第44話 決意(1)
肌寒い風が、病室の中を吹き抜けた。
数センチほど開いた窓からは稲の匂いがほのかに香り、気温とも相まって秋の気配が漂っている。そしてそれは、俺の視線の先にある赤色の葉にも、明確に、鮮明に表れていた。
「佳生、調子はどう?」
病室の扉が開き、母親が顔をのぞかせた。
「……大丈夫。一度も起きてないよ」
俺は窓の外へと視線を戻しながら、それだけ言った。
「そう、良かった。よく今まで、頑張ったわね」
母親は嬉しそうに声を弾ませ、いつもの差し入れの入った袋をサイドボードに置いた。チラリとそれに目を向けると、中にはカイロや羽織ものなど、冬に向けた物が無造作に入れられているのが見えた。
「それにしても、今日は冷え込むわね。病院の前の気温計見たら、十度だって」
その言葉に、俺の体がびくりと反応した。
「まぁでも、もうすぐ冬だものね」
そう言うと、母親は袋からいろいろなものを取り出し始めた。一緒に何やら説明もしているみたいだったが、俺の耳には全く入ってこなかった。
――気温計を見たら十度だって。
あの日、夏生と初めて会った日も、聞いた言葉。その言葉を頼りに裏庭へと足を運び、俺は彼女と出会った。
でも、その言葉が指す意味は、あの時とは違う。
非日常的ではない、極めて正常で、季節感のある気温。
残暑という夏の名残は消え失せ、冬の色を微かに含んだ秋が到来していた。
「そういえば、最近夏生ちゃん、見かけないわね」
先ほどよりも一段と大きく、体が無意識に跳ねた。
「もしかして、喧嘩でもしたの?」
俺の反応には気づかなかったみたいで、母親は袋の中を整理しながら言葉を続けた。
「いや……なんか最近、忙しいらしいよ。この前電話した時に聞いたから」
そっと息を整え、平静を装って答える。
……大丈夫。こういったごまかしは、最初の頃に何度もしてるから慣れてるはず。
「ほんとに?」
何か違和感があったのか。母親は整理していた手を止めて振り向いた。
「ほんとだよ」
あれ?
もしかして、ごまかせてない……?
内心では焦っていたが、俺は表情を変えないよう口元に力を入れる。
「……そう」
しばらく黙ってこちらを見ていた母親だったが、腑に落ちないといった顔をしつつも整理を再開した。
「もし何かあるなら、私じゃなくてもいいから、岡本くんたちにでも相談しなさいね」
「……うん」
諭すような口調で言われた言葉に、俺は無意識に返事をしていた。
多分……いや、ほぼ確実にバレている。
どうして? 前は、だませていたはずなのに。
そんなことを考えていると、唐突に病室の扉が開く音がした。続けて、すっかりお馴染みとなった二人が入ってきた。
「こんちはー」
「霜谷くん、調子はどうー?」
「あら。岡本くんに佐原さん、いらっしゃい! 一昨日に電話で佳生の容体伝えたけど、直接会うのは五日ぶりね~」
俺の代わりに、母親が二人を出迎えた。世話好きのおばちゃんみたいに二人をベッドの脇のイスに座らせ、「ミルクティーでも淹れるわね」と手際よく準備し始めた。
「ちょうど今、二人の話をしてたところなのよ~」
「え?」
「私たちの、ですか?」
本当に面倒くさいおばちゃんみたいだ、と思った。わざわざそんなことを言わなくてもいいのに。
「母さん。余計なことは言わなくていいから」
「はいはい」
含みのある笑みを浮かべる母親。俺が痛熱病を発症する前の調子をすっかり取り戻したその様子に嬉しさを感じつつも、やっぱり思春期にとってはうざったい。そんな俺の心中を知ってか知らずか、母親は二人にミルクティーを出すと、「お邪魔虫はそろそろ退散するわね~」と言い帰って行った。
「それでそれで? 俺たちの話ってなんだよ?」
やっとお邪魔虫が帰ったところなのに、今度はからみ鳥がやってきた。
「いや、母さんが勝手に話してただけだって」
「へぇー。なんてなんて?」
興味津々とばかりに、岡本は前のめりになる。
「……なんだか最近、二人の距離が急接近したわね~って」
もう面倒くさかったので、少し考えてから俺はそんなことを言った。
すると、ボンッと音が鳴りそうな勢いで二人の顔が真っ赤になった。
「え……そ、そんなことないぞ……? な、なぁ?」
「う、うん……。そんなこと……ある、かも……」
「うぇ⁉ 奈々⁉」
「はっ! えっと……いや、その! えと、ね……」
勝手に自爆し、勝手にモジモジし始める岡本たち。はぁー甘い甘い。
今度は上手くいったかなという微かな満足感と、見ているこっちも赤くなりそうな羞恥心を感じつつ、俺は窓の外へと目を向けた。
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