アイネ・クライネ・ナハトムジーク:例えば些細なその一言で

第二十五話(元第三十話)

 

 私の名前はアイネ・クライン。


 髪も瞳も藍色で、肌は白い。少しだけ変わった見た目をしているのかも。


 でもそんなことは私を構成する小さな要素の一つでしかない。


 私はとある国の貴族の、五人目の子供だった。でも貴族として裕福な暮らしができていたのは、私が五歳になる頃までだ。


 クライン家はあることが原因で、貴族という称号を剝奪された。家から追い出されたあの日を今でも時折夢に見る。もちろんそれは私にとって悪夢だ。


 でも私からすれば、問題はそのすぐ後にあった。


 いわゆる没落貴族になった私の両親に、五人もの子供を育てるほどの財力は、もちろんなかった。


 私と、私の一つ上の兄は…売られた。


 とある組織の、一労働力として。


 私は呪った。あまりに残酷な、自分の運命を。


 ●


「お願いします!私を冒険者にしてください!両親から私を買い取った額の倍、冒険者として稼いで、あなた達に必ず納めます。だから、どうか!」


 組織の一員となったその後、私は雑用として必死に働いていた。


 やがて十年がたち、いつの間にか私は十五歳になっていた。


 来年になれば成人だ。それは本来なら私だけの人生が始まるはずの年だ。


 だからこそこの腐った人生から脱却するために、とある日、私はこの場所の長にそう懇願した。


「ダメだ!お前みたいな無能に何が出来る?見込みのないお前の冒険者稼業よりも、お前を娼館に売り払って、お前の体で稼いだ金を貰うほうが遥かに儲かるに決まっている!」


 男は椅子に座り、私をゴミを見るような目で見た。


 私はある組織の末端として、祖国からジグザス王国近辺にある隠れ家へと派遣された。


 支部を立ち上げてまだ少ししか経っておらず、仮に子供でも人手が必要だったらしい。私以外にもそうした子供は何人かいて、性別は様々だった。


 自分で言うのは少し躊躇いがあるけれど、私は幼いながらに容姿が整っていた。そのおかげもあってか、他の子供よりも少しだけ丁寧に扱われていた。


 豪華な食事が食べれるわけではなかったけれど、私に対する教育に暴力はなかった。彼がさっき言ったように、私を出来るだけいい状態で娼館に売り渡したいという利己的な考え方からだと思う。


 そこに優しさなんてないのは、子供の私にも理解できた。


「お願いします!魔法使いになるのが昔からの夢で…どうか…慈悲を」


 まるで神に謁見したかのように、私は地面に深く頭をこすりつけ、彼に懇願した。私の中でいつの間にか崩壊していた自尊心が、それを黙認していた。


 少し経つと、そんな私の側に、椅子から立ちあがった彼が歩いてきた。


 そしておもむろに私の髪を鷲掴みにすると、そのまま頭を持ち上げた。


「お前、面白いな。根性がある。わかった、お前に一度だけチャンスをやろう。お前が十六歳になったら、冒険者ギルドに入ってもいい」


 彼から出た以外にも優しいその言葉に、私は涙を流して喜んだ。


「ほ、本当ですか?」


 男は私の頭からゆっくりと手を放すと、そのまま椅子に戻った。


「あぁ。ただし条件がある。お前は間違いなく無能で、戦闘におけるなんの才能もなく、ましては魔法なんて使えるわけがない。しかし俺にも慈悲はある。お前が十六歳になってから一月だけ時間をやる。もしもその一月以内にお前を買い取った額を丁度収めることが出来れば、お前の冒険者稼業を認めてやらないこともない」


 彼は珍しく笑っていた。そしてその笑顔は、単純な私が希望を抱くには十分すぎるものだった。


 幼い時から組織に教育され、常識も何も知らない私が希望を抱くには。


「あ、ありがとうございます」


 私は再び、深く頭を下げた。


「でもな、俺たちも慈善活動でお前の両親に金をやった訳じゃない。俺はお前に絶好の機会を与えた。だからもしもその機会を不意にした時は、お前は従順に娼館で働くことが出来るな?」


「も、もちろんです」


 怖くなかったと言えば嘘になると思う。でも従順なふりをしていなければ、神様の恵みかと思えるほどのこの機会を、永遠に失ってしまうと思った。


 私は男の出した条件を、その場で了承した。

 

「もちろんお前はまだ十五歳だ。十六歳になるまでは、この場所で雑用を続けてもらうことになる。どんなに辛くても、根を上げるなよ?」


「わ…分かりました」


 今でもあの時の男の表情は、私の脳裏に焼き付いている。


 そう、あれは…確かに満面の笑みだった。

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