第8話 雪女……?


 朝食を食べ終え、時間を見ると検査までまだ少し時間があった。

 基本的に病室を離れるのは控えるよう言われているが、発作が起きなければさほど元気な人と変わりないので、正直暇だった。もし雪女なるものがいるならば、いい退屈しのぎにはなるだろう、くらいに思って裏庭への扉を開けた。

 そこは昨日みたいに雪こそ降っていなかったが、少し肌寒く、他とは異質の雰囲気が漂っていた。おそらく原因は、ベンチに座っている純白の少女だ。


「あ! 来た来た。佳生、おはよう!」


 彼女はこちらに気づくと、太陽のような笑顔を振りきながら走り寄ってきた。


「んー……おはよー。なんか、朝からやたら元気だな」


 そんなテンションについていけるはずもなく、俺は気だるげにそう返事をした。


「え? だって、朝から沈んでても仕方がないでしょ?」


 何をそんな当たり前のことを、と言いたげな様子で彼女は俺の顔を見る。天真爛漫てんしんらんまん、という言葉がお似合いな顔だと思った。


「いやまぁ、そうなんだけど……ってか、なんで俺の名前知ってんだ?」


 俺は不思議に思って聞いた。昨日の時点で、俺はまだ自己紹介はしてなかったはずだ。


「あー、えっと……病室のネームプレートに書いてあったし」


 やってしまった、と言わんばかりの表情が彼女の顔に出ていた。

 俺は、病気とは関係なく頭が痛くなるのを感じた。


「おまえ、その格好で病院の中まで入ってきたの?」


「いやいや、そんなわけないでしょ。ほんのちょびっとなら自力で人間の姿にだってなれるんだから!」


 そう自慢げに語る彼女に、思わず俺は頭を抱える。まさかそんな大胆な行動に出るとは、完全に予想外だった。


「まぁこの際それはいい。んで、おまえはなんて名前なの?」


 なんとか思考を切り替えて、俺は聞いた。


「んー、私のことはそのまま雪女でいいよ」


「それはなんかずるくないか?」


 よくわからないことを言う彼女に、俺は苦笑して言った。

 片方だけが名前を知っていて、もう一方は知らないというのは不公平だし、そもそもおかしい。俺は問い詰めるように彼女の方へ視線を移すが、なぜかウインクで返された。


 ……もういいや。


 なんだか、彼女には一生勝てない気がした。俺は反抗する気力もなく、ため息をつく。

 もはや俺の中にある、冷徹で恐ろしい雪女のイメージは完全に崩れ去っていた。

 喜怒哀楽が目まぐるしい、どこか不思議な少女。

 それが、今の俺の中にある雪女の印象である。


「昔話書いた人がここにいたら卒倒するだろうな」


「え? なんか言った?」


「いやいや気にしないでくれ」


 とりあえず、雪女はいた。これはもう夢ではない、まぎれもない事実そのものだった。

 これからどうしようかと考えていると、彼女は青い瞳をキラキラさせてずいっと顔を寄せてきた。


「それで、考えてくれた?」


「うん、まぁ……」


 俺は少し後退あとずさった。

 実は、昨日の時点でその契約なるものはまだ結んでいなかった。どうにも信じられなかったので、せがむところをなんとか今日まで保留にしてもらったのだ。まぁバックレても良かったのだが、退屈しのぎと真相を確かめたいあまり、つい来てしまった。


「いや、でも、なんか、やっぱり信じられないっていうか」


 俺はそう曖昧に言葉を返した。

 そんな俺のどっちつかずの様子に業を煮やしたのか、彼女はあからさまにイラつきながら、さらに顔を近づけてきた。


「もう。じゃあ今、あなたの目の前にいるのは誰?」


「小麦粉をまぶされた女子高生?」


 薄力粉でもいいけど、とかどうでもいいことを後に付け足す。


「そんな人いるわけないでしょ!」


「雪女の方がいる確率少ないよ」


 興奮気味の彼女に、俺は冷静にそう返した。

 そんな押し問答を繰り返していたが、やがて雪女は小さくため息をついて言った。


「じゃあ、見てみる? その熱への耐性を吸収するところ」


「え?」


 俺は若干、いやかなり戸惑った。


「実際に目にした方が信じられるでしょ?」


 にやけた顔で彼女はそう言った。

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