第63話 やりたかったこと。


「なぁ、夏生」


「ん? なに?」


「夏にやりたいこと、他に何かないのか?」


 俺の問いかけに、夏生は「う~ん……」と口元に人差し指を当てた。


「あの青空から、飛び降りてみたい」


「はい?」


 初っ端から、想像の斜め上をいく回答が彼女の口から飛び出した。


「ほら、前に佳生の病室のテレビで見た、その……なんだっけ? スナイパーダイビング、みたいなやつ」


「……スカイダイビング、か」


「そうそう! それっ!」


 なんだよスナイパーダイビングって……こえぇよ!

 空からたくさんのスナイパーが降ってくる。そんな絵面を想像して、俺は苦笑した。


「あとはね~、前に夏祭りで見た盆踊りもしてみたいな」


「ほうほう」


 可愛らしい浴衣に身を包み、やぐらの周りで踊る夏生。見てみたい、かも。


「あっ、あとあと! 岡本くんや奈々ちゃんとお泊り会したい!」


 佳生がずっと隣にいてくれたら、雪女姿に戻るのも気にしなくていいし! とサラッと照れるようなことも言いつつ、彼女は無邪気な笑顔を浮かべた。


「そして夜中にはやっぱり……怪談話、だよねー」


「は?」


 待て、この流れ。どっかで……


「あの時の佳生と言ったら、もう……ぷっ」


「……忘れろ」


 いつまでネタにする気なんだろうか。こんな意地悪なところも、相変わらず変わってない。


「あとはそう……海水浴、してみたかったなー」


「そういえば、夏生がしたいこと第一号だったな」


 会ってしばらくした頃の病院の裏庭での会話が、ふっと頭に浮かぶ。


「雪女との初めての出会いは忘れるのに、そういうことは覚えてるんだね」


 呆れたような夏生の顔が、視界に映る。


「めっちゃ引きずるんだな」


「佳生のせいだよ」


「ごめんて」


 彼女のふてくされた顔が可愛くて、思わず謝った。


「……ふふっ。でも、そう。水着も買ってくれたし、行きたかったの」


 思い出を噛みしめるように、彼女は朗らかに笑った。


「今さらなんだけど、その買った水着とかこの前着てたパーカーって、普段どこにあるの?」


「え。女の子の衣服の在り処を知ってどうするつもりなの……?」


 今度は、引きつった表情が視線の先に。


「いやいやいや! そんなつもりはこれっぽっちも……」


「あれー? 私は何も言ってないのに、いったい何を想像してたのかな~?」


「こいつ……」


 ころころと変わる夏生の顔に、そっと俺は手を伸ばした。


「でもさ。やりたいこと、まだいっぱいあるじゃねーか」


 スカイダイビングに盆踊り。お泊り会に、一応怪談話。そして、海水浴……。


 この夏だけじゃやり切れなかった、彼女が真夏の空の下でやりたいこと。


「これからもさ。全部は無理かもしれねーけど、夏生のやりたいこと、俺は叶えてい

きたい」


「……うん」


「だからさ。また俺のそばに、いてくれないか?」


 俺は、夏生ともっと一緒にいたい。


 いろんなことをしたい。


 もし俺の病気が治って、もう耐性をもらえなくなって、今みたいに気軽に会えなくなったとしても、俺は……。


「……ありがとう」


 夏生の青い瞳から、一滴ひとしずくの涙が零れた。


「……でもね、無理だよ…………」


 その水滴は俺の頬に落ちて、


「佳生の病気を治したら、多分私は……消えちゃうから…………」


 そのままゆっくりと伝って、地面へと消えていった。

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