縮まる距離と、変わる心(2)


 それから、私の名前は再び「夏生」となった。

 ずっと昔。僅か半日の間だけ呼ばれていた名前だったけど、今は違っていた。


 一週間前も、一昨日も、昨日も、今日も。

 そして多分、明日も……。


「夏生ー。明日の午前中は検査あるから、会うなら午後からなー?」


「うんっ! わかったよー!」


「ほんとにわかってんのか〜?」


「むぅ、もちろんだよっ!」


 こんなやり取りをしてるなんて、あの時は思いもしてなかったなー。

 あの時と同じ鮮黄色せんおうしょく舌状花ぜつじょうかに囲まれて、そんなことをふと思った。


 その次の日。

 私は初めて、佳生の「友達」に会った。

 その時の私は佳生から耐性をもらうことに集中してしまい、全く気づかなかった。


「夏生、こいつは俺の幼馴染の岡本佳」


「よろしく」


 佳生の紹介が、わたわたしている私の耳に入ってくる。


 佳生の、幼馴染……?


 なされるがまま握手を交わし、慣れない自己紹介をする。直後に佳生に笑われたのが、なんだか無性に悔しい。


 でも……そっか。


 心のどこかで憑き物が落ちたように、安心したのがわかった。

 佳生には、辛い時に頼ることができる、助けてくれる友達がいるんだ。幼馴染ってことは、長い間友達だったってことだから、佳生もおそらく、かなり信頼しているんだろうし。今も、私とはまた違った、親近感に溢れた笑顔でその幼馴染さんと話してる。


 これなら……治った後も、大丈夫だよね?


 かけがえのない大切な人を支えてくれそうな人に会えて、私は嬉しかった。嬉しかったけど……。

 どこかモヤモヤしている自分がいることも、また事実で。それが何かわかったのは、そう遠くないキャンプの日だった。




 示ヶ丘キャンプ場へキャンプに行くって決まった時は、喜びと同時に、一抹の不安も私の心の中に漂っていた。

 この頃の私と佳生は、以前に比べてかなり仲良くなってしまっていた。遠慮なく相手のことをいじったりできるし、それなりのわがままも言えた。「夏生」という名前が、明らかに私と佳生を近づけていた。


 そんなことを思いつつも、キャンプは私がやりたかったことの中でも上位にランクインしていたので、期待も大きかった。だってキャンプは……ずっと昔から、遠くで眺めていることしかできなかったから。


 そしてキャンプ当日。思いがけず、なんと私に一人、友達と呼びたい子ができてしまった。


「わ、私……佐原、奈々って言います。よ、よろしく?」


「え、なんで疑問形?」


「え、えと……な、なんとなく?」


「なんとなくって……ふふっ、面白いね! 私は雪村夏生です! よろしくね?」


「う、うん……」


 彼女は最初あんまり話してくれなかったけど、次第に打ち解けてくるといろんなことを話してくれた。内気で上手く話せる相手が少ないこと、私がぐいぐい話してくれるのがむしろ嬉しいことなど……。「えー⁉ どういうことー⁉」って言ったら、「そういうところだよ」って微笑まれたんだっけ。


 彼女――奈々ちゃんといる時は、ウキウキする楽しさ、心躍る高揚感みたいなのがあった。お喋りしてると、もっといろんなことを話したくなって、聞きたくなって。


「奈々ちゃんって、岡本くんのこと好きなんだよね?」


「え、えぇ⁉ それは…………うん……」


「へぇー! 私、好きって気持ち、あんまりわからないんだよねー」


「え、そうなの? ……あの、霜谷くんのことは?」


「んーどうだろ……あ! ねねっ! 好きって、どんな感じか教えてくれないかな?」


「えぇ⁉ 恥ずかしいよ……」


「お願いっ! 奈々ちゃん神様仏様~っ!」


「うぅ……その、えとね――」


 そんな、恋バナなんかもしたりして。


 いつだったか。ちらりと遠目に見た、歓談に興じる女の子たちのように。「〇〇ちゃんが友達で良かったー!」なんて言ってはしゃいでいた、彼女たちみたいに……。


 そこで私は、はたと気づいた。


 私も、友達と遊んでみたかったんだな、って。


「ねぇ、奈々ちゃん。もし良かったら――」


 ――私と、友達になって欲しいな。


 そう言いかけた口を、私はそっと閉じた。行く先を失った言葉を飲み込み、高鳴った心を落ち着かせる。

 ダメ。だって私は、佳生の病気を治したら、きっと……。


「どうしたの? えと……夏生、ちゃん?」


 どこかぎこちなく、彼女が尋ねてきた。その言葉に、ふと我に返る。


「あ、ううん! えとね、岡本くんとの馴れ初めを聞かせてほしいなって!」


「えぇー⁉」


 これ以上、求めちゃいけない。奈々ちゃんと友達になれても、私の行く末は決まっている。もう、失うものを増やしたくない……。



 そんなことを思ったりもしたけど。私の中に芽生えた新しい気持ちは結局、もう少し後――水色のシュシュをきっかけに叶えられてしまうのは、また別のお話。



 ただそれでも。この時の、私は――



 奈々ちゃんと一緒にいる時の気持ちと、佳生に対する気持ちの違いも噛みしめながら……



 ――その気持ち達を、心の奥底に押し込めずには、いられなかったんだ。

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