ある夏の始まり(2)


 その時の俺は、卒倒するかと思うくらいに驚愕したし、なにより嬉しかった。久しぶりに見た夏生は一段と成長していて、少女の面影を残しつつも雪女らしい美人へと変貌していた。


 驚いたのはそれだけじゃない。彼女のあのよくわからない能力や特性たちが、成長に伴ってかパワーアップしていた。全ては覚えていないが、なんでも自分一人で人間の姿になれる時間が約十時間に増え、かつ前よりも安定しているとか。加えて、自身から発する冷気をそれなりに調整することが可能になって、自分がいても気候があまり変わらないようにできるとかナントカカントカ……。


 あと頭に残っているのは、それを嬉しそうに話す彼女の無邪気な表情くらいだった。


 ……兎にも角にも。そんな話を聞いた後になっては、最早か弱い雪女などというイメージは俺の思考回路には微塵も残っていない……のだが。


「佳生くん? 海浜にそそり立つ溶けない氷像って、素敵だと思わない?」


 これ以上ないくらい完璧な笑顔で、夏生はそう聞いてきた。久しぶりの、脅しかよ。でも、俺もあれから成長しているんだし、そう簡単に引くわけにはいかない。


「いやだって、いろいろパワーアップしてる雪女のどこがか弱いって――」


 そんなふうに思い、こんなことを口にしたのが、そもそも間違いだった。


「あっ! それを見る前に、凍ったお肉とか野菜でお腹満たしてもいいね?」


 より質を上げた笑顔が、夏の日光よりも強く、俺の顔を衝いた。


「……いやぁ、か弱い女の子はやっぱりビーチパラソルの下がよく似合うよな、うん」


 結局。急にリアリティが増すという不測の事態により、俺の反撃は速攻で終息することとなった。


 そんなバカ話をしていると、佐原さんが岡本を引きずりながら戻ってきた。


「ごめんね、準備してもらっちゃって……お昼は私たちがやるから!」


「ううん! 大丈夫! お昼も一緒にやるよ! 久しぶりに奈々ちゃんと料理したいし!」


「えー嬉しい! 私も夏生ちゃんとお料理したい!」


 女子同士、仲良くそんな会話がなされる傍ら、


「おう、霜谷。またイチャイチャしてたのか」


「いや、お前もだろ……って、俺らはちげーよ!」


「なにノリツッコミしてんだよ」


「うるせー!」


 俺たちは、アホなやり取りをしていた。


 それにしても、あんなに恋愛下手だった岡本が今ではかなり余裕を見せていた。さっき引きずられていた時もなんというか、恥ずかしそうに騒いではいるがどこか楽しそうで、慣れている感じだった。


 大学入ると、みんなこんななのか?


 俺は一年高校を留年したため、彼は一学年上の大学二年生。たかだか一年間の大学生活の差で、ここまで精神的に違いがでるものなのかと、感心もさることながら、悔しさも多分に渦巻いていた。


「あ。そうだ、佳くん!」


 そこで、唐突に佐原さんが声をあげた。


「奈々? どうした?」


「……えっと、ね。実は、夏生ちゃんと新しい水着を買いに行ったから、見てほしいなーって……」


 モジモジと照れくさそうに言う佐原さん。なんだか、見ているこっちまで恥ずかしくなってくる。


「…………へ?」


 前言撤回。まだまだ岡本にはそんな余裕はなかったみたいだ。

 この夏の日差しの中、赤くしていた頬をさらに深い赤色に変え、目を右往左往させている。

 そんな岡本の様子にもかかわらず、佐原さんは着ていたピンク色のパーカーのファスナーに手をかけた。服の下に隠れていた肌と水着が露わになる――


「え?」


 前に、視界を冷たい何かが塞いだ。


「……佳生は見ちゃダメ」


 少し強めの声調が、耳のそばから聞こえた。


「はい?」


 わけがわからず、間の抜けた返事を返す。


「もう、いいから!」


「はいっ!」


 さらに語気が強くなったので、俺は素直に頷いた。

 別に佐原さんには恋してないから、大丈夫なんだけどな。ちょっとドキドキしたのは、まぁ男の性として……


「佳生。なんか、変なこと考えてない?」


「考えてないです!」


 そんなやり取りをしているうちに、波の音に混じって岡本の戸惑いつつも水着を褒めている声や、嬉々として喜びはしゃぐ佐原さんの笑い声が聞こえてきた。


「……もう、よくない?」


「……うん」


 ひんやりとした感触が瞼の上から離れ、代わりに蛸もびっくりするくらい頬を紅潮させたカップルが視界に飛び込んできた。


「霜谷くんも、どう思う?」


「うぇ⁉」


 まさか話を振られるとは思っていなかったので、変な声が出た。


「水着だよ、水着。これ、どうかな?」


「ええと……」


 水着の感想って、どう言えばいいんだ?

 恋愛経験は豊富じゃないし、元々愛想は良くない方なので、大学にも親しい女友達なんかいない。どう言おうかと思案しつつ、目の前に立つ佐原さんの水着に目を落とす。


 白い布地にひらひらのレースが付いた、可愛らしいビキニ。水色を基調とし、色とりどりの花々が散りばめられたショートパンツは涼しげで、暑い夏にピッタリだった。


「うーん……えと、いつもの雰囲気と少し違ってていいと思う。なんて言うか、大人っぽい感じ?」


 まるで恋愛ゲームとかにありそうな選択肢選び。外すと面倒なことになりそうなので、恐る恐る感想を言うと……


「そうなの! 今年は、ちょっとキレイ目な水着に挑戦してみようと思って!」


 あ、良かった。どうやら選択肢選びは成功したらしい。

 目をきらきらさせた佐原さんが、満足そうに頷いた。

 やれやれと思いながら、俺は昼のバーベキューの準備でもしようと踵を返した。その時、


「おい、霜谷……お前、他人ひとの彼女に……」


 顔を引きつらせた岡本に肩を掴まれ、


「……佳生のバカ」


 夏生になぜかなじられた。


「ええぇ……」


 選択肢選び、失敗したかも……。


 理不尽な詰問を残して、俺たちの新たな夏が始まった。

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