ヘキサス森林地帯調査開始

第十話(元第十五話)


―調査一日目―


「ハァッ…ハァッ…」


 男は仲間とはぐれ、一人で逃げていた。


 いつも通りの森で、いつも通り遭遇した、いつもの魔物は、普段と同じ強さではなかった。


 荒野地帯の強力な魔物とは違い、森林地帯の魔物はそこまで強くはなかったはずだが、やはり例によって強さが変動していた。


 多少の変動ならばなんとかなるかと考えていた男は、今この瞬間にその考えを改めさせられていた。


 つい先ほど右腕に切り傷を付けられ、男はそれだけで戦意を失っていた。


 だが逃げるしかない。その意志すら失えば、後は食われるだけだ。


 自身が身を置く世界がどれほど残酷なものか理解している為、ただ必死に逃げるしかなかった。


 すると必死に走る男の目の前に、男女二人組が見えた。


「あ、あんたら!逃げた方がいい!ここの魔物は今、普通じゃない!」


 それでも二人は前進を止めることなく、男と入れ違いに奥へと進んでいった。


 男は彼らを助けるか一瞬だけ考えるも、その制服を見て考えを改める。


 ”俺に任せて先に行け”の対義語、”あいつに任せて先に戻る”を発動し、そのまま必死に逃亡を続けた。


 ●


「あの…ギルロックさん。今凄い筋骨隆々な人が隣を通り過ぎませんでしたか?」


 走っていった男の方へと振り返り、アイネは警戒しながら話す。


 この森は以前ギルロックが調査していたアッポウ村よりも遥かに木々の背が高い。どの木も背丈三十メートル以上は優に超え、両手を広げて幹を囲むのに最低四人は必要だろう。


「あぁ」


「それも…逃げろとも言っていたと思います」


「そうだな」


 ギルロックはただ正面を見続け、前進を続けている。逃げる素振りも警戒するそぶりも一切なく、アイネを不安にさせるには十分な振舞いだった。


「に…逃げないんですか?」


「あの男の右上腕にあった切り傷を見たか?」


 自分の問いかけとは全く関係のないその返答に、彼女はキョトンとする。未だギルロック・ホームズとの関係性は浅く、こうした場面はよくある。


「えっと…怪我はしていたと思いますけど、切り傷かどうかまでは…その」


「そうか、今後は見ておくといい。冒険者が負っている傷は、その魔物の重要な手掛かりになる。例えばこの森、この地区で、爪ではない一直線の切り傷を与えられる魔物はかなり限られる」


「な、なるほど」


「ほら、答えが走ってきたぞ」


 ドタバタと足音を鳴らし、前方から魔物が走ってくる。


 前方から走ってきたのは二足歩行の爬虫類のような魔物で、顔つきは竜に近く、体長は三メートルほどもある。


「あ、あれって!!??ソードテイルゲッコーじゃないですか!?」


 ソードテイルゲッコーとは、剣のような鋭い尻尾を持つ魔物だ。一応は竜種に分類されているが、竜種内ではとても弱い。


 灰色の体で、全身を鱗ではなく薄い皮で包んでいる。唯一刃のような形の尻尾にだけ鱗があり、それが剣のような役割を果たしている。二足歩行をするため、後ろ足は発達しており、対照的に前足は退化している。手は全く使わず、口と尻尾と後ろ足だけで生きているからだ。


 全身が尾を形成する鱗のように固ければ非常に強力な魔物だったが、攻撃の代わりに防御を失った一長一短の魔物だ。


 指標ではDランクに位置する。単独行動が多く、集団で活動する冒険者なら比較的容易に対処できるからだ。


「正解だ。魔物の知識はちゃんとあるみたいだな。ホッとしたぞ」


「いや、そんな落ち着いている場合じゃなくて!逃げましょうよ!」


 アイネが今更そういうが、ソードテイルゲッコーはすぐそこまで来ている。その迫力に怯えた彼女は木の後ろに逃げようとした。


 その瞬間、ギルが手に持つステッキを一振り。一瞬にしてステッキは黒刀へと形を変えた。


「え!?」


 アイネは逃げるのをやめ、ステッキに注目してしまった。ギルロックから特に戦闘手段などを聞いていなかった為、驚くのも無理はない。


 彼はまるで力を入れる様子もなく、ただ黒刀を投擲した。ビュンっという音がなり、そのまま黒刀は面白いくらい真っ直ぐに飛んでいく。


 未だ走り続けるソードテイルゲッコーは急に止まることも、横に逸れることもできず、そのまま向かってくる黒刀へと正面衝突。


 黒刀は一発でソードテイルゲッコーの急所である、胴体正面にある心臓部に深く突き刺さった。


 勢いをそのままに、転がりながら倒れたソードテイルゲッコーは絶命した。


「…え?」


 アイネは唖然としながらソードテイルゲッコーの亡骸を見た。


「君が一人で戦う時はこういった手段はお勧めしない。例えば他にも魔物がいた場合に、こうして武器を手放すのは間違いなく悪手だ。いくつか魔法を使えるだろうから、それで遠距離から倒してしまうのが一番だろう」


 ギルは淡々と説明しながら目前まで転がってきた魔物を眺める。


 そして無造作に右手を開くと、そこへ勝手に黒刀が飛んで戻ってきた。


「俺の場合はこういうこともできるので、今回は投擲といった手段をとった」


 さらに黒刀を一振りすると、ステッキへと形態が戻り、同時に付着した血がはじかれ、地面へと落ちた。


「今後も一緒に調査を続けるうえで、君にはしっかりと強くなってもらわなくてはならない。ちゃんと教えるから、勉強しながらついてきてくれ」


「あの…」


「ん?」


 淡々と話すギルは、彼女へと視線を移した。


「………言いにくいんですけど」


 彼女はそういうと、真下を指さした。森ということもあり、雑草が生い茂っているが、それでも地面が少しだけ湿っているのが分かる。


「…川へ…行くとするか」


 前途多難でしかないこの補助員に、彼は頭痛を起こした。

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