それぞれの気持ち(2)


「ふぅ。これでよしっ、と」


 私が今いるのは、ガレージ横にある貸し別荘専用のゴミ置き場。お昼のバーベキューと夕食に出たゴミを捨て、プラスチック製の蓋を閉める。と同時に、大粒の雨がパラパラと音を立てて蓋に打ち付け始めた。


「それにしてもよく降るなぁ、この雨」


 小走りでガレージまで戻り、肩や頭に付いた水滴を払う。

 海から帰ってくる時よりは、幾分弱い雨。だけど小雨よりは強く、確かな重みと速さをもって木々や地面に降り注いでいる。その拍子に水滴が跳ね、規則的なリズムを刻み、足元の水溜まりに波紋を広げた。


「雨、か……」


 そっと、目を閉じる。


 私の中心から外へ。皮膚の表面に這わせるように力を入れていく。


 その力の行き先はやがて、指先を離れて、水の粒子へ。


「ふぅー……」


 細く、長く、息を吐きながら、徐に目を開ける。


 まず視界に映ったのは、これまでと変わらない大量の雨粒。夜の暗闇の中、変わらない場所に、変わらない音を立てて降り続けている。


 ――刹那。


 その音が、ピタリと止んだ。耳に馴染んでいた雨音と入れ替わるように、視界の端からひとつ、ふたつと、真っ白な結晶がちらちらと揺れ落ちてくる。


 そう、雪。私とは切っても切り離せない、純白の欠片。本来ならこんな季節に降ることなどない、夏の異物。


「はぁー……寒いね」


 周囲にはもちろん誰もいない。私の声は、音もなく暗闇に溶けていく。

 ふと、先ほどまでの肌色とは打って変わった白い右手に、視線を落とす。不純な混じり気が一切ない、透き通るような白色。我ながら、とても綺麗だと思う。……ただ、それと同時に怖くもあった。


 ここ最近、以前に比べて格段に過ごしやすくなった。力の調節もやりやすくなったし、暑い日は倦怠感こそあれど、昔のように全く動けないということはなくなった。人と同じ姿になれる時間も増え、どんどん人の社会で生きやすくなっていた。

 

 だけどそれは、雪女の生き方を考えると、素直には喜べなかった。


「雪女、か……」


 ガレージと外を隔てる柵に、そっと触れる。前はこれだけで霜が付き始めたが、今は特段の変化はない。でも……


「ふぅ……」


 少しでも力を伝えれば、みるみるうちに凍り付いてしまう。それも、二年前より随分と早い。凍っている範囲も予想通りで、かつ整然としている。

 

 おそらく、この能力の早さと正確さが、雪女として生きるための術なのだと思う。

 人の社会に入り込むことはあっても、決して溶け込みはしない妖怪。

 この能力で「相手」を凍らせ、命をもらって生きていく、生き物そのもの。


「……やっぱり私は、どこまでも雪女だよ。佳生……」


 足元の凍った水溜まりに映る私の瞳が、小さく揺れていた。

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