肢は間違いを選んでしまったようだ。


 だけどメードさんよりも僕の方が最大級の戸惑いを感じているのだから、つい選択肢をミスってしまっても許してほしい。

 まさかあのゲーム、VRでイメージする次元を超える技術が盛り込まれた作品だなんて予測していなかったので、これほどの没入感を得られた場合の準備はしていなかったし、世界観を熟知しないままキャラメイクに励んでしまったせいで想定される選択肢を事前に予習しておくことなどしていない。

 何よりもこの圧倒されるリアリティの前ではハリボテの知識など通用しないのではないかと臆してしまう。今までに数多のシミュレーションゲームをプレイしてきた自負はあるけれど、いざ自身がゲーム世界の主人公となったら難易度が段違いに思える。


「父様、やっぱりもう少し横になっていたほうが……」


 気づくと、メードさんの頭に置いていた手が震えていた。

 温かな両手に包まれる。メードさんが手を添えていた。

 ここでようやく、その姿をきちんと目にした。

 先入観からメードだと決め付けていたが、服装はメード服ではなく体操服。僕への呼称はご主人様ではなく父様。

 二人の関係は主従ではなく家族のようだ。

 メードどころか奴隷としても扱えるあのゲームのような世界ではない。そんなのが僕の日常に存在していてはたまらない。

 と、改めて目の前の少女の姿を見定め、血の気が引いていく気がした。


 あまりにも似ている。

 あまりにも、キャラメイクした少女そのものの姿をしている。

 買い取った奴隷に幸せな生活を与えて心からの笑顔を取り戻すという一応のクリア条件こそあるものの、ほとんどのプレイヤーはストーリーの本筋などお構いなしにバッドエンド直行のプレイをしそうなあのゲームで作ったキャラクターの姿が、VRなど遥かに超越したリアリティで眼前にあるのだ。

 視覚情報どころではない。触感まで完璧だ。さらには女の子らしい匂いまである。


 冷静になれ。冷静になって今置かれている状況を把握するんだ。

 まず、この少女は本当に僕がキャラメイクした娘なのか。


∇髪型:少し癖のあるブロンドのショートボブ ・・・ ◎

∇顔:可愛い系だがしっかり者の印象がある意志の強そうな瞳 ・・・ ◎

∇体型:やや栄養失調気味の痩躯 ・・・ ◎

∇身長:140cm程度 ・・・ ◎

∇服装:とりあえず被せておいた白い布切れ ・・・ ◎


 スリーサイズどころか、細かいパラメータまでメモをしながら微調整したので覚えているけれども、さすがにそれを確かめるような非紳士的な行為はバッドエンド上等のプレイヤーに譲ろう。そこまで確かめる必要はないのだ。

 これだけ符合しちゃったらもう否定するだけ無駄だろう。

 今ここにいるのは、僕が作り出したキャラそのものなのだと。


「父様どうしたのですか、アムのことをそんなじっと見て」


 そうだ。最初の設定で主人公をどう呼称するのか選択肢が出た際に、まずはちゃんとハッピーエンドで終わらせたいから養父らしいプレイをしようと、ご主人様や先生、師匠やボスなどの候補から一番妥当っぽい【父様】を選んだんだった。

 ゲームのタイトル通り、進行によっては奴隷として育成して売り飛ばすなんてことも可能で、作品の性質上それがメインコンテンツであることは疑いようのない事実だけど、キャラクターを作り込んでいくうちに父性としての愛情を覚えてしまったのだから売り飛ばすなんて絶対にできないと作成し始めて一時間後には思ったし、三日目には「うちの娘は嫁にやらん!」と意地を張るベタな父親の心情に同意するほどになっていた。

 目に入れても痛くないうちの娘を売り飛ばせるか大馬鹿者が。


「寒いのですね。さあ、戻って眠りましょう」


 つい真似事の父性が身体を動かしていたようだ。うっかり抱きしめてしまった僕に抵抗する様子など微塵もなく、優しい口調で少女は毛布の置かれた場所まで戻るよう促してくれる。

 よくできた娘だ。いつの間にこんな立派な子に育成したのだろう。なぜだか勝手に序盤のプレイを進められていた気分になり、本来の父親に嫉妬心が湧いてしまった。

 そう、キャラメイクこそしたけれども基本設定をしたところまでしか済んでおらず、ストーリーはこなしていないのだ。とここで、そもそも名前すら付けていなかったことに気づいた。

 だが先程、名前らしき単語を口にしていなかっただろうか。


「もうアムは子供じゃないのですから、頼ってくれていいのですよ」


 アム。それが少女の名前なのだろう。

 アム。その響きが心地よい。僕もこの娘にそう名付けていただろうと思える程しっくりくる。

 この世界が英語圏だったら、アイアムアムと名乗るのだろうか。ちょっとおかしい。そんなところも引っくるめて気に入った。


「ユアネームアム?」

「えっ、なんと言いました?」


 ちょっとどころか、だいぶおかしい発言をしてしまったようだ。何を言っているのかサッパリわからないといった様子の顔をされてしまった。

 どうやらこの世界に英語は一般的でないらしい。


「アム、だいじょうぶだからもう寝よう」

「はい、おやすみなさい父様」


 ゲームの中の父様がどのような口調なのか不明なため正解かどうかわからなかったが、自分なりに自然体で対応すれば悪いようにはならないだろう。そう思えるくらい、アムは父親である僕に心を許してくれていると、この短い時間で感じ取れた。


 すぐに慣れることはないだろうし、緊張して寝付けないかもしれない。でも今更部屋を追い出す気にもなれない。アムが側にいてくれる幸福感を知りつつあるのだから。

 目を閉じて視覚を断っても独りではないことを感じる。毛布だけでは発生しない温もりと、穏やかな寝息、自分のものとはまるで違う匂い、絡められる足。


 アムちゃん、僕のこと寝不足だからちゃんと寝てくださいって言ったよね。

 ありがとう、君のせいで今夜は一睡もできなさそうだよ。

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