また、いつか……


 佳生の呼吸が落ち着いたのを確認して振り返ると、懐かしい顔が二つ、私を見ていた。そんなに長い時間離れていたわけでもないのに。どうしてか、とてもとても長い間会っていないような、そんな感じがした。


「岡本くん、奈々ちゃん」


 なるべくいつもの調子で、二人の名前を呼ぶ。

 私は、ひどく緊張していた。

 いざ雪女を目の前にして、怖くないだろうか。


 ――く、来るな! 化け物っ!


 幼い頃に何度も言われた言葉が、蘇る。

 足は棒のように、動かない。動かせない。それは、この気温のせいだろうか。それとも、私の中にうごめく、二人に嫌われたくないという恐怖心のせいだろうか。


「夏生、ちゃん……」


 それまで固まっていた奈々ちゃんが、一歩、踏み出した。


「夏生ちゃん……っ!」


 大好きな友達が、私の名前を呼んでくれた。何度も、何度も。その声に吸い寄せられるように、私も手を伸ばした。


 温かな感触が、私を包み込んだ。

 雪女の身体に熱は厳禁だ。

 ……それでも。私はこの温もりを、決して手放したくない。


 皮膚の表面から沁み込んでくる温度を。


 彼女の涙が伝えてくる暖かみを。


 この胸を衝く、痛くもかけがえのない温かさを。



 ……



 ……だけど、


 私は、言わないといけない。伝えないといけない。


「奈々ちゃんも、謝らないで。私が、言わなかっただけだから……。だから、今、言わせてほしいの……」


 私の胸で泣きじゃくる一番の友達をそっと離し、見守るように立っている彼女の恋人へと、視線を向ける。


「私のことと、今後のこと。そして……最後のお願いを、聞いてほしいの……」


 それから、私は全てを話した。

 私の正体や、能力について。佳生との契約。これまでどんなふうに過ごし、何を思って生きてきたのか。

 岡本くんと奈々ちゃんは、黙って聞いてくれた。真っ直ぐ私を見つめて、真剣に。


「――それでね。ここからは、佳生も知らないことなんだけど」


 こんな私を想ってくれて、探してくれて、ここまで来てくれた二人に、本当は言いたくない。だって、それはあまりにも残酷で、悲しい現実だから……。


「私は、佳生の病気を治したら、多分……消えちゃうの」


「え?」


 岡本くんの顔が、こわばった。


「佳生の病気は結構進行してて、今日中に治さないといけない」


「……」


 奈々ちゃんは、凍り付いたように動かない。


「だから、二人とも……ここでお別れかな」


 なるべくはっきりと、二人に伝わるように、私は言った。風が凪いだ辺りは驚くほど静かで、虫の鳴き声も、鳥の羽音も聞こえなかった。だから、私の言葉は確実に、二人に届いている。


「私は、ずっと独りだった。生まれてから、何人もの人に会ったけど、みんな逃げていった。当たり前だよね……肌も目も色が違うし、明らかに私の周囲には冷気が漂ってるし……」


 視線を落とすと、ミニひまわりの花びらや他の野草に、薄っすらと霜が付いていた。その下に見える土の感触は幾分固く、そして白い。


「だから、私はずっと人が怖かった。逃げられるのも、怖がられるのもよくあることだったし、慣れようと頑張った。雪女と人間だし、相容れるのがそもそも難しいって、仕方ないって、言い聞かせたけど……慣れなかった。逃げられるたびに悲しくて、怖がられるたびに辛くて……」


 だから私は、このキャンプ場の奥深くに隠れ住んでいた。隠れていれば、人に会わないから。人に会わなければ、傷つかないから……。


「だけどね……佳生に会って、彼の温もりに触れたら……もう一度だけ、頑張ってみたいって思ったの」


 すぐ近くで寝息を立てている彼に、ちらりと視線を送る。気絶したのになぜか安らかで、少し眩しそうに、彼は眠っていた。


「そうしたら……私に、岡本くんと、奈々ちゃんっていう友達ができた」


 佳生から視線を外し、目の前に立つ二人へと戻す。


「岡本くんは明るくて、どこか本音を隠してたり優柔不断だったりするところもあるけど、とっても友達思いで、夢に真っ直ぐで……。佳生が今まで頑張ってこられたのも、岡本くんがいたからだと思う。……ふふっ。その意味じゃ、一種の戦友みたいな感じかな」


「いや、戦友って」


 硬くなっていた岡本くんの表情が、少し緩んだ。

 うん……そう。そんなふうに、笑っていてほしい。


「奈々ちゃんは、最初はなかなかお話してくれなかったけど、打ち解けてきたらいろんなお喋りをしたよね。お買い物なんかにも行って、一緒にシュシュを選んで、美味しいご飯を食べて……ずっと友達だよって、言ってくれて……」


 本当に、楽しかった。佳生や岡本くんとはまた違った、女の子同士だからこその楽しさ。私には一生経験できないものだとばかり、思っていたのに……。


「……ふふっ。でも一番楽しかったのは、奈々ちゃんが岡本くんについて話してる時だったなぁ~。岡本くんのちょっとドジなお話とか、真剣に取り組んだ歌詞作りのお話とか……初めてキスをしたお話とか」


「夏生、ちゃん……」


 ずっと固まっていた奈々ちゃんの頬が、少し赤くなった。

 よしっ……。ちょっとは、気が紛れてくれたかな?


「二人が喧嘩したときは、すっごく心配したんだよ? まぁその後は仲直りして、なんならもっとラブラブになったみたいで、良かったんだけど」


「夏生ちゃん……」


 もっと赤くなっている奈々ちゃんに、精一杯の笑顔を向ける。


「……奈々ちゃん。岡本くん。私の本当の姿を見たのに……怖かったかもしれないのに、ここまで来てくれてありがとねっ」


 上手く、笑えているかな? 大丈夫かな?


「そんな優しい二人にね。どうしても、お願いしたいことが――」


「――夏生ちゃん……っ!」


 小さな衝撃と、確かな温かさが、再び胸に広がった。意表を突かれた私はバランスを崩し、お花畑の上に尻もちをついた。


「奈々、ちゃん……?」


 私に覆い被さるようにして抱き付いている友達の名前を、噛み締めるように呼ぶ。


「……私、夏生ちゃんの笑顔が大好きだった。太陽みたいに眩しくて、向けられてるこっちが思わず笑いたくなるくらいの、すっごく綺麗な笑顔だった」


 頬から鼻先、耳……そして目まで真っ赤にした彼女は、震えていた。


「でも……私、今の夏生ちゃんの笑顔は嫌いだよ……。私たちに気を遣って、悲しい気持ちを押し殺して必死に笑って……」


 ……そっか。さっき、赤くなってたのは……


「いつまで、我慢してるの……? 最後なんでしょ……? 最後くらい、素直になってよ……」


「奈々、ちゃん……」


 今までなんとか鮮明を保っていた彼女の輪郭が、ぼやけた。


 嬉しかった……。すごく、嬉しかった。



 ――だけど。



「……ありがとう。でも、まだなの……まだ、私は……っ……」


 その時。奈々ちゃんは私の頭を、優しく包み込んでくれた。


「……ごめん。そう、だよね……。まだ……ぐすっ……霜谷くんと……話して、ない……もん、ね……」


 私は、そのまま……なされるがままに、彼女の胸に顔をうずめた。



「……っ……二人に、最後の、お願い……。私が、消えた後……佳生のこと、お願い……」


 溶けるかと思うくらいに、そこは温もりに満ちていて……。





「う……ううっ……わかっ……ひっく……わかった、よ……っ!」


 大好きな友達の冷たさは、これ以上ないくらい心地よくて……。





「……ああっ! 任せて……くっ……くれっ!」


 これが二人のためになるのだと、自分に言い聞かせて……。





 私たちは、



 俺たちは、



 ――涙を浮かべて、「ばいばい」と、



 ――笑顔で、「またね」と、




 手を振って、別れた。




Side2<完>

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