過去の夏と、今の夏


 昼間、降りしきる雨の中必死に駆けた道を、今度はのんびりと歩いていた。あれほど猛烈に降り注いでいた雨粒は見る影もなく、所々にある街灯がほんのりと夜道を照らし、水溜まりを淡く光らせている。


「こんな真っ暗な中歩いてると、なんだかドキドキするね」


「うん。こんな夜に山道とか、滅多に歩かないもんね」


 そんな夏生と佐原さんの声が聞こえることを除けば、辺りは異様なほど静かだった。あれほど盛っていた夏の虫は鳴りを潜め、風の音すらも聞こえない。二人の少女の笑い声と、四つの足音だけが、暗闇の中で静かに響いていた。




 田舎の山道なので街灯も少なく、スマホの明かりを頼りにしばらく進んでいくと、不意に左右の木々の列が途切れ、視界が開けた。


「わぁ……!」


 少し前を歩く夏生たちが、感嘆の声をあげた。


 貸し別荘から延々と続いていた海岸林や山林と交代するようにそこに映ったのは、深い藍色に染め上げられた海と、波に揺られ海面を漂う光の膜。そして――


「すっごく綺麗!」


 夜空と溶け込み、境界が曖昧になっている水平線の上に浮かぶ、見事な満月だった。


「すげぇな」


 隣を歩いていた岡本が、思わずといった様子でつぶやく。


「あぁ」


 ほとんど反射的に、俺もそう返事をした。

 まるでかぐや姫の物語に出てきそうな、鮮やかで、美しい満月。その近くをゆっくりと流れていく雲の列も、より一層目の前の情景を引き立たせていた。


「ねぇ! 早く行こっ!」


 月の光に引き寄せられるように、俺たちは歩調を徐々に早め、やがて夜の道を駆け出した。




 砂浜まで来ると、やはり深夜ということもあって誰もいなかった。


「やった! 貸し切りだね!」


 テンション高めに、夏生が小さく叫んだ。


「さすがにこんな夜中に来てるやつはいないだろ」


 彼女の言葉に、俺は短くそう返す。


「ふふっ、そーだねー。幽霊が出るかもしれないもんねー」


「おい」


「うそうそ、ごめんー!」


 そんな会話をしながら、道中、夏生に持たされていた花火の袋を開き、シートの上に花火を並べる。岡本が持ってきたものも同じように広げると、それなりの量になった。

 ススキ花火やスパーク花火などの手持ち花火に、噴出花火、打ち上げ花火、線香花火など、多種多様な花火がシートを埋め尽くした。


「よーっし、やるぞーっ!」


 さっきの夏生の三倍くらいの声で叫んだ岡本の頭を、佐原さんがペシリとはたいた。


「声が大きいよ、佳くん。夜中だよ、よ・な・か」


「わ、わかってるって……」


 どことなくいつもの調子を取り戻した二人の様子にほっとしつつ、俺は屈んで花火を眺めている夏生の隣に、同じようにして腰を下ろした。


「夏生は、どの花火からやるんだ?」


「んー、まずはこれかな」


 そう言って彼女が選んだのは、意外にも普通のススキ花火だった。


「あれ? 俺はてっきりこの打ち上げ花火とかかと」


「ふふっ、やっぱり楽しみは後にとっておかないとね!」


 いつもの調子で、夏生は笑った。見ているこっちまで思わず微笑んでしまうような、そんな笑顔。俺はこの笑顔に、何度も救われた。痛熱病で入院していた時はもちろん、おそらく、今も。

 俺はつい何も言わずに見とれていたが、夏生はそれに気づいていないようで、「それにね」と言葉を続けた。


「最初は、この手持ち花火がやりたいんだ」


 それはどこか、妙なトーンだった。彼女が表情を全く変えずに言ったせいもあって、より際立って聞こえた。


「なぁ、なつ――」


 その奇妙さの理由が聞きたくて、彼女の名前を呼びかけた時、


「――佳生も一緒にやろう?」


 俺の言葉の語尾に重ねるように、彼女はそう言った。今度は、どこか懇願するような言い方だった。


 そして、数ある手持ち花火の中から同じものを拾い上げると、「はい、これ」と俺の方へ差し出した。


 やはり、彼女の表情は変わっていなかった。優しげな微笑のまま、俺がススキ花火をもらうのを待っていた。


「……ああ、いいよ」


 彼女の手からススキ花火を受け取ると、俺はおもむろに立ち上がった。


 *


 それから、俺たちは無言で花火に火を灯した。最初に彼女から受け取ったススキ花火の色は、青色。昼間見た夏の空のような、深くて濃い色だった。


 それが終わると、次も同じようにススキ花火を選んで、火を点ける。


 緑、黄、橙、赤……。


 ただひたすらに、夏生と並んで手持ち花火をする時間が流れた。


 そこには不思議と気まずさのようなものはなく、夜の浜辺で、月が浮かぶ暗い海に臨みながら、火薬から光が流れる様子を静かに眺めていた。


 岡本たちは気を遣ってか、少し離れたところで花火をしており、時節こちらを気にするようにチラチラと視線を送ってきている。といっても、時々何やら叫んでは佐原さんの注意する声も聞こえるので、それなりに楽しんではいるようだった。


「ふふっ、楽しそうだね」


 岡本たちの方を見ていたのに気づいたのか、ふと夏生が花火から視線を外して言った。


「あぁ、そうだな」


 努めて普通に、俺は返事をした。 





 そう、普通に……言えているだろうか。





 こんな時、君は決まって気づくんだよな。



 ――何か、気になることでもあるの?



 今日と同じ、夜空が綺麗だったキャンプの夜。静かな山の中で、二人で星空を見上げていた時。

 俺が、「契約のその先」を気にしていたあの日の夜に、君はそうやって聞いてきた。




 そして今も、俺は「その先」を気にしている。




 ここに来るまで、ずっと景色や他のことに注意を向けようとしてみた。


 でも、どうしても、今日言わないといけないことを思うと、気は紛れてくれなかった。



「ねぇ、佳生」



 俺が自分で気づいているくらいだから、多分、きっと、君は――

 


「何か、聞きたいことがあるんでしょ?」



 ――気づいて、聞いてくるんだろうな。



 だけど、俺は――



「さすが夏生。そう、聞きたいことがあるんだ」


 

 あの夜とは違う「その先」を求めて、真っ直ぐに、彼女の目を見つめた。





*****************

矢田川です。

いつも読んでいただき、本当にありがとうございます……!

前回、あと3話で終わりますと申し上げましたが、

構成的に収まりませんでした(;'∀')


では、本当の本当に、あと3話です!

残りのエピソードタイトルは、

「君との契約」

「あなたとの約束」

「これからの夏は、きっと……」

です!

なんとか近日中に更新したいと思っておりますが、果たして……(;´・ω・)

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