動き出す時間


「ただいま~」


 俺はぼんやりとした声で帰宅を告げ、後ろ手にドアを閉めた。夜も更けてきたので念のため鍵を掛けてから靴を脱ぎ、買い物袋を片手にリビングへと続く廊下に足を踏み入れる。


 結局、道すがら夏生とのことをあれこれと考えたが、結論は出なかった。むしろモヤモヤは溜まるばかりで、一向に晴れる気配がない。


「はぁ……とりあえず、みんなの前では普通にしないとな」


 リビングまでの数メートルで深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせてから、ドアノブに手を掛ける、と……


「ねっ、佳くん! 雨も止んでるしさ、行こうよ!」


「岡本くん、お願いっ!」


 せがむような明るい声がふたつ、少し開いた隙間から漏れ聞こえてきた。帰り道にあれこれと悩み沈んでいた心には、いくらか眩し過ぎる声。だけど、せっかくの楽しい旅行なので、そんな態度は見せたくない。


「ふぅー……夏生とのことは、また今度改めてだな……」


 俺はさらにひとつ深呼吸をしてから、改めてドアの取っ手を握り直し、大きく開け放った。


「おーい、お菓子と飲み物買ってきたぞー」


「あ、霜谷くんおかえり~」


「佳生! 佳生からも何か言ってよ~!」


「待て待て、なんだいきなり」


 そこには、花火が入った袋を前に抱えた夏生と佐原さん。そして、腕組みをしながら何やら悩んでいる岡本の姿があった。


 あ~なるほど。


 ちらりと視界の端に映った、午後十時少し前を指す時計と合わせて、俺は全てを悟った。


「ほら、元々今日の夜にやろうって言ってた花火! ずっと雨が降ってたから無理かなって思ってたけど、止んだからやりたいんだー!」


 やっぱりか。

 予想通り過ぎる言葉に、俺は苦笑するしかなかった。

 抱えていた花火の袋を、ずいっと俺の眼前に突き出している夏生。袋の中には、手花火はもちろん、打ち上げ花火や噴出花火などいろんな花火が入っている。「手に持つ花火をやってみたい!」という夏生のご要望にお応えして、旅行前のショッピングで一緒に選んで買ったものだ。


「んー、こんな時間から?」


 ただ、俺はあえて、おそらくずっと岡本から言われたであろう言葉を返してみる。


「あー、佳生も岡本くんと同じこと言うんだ~」


 案の定、夏生はぷぅと頬を膨らませ、そっぽを向いた。まぁ、当たり前と言えば当たり前だろう。近くには他の貸し別荘もあるし、こんな遅い時間から花火をすれば迷惑がかかるかもしれない。他に方法があるとすれば海まで行くことだろうが、あまり不慣れな土地で夜遅くに歩くのもどうかと思うし……

 

「じゃあさ、この近くだと確かに他の別荘を借りてる人に迷惑がかかるかもしれないから、海まで行くのはどうかな?」


 そこに、同じく花火が入った袋を抱えた佐原さんが、俺の考えを読んだようなタイミングで割り込んできた。


「でもさ、奈々。危なくないか? ここは海から近いけど、それなりの山でもあって結構暗いし」


 ともすると、今度は岡本が腕を組んだまま、俺が考えていたことを代弁する。


「もう、佳くんは心配性だなぁ。全員が懐中電灯かスマホの明かりでしっかり照らして、離れずに歩いていけば大丈夫だよ!」


「いや、でもなぁ……」


 心配そうに考え込む岡本に、「大丈夫だよね!」と、夏生とはしゃぐ佐原さん。


 なんか、いつもと逆なような……?


 ふと、そんな感想が頭に浮かんだ。いつもなら、岡本が率先して言い出しそうなものだし、佐原さんはむしろそれを止める側だ。しかし今は、岡本が止める傍ら、佐原さんが海に行って花火をしたいと言っている。


「おい、岡本。どうしたんだよ? お前らしくもない」


 違和感しかないこの状況に、俺はそっと岡本のそばに行き、耳打ちをした。


「いや、実は……雪村さんが花火したいって言い出した時、ちょっと、寂しそうな顔しててさ……」


「寂しそうな顔?」


 岡本の言葉につられて、佐原さんとじゃれ合う夏生の方に視線を向ける。もちろん、そこには彼が言うような表情はない。


「ああ……。なんか、雪村さんが消えた日と同じような顔、っていうか……」


「っ……!」


 岡本の言葉に、ミニひまわりで彩られた、秋の日のことが脳裏をよぎる。あまり思い出したくない、本当の意味での……夏の終わりの記憶。

 買い出しの帰り道でもそうだったけど、乗り越えたかに見えたあの日のことは、薄い影がまとわりつくように、俺の心の中に僅かなしこりを残している。


「でも奈々は……夏生ちゃんがやりたいことは、私もやりたいって言って……」


「なるほど……そういうことね……」


 どうやら、隠そうとしても無駄だったみたいだ。

 ちぐはぐで、どこか違和感のある二人の行動は、彼女を――俺たちを、想ってのことで……



 ――ねぇねぇ、夏生ちゃんはどの花火やってみたい?


 ――この大きい筒の花火もやってみたいけど、線香花火っていうこの小さいのも良さそう!



 おそらく、夏生自身も、まだ見せていない想いや不安があって……



「なぁ霜谷……やっぱり、この花火は止めにしないか?」



 俺自身も、ずっと……未来を決めきれないでいる。




 だけど――



「いや、やろうぜ。花火」



 岡本だけでなく、少し離れたところで盛り上がっている二人にも聞こえる声で、俺は言った。



「え、おい? 霜谷?」


「えー! 佳生、いいの⁉」



 もうそろそろ、俺も選ばないといけない。



「ああ。せっかく持ってきたんだしな」


「やった! 霜谷くんも良いって言ってるし、準備して行こっ!」



 いつまでも、立ち止まったままではいられないから。



「はぁ、わかったよ」


「わりーな。んでもって、ありがとな。岡本」


「霜谷がいいなら、俺はいいよ。よーし、こうなったらめいいっぱい楽しもうぜー!」





 たとえまた、夏生と離れることになったとしても――。






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矢田川です。

不定期とは言え、更新がとっても遅くなり申し訳ございません(T ^ T)

環境の変化って、大きいですね……(><)


Extraはあと3話で終わります!

ぜひ最後まで見守っていただけると嬉しいです(^^)

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