-3話
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何度も調査を繰り返したこの森の景色は、別段目新しくはない。森の木々は、およそ十五メートルほどの高さで、密集度もそこまで高くない。上空から森の状況をある程度確認できるほどには隙間がある。
俺が着地した地点はレッドファングの集団から十メートル以上後ろ、正面に着地すれば獣特有の勘の良さで、一発で探知される恐れがあるからだ。
後は魔物が追い込む先に、見つからずに魔物よりも早く到達すればいい。
俺には最も得意とする移動魔法がある。
独自開発の魔法なので、俺が勝手に「魔走術」と名付けた。
魔力によって足と地面に数センチほどの隙間を作り、摩擦をある程度無視したような動きをすることが可能で、氷の上を滑走するスポーツであるスケートに近い。七年前、雪が永遠に降る国でそのスポーツを見たとき、着想を得た。
浮遊魔法との差は、浮いているのではなく、滑走している点だ。数センチほどの隙間に魔法によって見えない床を再現しており、摩擦を移動に影響が出ない範囲で削っている。
魔法による身体強化と併用すれば、その移動速度はもはや人間には再現不可能な領域にまで至る。
「ふぅ…行くか」
一瞬だけ足に力を入れ、それを解放する。
先ほどの落下を上回る速度で移動を開始した。
相変わらず頬を冷たい風が通り過ぎ、耳に風切り音が鳴り響く。聞きなれた音で、今ではこの音が耳を覆っている間集中力が増すくらいだ。
この魔走術の最も優れたところは、ほとんど無音で移動できることだろう。
遠回りしつつ、数分程でレッドファングの群れを追い抜き、その先に向かう。
「…」
上空から確認したレッドファングの配置を鑑みるに、対象を追い込んでいるのはこのあたりだ。森はすっかり閑散としていて、生物の気配は奴ら以外ない。
周囲を注意深く観察すれば、地面に何かを引きずった跡を見つけた。
…ワイアットは怪我をしている可能性が高い。
俺は再び、今度は跡に沿って移動を開始した。
すると一分ほどでワイアットを見つけた。木にもたれかかり、座っている。
すぐに彼に駆け寄って声をかけた。
「ワイアットさん、俺は村に滞在しているギルド調査員の者です。娘さんからお願いされてあなたを助けに来ました」
髪を短く刈り上げ、無精ひげを生やしている。体毛はマリと同じく茶色で、顔立ちやその特徴からマリと家族だと断言できる。
疲れているのか、ワイアットは目をつぶっていたが、俺が声をかけるとようやくその目を開き、けだるそうに返事をした。
「あ…あんた。見覚えがある。そうか…助けに…来てくれたのか」
素早くワイアットの体を観察すると、右足のふくらはぎと、腿に噛み跡があった。
過剰出血により意識も朦朧としているようだ。
見るからにあまり芳しくない状況だ。
「とりあえず出血は魔法で止められます。ただ失った血を元に戻せるほどの魔法は、俺には使うことができません。どんなに体が辛くとも、あなたが自分の意思で動くしかない」
無論、血液の状況すら改善する魔法は存在する。ただ俺の専門分野ではなく、出来ても応急処置がいいところだ。
「…」
ワイアットは少しだけ考えるような素振りをすると、ゆっくりと口を開いた。
「俺は…もうだめだ。レッドファングの野郎どもにも…囲まれちまってる。このままじゃあんたまで巻き込ん…じまうだろ?いいんだ…俺が…馬鹿だった…。俺が奴らの餌になるから…あんたは逃げろ」
長時間の逃亡と、出血による意識の低下、その全てがワイアットを諦めへといざなっていた。彼の瞳にはすでに希望がなく、もはや完全に諦めている。
だからこそ俺は、怒りに震えた。
自分勝手に自分だけの命だと換算して、勝手に死のうとしているこの男が許せなかった。
胸に走る衝動をそのままに、俺はワイアットの胸倉を突かんだ。
「ここにあるものは、この胸の奥にあるのは本当にお前だけの命か!お前が自分勝手に死ぬことを決めて、勝手にこの世界からいなくなって、本当に誰も悲しまないのか?そんな覚悟で生きるなら、最初から新しい命を作るな!」
ワイアットはただ俺の目を見返している。
「お前は生きなくてならない。作り出した命に、責任を取るまでは」
俺は立ち上がった。我慢できずに出した大きな声が、レッドファングをこの場所におびき寄せるからだ。
「彼女の父親はこの世界にお前ひとりだ。一生をかけて彼女を守り、その運命をできる限り見届けろ。それがお前の使命だ」
地面を確認するために持ち歩いているステッキの役割は、一つではない。このステッキは数年前とある魔物から発見された、形状記憶魔導金属というものからできている。
この金属の特徴は愛用の義手と同じで伝導率(伝導率:この世界では物質への魔力の伝わりやすさ。電気における役割が魔力に入れ替わっているため)が高いこと。そしてある程度の形状を保存でき、任意にその形状をとることができること。
その加工の困難さから、この金属を武器化する者は少ない。俺は知り合いの鍛冶屋に頼んだが、彼以外にこれを加工できる者に出会ったことはない。
ステッキにはいくつかの形態が保存されていて、異なる強さの魔力を流すことによって、その魔力量に対応した形態へと変わる。
俺がステッキを一度振るうと、ステッキは持ち手をそのままに形態を変えた。
鍔のない
感情的に戦えば危険なだけ、俺は一度深呼吸をして冷静さを取り戻した。
「…傷はふさぎました。この一帯は今から俺が奴らと戦うのに使います。あなたは逃げてください。自分の為だけじゃなく、娘の為にも」
ワイアットは自分の足を確認し、出血が止まっていることに気付いた。
「だがあんた…片腕が…」
ワイアットがしたのは俺の心配だった。常にアームホルダーで腕を固定していれば、心配されるのは当然のことだろう。
「あなたは自分と娘のことだけ考えていればいい」
もう一度黒刀を振るうと、周囲の雑草や枯れ葉が、その風圧で浮き上がる。
「ギルド調査員っていう仕事は、生半可な実力じゃなれない。知ってますよね?」
レッドファングから彼を引き離すため、俺はもう一度魔走術を発動した。群れを俺の元へと誘導するために。
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