-2話


 ワイアットへと先回りする際に、レッドファングの群れの数は確認した。


 およそ五十数体という凄まじい数の群れだった。


 だからこそわかったこともある。奴らは狩りをしていたのではない。道楽としてワイアットをいたぶっていたのだ。


 俺が奴らの周囲をあえてゆっくりと滑走してやれば、群れは新しい獲物である俺を追い詰めるように動き始める。


 より速く動く、新しいおもちゃが来たとでも考えているのだろう。


 あえてあいつらの意図に沿って動けば、絶壁の側に誘導されていたらしい。いつの間にか目の前が壁になっていた。


 狼の特徴を持つ奴らは、知能もそれなりに高い。


 俺が動きを止めると、ようやく奴らは姿を現した。


 木の陰からゆっくりと、こちらを観察しながら。


 最初に出てきたのは五匹程度で、後は観客のつもりなのかこちらに出てくることはない。


 五匹は矢じりのような陣形をとっており、先頭の一匹だけがややでかい。あたかも統率のとれた軍隊のような動きをしている。


「アオォォォォォォォォォ!!!」


 すると陣形の先頭に立つ大きな一匹が、唐突に遠吠えをした。


「アオォォォォォォ!!!」


 それに従うように陣形の狼や、森に隠れる狼まで吠え始めた。開戦の合図か、いや恐らくは奴らなりにショーを演出するためのものだろう。


 一通り遠吠えが終わると、森が静けさを取り戻す。ただしその静寂はすぐに終わった。陣形の先頭に立つ狼が俺に飛び掛かってきたからだ。


 大口を開けて、牙をむき出し、勝利を確信して。


 だから俺は現実を奴らに伝える。


 チッという風を切り裂く小さな音を立てながら、黒刀を一閃。


 体を少しずらしてやれば、上顎から上を切り離された狼が俺の横を通り過ぎていった。俺の後ろで崩れ落ち、起き上がることはない。


「理解したか?狩りは、遊びは終わりだ。当然覚悟はできてるんだろ?」


 黒刀をさらにもう一度一閃し、先のレッドファングの血を振り落とす。


 俺が睥睨するも、狼どもは唖然として動かない。ならば俺から動くだけだ。


「甘いんだよ。お前たちは獣なんだ…自然に生きる身で、恐怖を忘れるなんて」


 その言葉を言い終えるのと同時に、魔走術を維持しながら横回転、陣形の中心を滑走、奴らの反応速度を上回る速度で通り過ぎる俺に、レッドファングは全く反応できていない。


 残った四頭もその場で崩れ落ちた。


 残り五十数体。


 群れから怯えるような空気を感じる。


 ただ容赦をする必要はない。


 奴らも怯える相手から下らない道楽で奪ってきたはずだ。


 命を。


 ●


 ワイアットは逃げていた。


 ただ持てる全てをかけて、生き残ろうとしていた。その瞳に先ほどまでの絶望は一切なく、前進のみを続けていた。


 振り返ることすらしない。


 幸いにも村の冒険者である彼は、村に近いこの森には幾度も足を運んでいた。


 確かな土地勘があり、出血で意識が朦朧としようとも、彼の足は村へと一歩一歩着実に近づいていた。


 見苦しくともいい、ただ命をつなぎとめようと前進を続ける。


 倒れそうになろうとも目の前の木に掴まり、側に木がなく結局倒れても、またゆっくりと立ち上がり前に進む。


 彼の脳内にはただ娘の顔だけが浮かんでいた。


「マリ…」


 それでも意志だけではどうにもならないこともある。


 相変わらず朦朧とする意識の中、小さな音をワイアットは聞いた。その音は確かに幻聴ではなく、彼の耳に届いていた。


 一日中夜通し聞くことになった奴らの足音だ。


 近くにレッドファングが迫っている。


「ハァッ…ハァッ…クソッ」


 ワイアットはその足音に思わず悪態をつく。村までの距離はもうそこまでない。もう少し、後ほんの少しで彼は助かるところだった。


 しかし現実は彼に災厄を運んだ。


 小さな足音が少しずつ迫る。それから逃げるために、彼は一瞬も進むことを止めない。もはや諦めるという選択肢は、彼の中から払拭されていた。


「生き…るんだ…絶対に…。俺は…マリの…為に!」


 足を引きづりながらも、必死に進む。


「グルゥゥゥ…」


 レッドファングのうなり声がワイアットの耳に届く。その距離はかなり近い。


 逃亡の中で武装の全てを捨て去っていたワイアットは、唯一残していた小さなナイフをベルトから外し、それを握った。


「逃げ切れないなら…戦うまでだ!!!」


 残った体力の全てを使い、一気に振り向く。


 その行動と、レッドファングが彼に飛び掛かるのはほぼ同時だった。


 彼の目の前にレッドファングの大きな牙が迫る。魔物の軌道は完全にワイアットの喉を捉えており、直撃すれば骨ごと食いちぎられるだろう。


 完全なる死を自覚した瞬間、ワイアットから見える全ての光景が鈍重になり、目の前のレッドファングがゆっくりと彼の首元へと迫る。


 しかし全てが鈍重に見える中、彼はその目で見た。


 鈍重なるレッドファングの背後に迫る、黒い閃光を。


 それを見た瞬間、急激に世界が速度を取り戻し、目の前のレッドファングが一瞬にして切り裂かれた。


 ワイアットの目前に立ち、木々の隙間から射す太陽光を背負ったその男は、ここ最近村に来て仕事をしているギルド調査員の男だった。


 そしてその姿を見た瞬間、ワイアットを包み込んだのは安堵だった。


 彼はそのままその場に倒れ込み、完全に意識を失った。

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