第1章 雪女との契約

第1話 心の距離


 いったいいつから、こうして窓の外ばかりを見つめるようになったのだろう。

 気が付くと、いつも視線の先は揺れる木の葉に留められている。でも、そのことをどうと思うわけでもない。ただ、なんの生気もないリノリウムの床や、暇な時にしか見られることのないしみだらけの天井を眺めるよりも、ずっと安心できた。

 時おり吹く南風に揺らされて音を立てる木々の音色に、何を思うでもなく耳を傾ける。

 すると、そこに重々しく病室のドアを開ける音が割り込んできた。


佳生かいせい、調子はどう?」


 大きめのビニール袋を提げた母親が、ぎこちない笑顔を浮かべて入ってきた。

 俺、霜谷しもや佳生は一瞥いちべつして頷くと、そのまま視線を窓の方へと戻した。

 べつに反抗期ってわけじゃない。ただ、返事をすることに意味を見出せなかっただけだ。


「もうすぐ本格的に夏だって言うのに、なんだか今日は冷え込むわね」


 ベッドの脇にあるイスに腰掛けながら、母親はそう言った。


「昨日なんて二十五度もあったのに、さっき病院の前の気温計を見たら十度だって」


 異常気象かしら、などと一人で話し続ける母親に申し訳なさを感じつつも、どうしても返事をする気にはなれなかった。そんな世の中の話など、今の俺にはなんの関係もない。


「……佳生。今日は、発作は起きなかった?」


「二回」


 俺は吐き捨てるように答えた。

 俺の生活を一変させた、憎むべきもの。でも、今の俺にはそんな当たり前の感情すら湧き上がってこない。ただ、どこにも向けられないやるせなさと虚しさが、心の中を支配していた。


「そう……。でも、まだ治らないって決まったわけじゃないから……」


「…………」


 慰めだ。

 瞬間的に、そう思った。

 でも、言わない。

 言いたくない。

 言う気も起こらない。

 正直、もう放っておいてほしかった。

 そんな気持ちを汲み取ったのだろうか。母親は小さくため息をつくと、そのまま立ち上がった。少しだけ、視線を向ける。


「今日は、もう帰るわね」


 さっきよりも小さな声で母親はそう言い、病室を出ていった。

 俺は終始、母親と目を合わせられなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る