第48話:るふ・ての(Revenir traînant)

 逢えない辛さに耐えて、必死に勉強を続けた。

 季節は過ぎ、あたしは桜が舞い散る空を見上げる。

「やったよ、隆紫りゅうじ。あたし、主席を維持で卒業したよ…」

 いつ会えるんだろうか。

 それよりも、隆紫はアメリカの大学で主席卒業を果たしたのだろうか。

 あたしよりも一年早く向こうへ行ってるから、一年前からこっちへ戻ってきているはず。

 卒業証書を片手にメールを送ったり、電話をしているけど、圏外か電源が入ってないかのアナウンスが流れるだけで全くつながらない。

 条件は隆紫が主席、あたしが10位以内で卒業すること。

 少なくともあたしは条件を満たした。

 ずっと連絡をしないでいた我慢は、ここで一気に噴出する。

「どうして…?」

 まさか、隆紫はあっちでいい人を見つけて、もう戻ってこないつもりなの…?

 寮に入っていたあたしは、逸る気持ちを抑えつつ寮から出ていくため荷物をまとめ続ける。

 最後に隆紫の写真を手にして、箱に入れる。


 ビビビッ


 最後のダンボールに封をして、配送伝票を貼り終える。後は寮の管理人が引き継ぐことになっている。

「隆紫、今…行くわ」


「相変わらず威圧的な正門よね…」

 明先の屋敷に到着して、思わず漏らした一言。

 今はカードパスや鍵を持ってないから、閉じた門の外から呼び鈴を押す。

「はい、明先みょうせんです」

 呼び鈴のスピーカーで応答したのは若い女性の声。

 多分屋敷のメイドさん。

「あの、以前に離れで隆紫さんのメイドをしていたくぬぎあかねと申します。隆紫さんはいらっしゃいますか?」

「いえ、隆紫様はまだアメリカから戻っておりません」

 その返事に、全身の毛穴が開いてギクッとしてしまう。

 まさか…本当にあたし、捨てられちゃったの…?

 薫とは昨日会ったけど、ここ一ヶ月ほど隆紫と連絡が取れなくなっているらしい。

 あたしが大学に進んでからは、隆紫も忙しくなってきたらしく模試は送られてこなくなっていた。そもそも違う学科に進んでいるから、適切な出題を用意する余裕が無かったのはわかる。

「そんなはずありません!一年前にアメリカの大学を卒業して帰国しているはずです!どこにいるんですかっ!?」

「そうおっしゃられても、アメリカから帰国したという話はうかがっておりませんので、今もアメリカにおられるはずです。それでは失礼します」

 けんもほろろに切られてしまう。


 嘘…だよね…?

 あたし、本当に捨てられちゃった…なんてこと…ないよね…?

 胸からこみ上げてくる何かを堪えていたけど、ついに目から涙の雫となって流れ落ちてきた。

「隆紫…嘘だと言ってよ…そんなことないって、言ってよ…」

「そこにいるのは、あかねか?」

 幻聴までするなんて、とうとうあたしおかしくなっちゃ…

「え?」

 後ろを振り向くと、この5年間逢えずにいた、懐かしくすらある愛しい人の顔がそこにあった。

「隆…紫?」

 突然のことで、頭の中がぐちゃぐちゃになっていたけど、幻でもなんでもいい。逢いたくて仕方なかった人に、足が自然と向かっていった。

「隆紫ーっ!」

 逢えなかった5年分の寂しさをすべてぶつけるように、愛しい彼の胸に飛び込む。

「あたし、あたしね、主席で卒業したよっ!!」

「おめでとう。僕も主席で卒業した」

 ぶわっと涙がこぼれ出て、感激のあまりもう言葉にならない。

 ひたすら涙を流しながら、逢えなかった分の気持ちを体で目一杯ぶつけ続けた。

 落ち着いた頃、隆紫に連れられてそのまま母屋に入る。

 久々に入る明先屋敷は相変わらず。離れは現在使っていないらしいけど、あたしの代わりに別のメイドが掃除をしているみたい。


「というわけでおやじ殿、僕たちは提示された条件をクリアした。僕たちの結婚を認めるよな?」

 夕方に明先みょうせん青慈せいじ、つまり隆紫のお父さんが帰ってきて、和室にて話し合いの場を設けられた。

 あたしたちの後ろには、猿楽さるがくさんと官司かんじさんが控えていて、青慈さんの後ろには5人の黒服がいる。

 青慈さんは俯いたまま肩を震わせ…

「み…認めん!認めんぞ!!」

 額に青筋を立たせながら鬼さながらの形相で顔を上げた。

「認めない?どういうことかな?」

「問答無用だ!その女をつまみ出せ!!」

「やれやれ。予想どおりの展開か」

 隆紫は肩の高さ両手を上にして、首を横に振る。

「予想…どおり?どういうことっ!?」

 あたしは状況が飲み込めず、思わず声を張り上げた。

「二人共、やれ!だが殺すなよ!おやじ殿には手を出すな!どうせおやじ殿は単体じゃ非力そのものだ!」

『承知!!』

 隆紫の後ろに控えていたガチムキ黒服が控えていた場所に残像を置き忘れたまま前へ出る。


 ドサッ


 一瞬だった。

 動こうとした青慈さんの後ろにいた黒服5人が、畳に口づけしたまま動かなくなったのは。

「大旦那様、あなたならご存知ですよね?」

「くっ…」

 にこやかな表情で猿楽さんが口を開く。

わたくしめが、某国の非合法特殊部隊に所属していたことを」

 えっ!?

「ちなみにそこの官司は、その組織でも狂戦士バーサーカーと呼ばれて恐れられたものです。一度暴れたら誰の手にも負えないほどの怪力ですべての敵をなぎ倒してきました」

「以前に『戦友』と呼びあっていたのは気になっていたが、まさか本当に戦場の友だったのか!?」

「そのとおりでございます。そして大旦那様、今の出資者スポンサーは隆紫様です。大旦那様の指示に従うことはできかねます」

「ちっ、お前を隆紫付きにしたのは失敗だったかっ!」

 今、この謎な二人の秘密が明かされたことに驚いてしまう。

「茜、行くぞ」

「行くって…どこへ?」

「決まってるだろ。親の拒否で結ばれない二人がすることと言ったら、駆け落ちしかないよね」

「か…駆け落ち…?」

 隆紫はあたしの手を取り、立ち上がらせると

「おやじ殿、ゲームしようじゃないか。明日0時からスタートだ。90日以内に僕たちを見つけておやじ殿が僕たちの前に姿を現したなら、僕は茜を捨てておやじ殿に従おう。だが、できなかった場合は…」

 黒服を一瞬で失って狼狽うろたえる青慈さんに、隆紫は朗々と言い放つ。

「茜との結婚を認めろ!」

「そんなことを…」

「拒否権があると思うか?約束を反故にしたおやじ殿」

 あたしは冷たい目を向ける隆紫に手を引かれて、和室の外へ出された。

「隆紫を捕らえよ!!屋敷から出すな!!」

 大声で野太いよく通る声が屋敷中に響き渡る。


 途中でけしかけられた黒服の妨害にあったけど、ことごとく二人の元特殊部隊が蹴散らし尽くした。

 騒ぎの中で、猿楽さんが運転する車に乗ってあたしたちは落ち延びる。

「ちょっと隆紫!あたし来月から就職先に行かなきゃならないんだけど!?」

「大丈夫だ。考えがある」

「坊っちゃん、前もってかけておいた保険は今すぐにでも使えます。どうぞご利用くださいませ」

「ああ、ありがとう。使わせてもらうよ」

 隆紫は返事しつつ運転する猿楽さんが肩越しに投げた何かを受け取った。

「保険って…ふたりともこの展開を読んでたの!?」

「まあね。茜には少し負担をかけるけど、ちょっとの間でいいから辛抱してくれ」

「あたしに負担って…隆紫のほうが散々負担だったんだから、少しの負担くらい…」


 こうして、あたしたちの逃亡生活は始まった。

 逃亡はまず、その日の内に北海道西側へ。

 二日目は北海道北側、三日目は北海道東側。

 各地を転々として定住する様子をみせていない。

 隆紫と一緒にいられるのはいいけど、もし見つかったら…あたしは隆紫と別れて、隆紫は屋敷に戻ってしまう。

 一緒にいられて幸せなのは間違いない。けれども心ここにあらずな毎日を過ごしている。


 そして今…。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 2DKの賃貸住宅で過ごしている。

 ただし、あたしは外へ出る時にいつも帽子を被ってサングラスをかけている。

 見つかってしまわないか、ビクビクしながら日々を過ごす。

 職場のテナントビルへ入ってすぐ帽子を脱ぎ、サングラスを外している。

「今日もその格好か。いつまでそうしてるんだっけ?」

 少々呆れ顔で聞いてくる会計事務所の社長。

「今週いっぱいまでです。ご迷惑をおかけします」

 大学を卒業する間際に内定をもらったこの会計事務所で、初日の出社時はびっくりされてしまった。

 詳しく話さなくてもいい、と気を遣ってくれたのが嬉しかった。

 ちょっと事情があって、事務所に入る時以外は三ヶ月ほどこの姿で通勤することを伝えたら「だったら三ヶ月後に教えて」と言われたのが印象に残っている。


「それでは、お先に失礼します」

 あたしは夕方になっても帽子とサングラスを装着して、周りに怯えながら暮らしている。

 あと5日…あと5日で約束の日。

 あの駆け落ちの日をもってガチムキ黒服の官司さんは護衛を外されて、あたしは外で自由の身となった。ただし素顔を晒さないように注意を払いながら。

 そして隆紫はというと…。

 あたしより遅くでかけていって、あたしより遅く帰ってくる。

 どこに行ってるのか、未だに不明なまま。

「ただいま」

「おかえりなさい。今日はシチューよ」

「うん、すごくいい匂いだ。楽しみだな」

 こんな何気ないやり取りに気持ちが安らぐ。

 好きな人と過ごす、かけがえの無い時間。

 付き合い始めた頃にずっと夢見た生活だけど、今はどうにも落ち着かない。

「ねえ隆紫」

「何だ?」

「あと5日でゲーム終了の日だけど、あのお父さんがそれで認めてくれるのかな?」

 これはずっと抱えていた疑問。

 突きつけられた条件を二人揃ってクリアしたものの、それを無かったことにして強硬手段に出てきたあのやり方を見てきた以上、これであっさり引き下がってくれるとは思えない。

「茜は心配する必要ない。僕に任せてくれればいい」

 湯気の立つシチューを口に含みながら、こともなげに返してくる。

「ところで、隆紫って今何をしているの?お金の心配はないって言って、この通帳とカードを貸してくれてるけど、隆紫の方は大丈夫なの?」

「ああ、いずれ茜に話す時がくる。それまで待っていてほしい」

 隠匿する行動は相変わらず続いている。

 あたしは隆紫の仕事に触れていたいことは何度も伝えた。

 けど返ってくる言葉はいつもはぐらかしてばかり。


 そして約束の90日は過ぎた。

「茜、今日からはもう変装しなくていいぞ。普段どおりの茜に戻ってくれ」

「…本当に大丈夫なの?」

「僕だってこうしていつまでも逃げ回るつもりはない。いずれおやじ殿とは決着をつけなければならない。その前にこのゲームは終了したことを告げないとな」

 わかってた。

 あたしだって、いつまでもこうして隠れ住んでいるわけにはいかないことくらい、わかってる。

 でも今は実力行使する猿楽さんと官司さんがいない状態だから、ここに黒服を連れて乗り込まれたら…。


「というわけだったのよ」

「はー、そんなことになってたんだー」

 久々に薫とカフェで会話する。

 潜伏生活をずっと続けるため、あたしたちの居場所はあくまでも隠しつづけ、一切の連絡を断っていた。

 素顔を晒したあたしの姿を、道を行き交う人の一人が見咎めて物陰に隠れ様子を見ている。

「それでいつもの大男おーおとこはいないんだねー」

「ええ、さんざん付きまとわれて迷惑だったんだから。まあ大学にいた頃も何度か助けてもらっておいてこんなこと言うのもなんだけど」

「もう逃亡とーぼーやめて、自由じゆーになったんだよね?護衛ごえーの人はどこ行っちゃったのー?」

「知らないし、興味もないわ。もうあんな息苦しいのはごめんだわ。先日に職場であの格好をしてたことを説明したんだけど…」


「何というか…壮絶な学生時代だったんだね…」

 わずか5人の職場だから、顔を合わせて昼食している時に高校時代のことからざっくりと話した。

 明先財閥の御曹司と付き合い始めたこと、その付き合ってることが家族に知られて関係を認めさせるために指定の大学を上位で卒業すること、御曹司とあたしは共に指定の大学を主席で卒業したこと、けど約束を反故にされて90日間は追われる身になったこと、見つからないためにこうして変装して出勤していること。

 話が終わって、出てきたコメントがそれだった。


「自分でもここまで必死に乗り切ってこられたのが未だに信じられないよ」

「ほんとーによくやってきたよねー。大学、全然楽しめなかったでしょー?」

「うん、ずっと見えない何かに追われ続けてる気分だったわ」

 積もる話はまだまだあるけど、こうして自由の身になったからいつでも会えるし、時間も遅くなってきたから今回は解散ということになった。


「それじゃーね」

「うん、またお茶しよう」

 薫と離れて一人帰路に就く。

 けど、あたしの後をつける人影に最後まで気づけなかった。

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