第二十六話


 私は十六歳になった。


 どんなに辛い雑用でも、懸命にやり遂げた。


 そうすれば希望の光にたどり着けると、そう考えていたから。


 でも、現実はそんなに甘くはなかった。


 私は信じたくもないその現実から目をそらしていたけれど、私に魔法の才能がないというのは、本当のことだったらしい。


 ろくに魔法を練習する時間もないままに、私の大切な一か月という時間は、あっという間に経過しつつあった。


 それともう一つ、誤算だったのは十六歳になった時に提示された、私が買い取られた金額だった。


 それが本当の金額なのか、嘘の金額なのかは分からないけれど、彼らが私を買い取った金額は、入ってすぐの冒険者が稼げるような金額ではなかった。


 男は私にこういった。


 「貴族の娘」という付加価値は、安くはないと。


 特に”没落貴族”というのは、娼館に送るともっとも客が盛り上がるらしい。


 その説明を受けた時、私は吐き気を催した。


 もしも全てが失敗して、この機会を失えば、私に残るものは本当の絶望だけだと、そう確信した。


 彼らは常に私を見ている。逃げ出すことなんてできない。


 それでも時間は経過していく。


 私の中で風船のように膨れ上がる焦燥が、私の集中力の全てを乱し、魔法の練習なんて全部意味をなさなかった。


 常に追われている感覚と、未来への恐怖心が、私の全ての可能性に蓋をした。


 怖い。


 辛い。


 逃げたい。


 そんな思いが私の心を常に包み込んでいた。


 でもいつも通り私の現実は残酷で、一月という短い時間は私に魔法を与えず、私に機会を与えず、まるで大地をかける動物のように、私の目の前からあっという間に通り過ぎていった。


 ●


「さて、おおむね俺の予想通りの結果だったが、俺は約束を守った。お前も俺との約束を守れるな?」


 男は私の方をあの日と同じ笑顔で見ている。


 その笑顔に込められたものは、純粋な悪意なのだろうと思えた。


「…わかり…ました」


 私がそう返事をすると、男は笑顔で私の元へと歩み寄った。


「機会を下さって、ありがとうございますだろ?お前に与えた一か月で、お前がどれだけ娼館で利益を出せたと思っているんだ?」


 私はいつの間にか涙を流していた。


 私の中に生まれた小さな絶望が、凄まじい速度で成長を遂げ、私という器から大量に溢れ出したからだ。


 彼らの前で涙を流せば、本当に大切な何かを失うと思い、これまでの辛く希望の見えない人生の全てを耐え抜いてきたけれど、今胸の中にあるものこそが本当の絶望だと知った時、あふれる涙を止めることはできなかった。


 男はそんな私を満足げに眺めている。


 まるでこの未来が見えていたかのように、全てを最初から知っていたかのように。


 私はわなわなと震える口を、一生懸命に動かした。


 絶望や恐怖が私の全身を震わし、彼への屈服を求めたからだ。


「機会を…下さって…ありがとう…ございます」


 四つ這いで頭を床に押し付け、私の涙が床を濡らした。


「あぁ、気にすることはない。俺は寛大なんだ。そんな俺の為に、これからお前は娼館で全身全霊働けるな?」


「はい…もちろんです」


「素晴らしい。お前の働きを期待しているぞ。なんの才能もないお前の、唯一の才能を引き出したこの俺の為に働くんだ」


 この男には一生敵わないと思った。


 逆らってはならないと、身に染みて思い知らされた。


 きっと男は絶望を知っているのだ、私よりもずっと深く。どうすれば人をその闇に引きずり込めるのか、どうすればその闇から這い出る意志をなくさせることが出来るのか。


 翌朝、私は娼館へと向かうことになった。


 なんてことはない。


 私の人生とはこんなものだったのだ。


 大きな外套を着せられ、フードを深くかぶらされた。


 これは私が冒険者として活動していた時と同じ格好で、組織の一員である以上他人と一緒に行動するのも禁止されていた。私という存在から全てが露呈する危険があったからで、私は逆らうことができなかった。


「さて、アブド。彼女を娼館に送ってくれ」


「もちろんです」


「それと例の計画にいついてだが…」


 彼は男に恭しく御辞儀をした。


「はい。予定外のこともありましたが、今は順調です。どうも来た調査員は未だ補助員を付けていないらしく、候補を募るとアルバスの野郎が」


「そうか、それで?」


「我々潜入組の内三人が候補になり、無事にそれ以外の候補は出ませんでした。間違いなく三人の内誰かが選ばれるでしょう」


「ふむ、この件をお前に任せたのは正解だったようだな。わざわざドラゴソードテイルの卵を盗んだんだ。二度はないぞ?」


「もちろんです。アルバスの野郎の信用はもうすでに得ているので、問題なく計画を遂げられるはずです」


「そうか、期待している。もしものことがあっても、お前の対応に任せる」


「はい。その信用が、私の力になります」


 二人のそんなやり取りを私はただ眺めた。


 今日という日が、私の人生の分岐点だとは知らずに。

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