第零話(この話の詳細が”第零部”になります)


 森にて、圧倒的な数の「レッドファング」の群れが蠢いていた。


 その数はおよそ五十数体。


 レッドファングは集団性のある体長2メートルほどの狼で知性も高く、赤い体毛を持つ非常に凶悪な魔物だ。


 魔生物指標ではDランクに位置する。同ランクに位置する冒険者でも、一対一の状況を作り出せない限り、単体で相手をするのは困難だ。


 赤い体毛は、獲物の返り血によるものだと言われおり、より赤い個体ほど強い傾向にある。


 そしてその目前には、一人の男が立っていた。


 長い深緑色の外套を羽織ったその男の左腕はアームホルダーに収納されており、とても万全には見えない。彼の場合そのアームホルダーは左腕を隠すための役割しか持たないが。


 魔物の大群を目の前にしても、彼には特に焦った様子などない。


 その表情にあるのは静かな怒りだけだ。


 すでに彼の後ろには五頭の狼が骸になって転がっている。


 手に持った鍔のない刃渡り1メートルほどの黒刀を振るい、そこについた血液を地面へと振るい落とした。


 するとまるでそれが合図だったかのように、複数のレッドファングが彼の首元へと飛びかかってくる。


 彼はまるで地面を滑るようにレッドファングたちを躱した。すると彼が通り過ぎた道にまた三匹の骸が転がる。


 その名も「魔走術」。


 彼はオリジナルであるこの特殊な魔法をそう名付けた。北方にある国で見た、平らな氷上を滑るスポーツから着想を得た魔法だ。


 地面と自身の足の間に、魔力によって空間を生み出し、その結果地面との摩擦を極限まで軽減し、まるで氷上を滑走するかのように移動することが出来る。


 身体能力強化魔法と併用すれば、その速度はもはや人間には再現不可能な領域にまで至る。


 また魔法によって初速を極限まで高めている為、野生に身を置くレッドファングですらまるで反応することができず、その命を絶たれるだけだった。


 彼はまるで滑るようにレッドファングたちの間を走り抜ける。


 時に回転しながら、時に宙を駆けながら。


 この「魔走術」において、地面という概念はない。全てが彼の領域であり、全てが彼にとって地面だ。


 骸は次々にその数を増やしていった。


 やがて五十体以上もいたレッドファングの数も、もはや最後の一体になっていた。


 そうして残された個体は集団の中で最も大きく、恐らくはこの群れの長だろう。


 彼に対し歯をむき出し、全力で威嚇している。


 しかし彼は、それを歯牙にもかけない。


 そんな彼に群れの長である個体は飛びかかることすらできず、ただひたすらに威嚇するばかりだ。


「グルルルルゥ」


「理解したか?」


 彼はそんなレッドファングに諭すように話し始めた。


「これが道楽で命を奪おうとするお前達の末路だ。お前だけは生かしてやる。学習しろ、そして子孫に伝えろ。行き過ぎた道楽は死を招くと」


 そういうと彼は、最後の一頭であるその個体の後頭部を黒刀の峰で殴った。


「ギャンッ!?」


 たったの一撃で、レッドファングは意識を失った。


 次に彼は、静かになった森でまた耳を澄ました。


「…まだ終わりじゃない」


 彼は静かな森を再び滑走した。


 探し求めるはこの森を職場とする一人の冒険者。その子供から救出を依頼され、彼はこの森へと入った。


 守るべきものを守れなかったあの日の彼は、すでに存在しない。


 一閃。


 遠くにいるはずの冒険者へとすぐに到達し、その目前へと迫っていたレッドファングを斬り捨てた。


 すると安心したのか、彼の目前で冒険者は力尽き、そのまま気を失ってしまった。


 冒険者の生存を確認すると、付着した血液を落とすために彼は黒刀を振るった。


 その瞬間、黒刀はただのステッキへと形態を変えた。


 銀色の羽を閉じた梟の柄が付いたこのステッキは特別製であり、伝導率(伝導率:この世界では物質への魔力の伝わりやすさ。電気における役割が魔力に入れ替わっているため)の高い形状記憶魔導金属でできている。


 非常に繊細な加工技術を必要とするため、武器化できる鍛冶屋は少ない。


 ステッキにはいくつかの形態が保存されており、特定の魔力を流すと保存された任意の形態をとる。


「…よく頑張ったな」


 そんな声をかけると、彼は冒険者を肩に担ぎ、再び森を滑走した。


 ●


 無事冒険者を救うと、彼は滞在している宿舎の女主人から一通の黒い洋封筒を受け取った。


「ほら、ギルちゃんこれ。届いてたよ」


「はい、ありがとうございます」


 その中身を見ると、彼は静かにため息をついた。


「行くのかい?」


 宿屋の女主人が彼にそう聞いた。


「はい。また忙しくなりそうです」


「ハハハ、それが宿命さね」


「宿命…ですか?また随分大雑把な」


 そんな憂鬱そうな彼に、一人の少女が抱き着いた。


「ありがとうお兄ちゃん…お父さんを…助けてくれて」


 すると彼は、少女の頭を優しく撫でた。


「気にしないでいい。それが俺の宿命だから」


 女主人はそんな彼の話を聞いて、只々笑っていた。少しだけ眩しそうに、あたたかな彼の優しさに触れながら。

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