第47話:しん・さい(Think silent)
ある朝。
「次のニュースです。大手自動車メーカーの…」
朝食の準備をしながら、テレビを流すのがいつものこと。
かんたんな時短メニューをササッと作り、ローテーブルで箸をすすめる。
けどやっぱり一緒にいたいし、寂しいと思う気持ちも変わらない。
「隆紫…」
机に置いてある写真立ての姿を見て、思わず口から漏れてしまう。
隣には姉の桜もある。
「本日のお天気です。太平洋から強い低気圧が入り込み、本日は全国的に大荒れの天気となるでしょう」
窓の外を見ると、まだ日が差し込んでいて天気が荒れそうな様子はない。
「そろそろ時間ね」
玄関で靴を履いて、ここから約10分の大学へ足を向けようとした時…。
ゴロゴロゴロ…
空が鳴り始めていることに気づいたあたしは、天気予報を思い出した。
「傘持っていかなきゃ」
玄関に置いてあった傘を手にして大学へ向かった。
今日は2限から4限まで。早めに帰って勉強できそう。
「おはようございます」
「おはよ」
あたしはいつも一番前に席を確保している。
後ろのほうが集まりやすく、前は最後まで空いてることが多い。
その中でいつも一番前に座って、よく見かける顔だから挨拶している。
「今日は天気崩れそうね」
「うん、早めに帰ったほういいかも」
話しかけてきた彼女に返事する。
まだ授業は始まっていないから、少しくらいは会話していても問題ない。
2限が終わったところで空はどんよりとしていた。
「これは4限待たずに降りそうね」
誰にともなくつぶやいて、次の教室に向かう。
ザーッ!!
4限が終わり、帰ろうとした頃には本降りになっていた。
風も横殴りになっていて、台風が来たような状態になっている。
「早く帰って勉強しなきゃ」
待っていてもこの風雨はやみそうもなく、天気サイトで確認しても今夜いっぱいこのまま荒れ模様になっていたから、諦めて傘を広げ寮へ向かう。
ビュオッ!!メキョッ!
「あっ!!」
大学の敷地を出て5分も経たない内に、突風で傘が壊れてしまった。
お皿を逆さにしたような形の布は逆を向いてしまい、布を支える骨は数本が折れ曲がってしまっていた。
見るも無残な姿になってしまった傘は、もはや畳めないほど歪んでしまい、傘としての機能は期待できなくなった。
大学に戻るとしても同じくらいの距離がある。
仕方ないから、壊れた傘を片手に家路を急いだ。
やっと寮にたどり着いて、ドアの鍵を開けようとした時…
「あ…」
ない。
鍵が…ない。
4限で教室の机に小さなポーチを置いて、回収しないままここへきてしまった。
大学寮とはいえ普通の集合住宅と変わらない。おまけに勉強一筋でここまできているから、隣や階下階上の関係は希薄なまま。
頼れる人がここいはいなかった。
これで隆紫がいれば、しれっと鍵を持ってきてくれたりするんだろうけど…。
後ろについてきているガチムキ黒服は頭から足先までをすっぽり覆う雨合羽をまとっていて、けど手や口を出す様子はない。
「仕方ないか…」
鍵を紛失したままでは何かと不便だし不安だから、意を決して暴風雨の中を小走りで大学へ戻った。
打ち付けるような雨粒を受けながら大学を目指す。
キャンパスに入る前から、通りすがる人が傘を差していつつも全く役に立っていない様子だったけど、気にしている余裕はない。
校舎に入った頃には、もう服は絞ればバケツ一杯になりそうなほどびちゃびちゃの
「寒い…」
空調が外気温より低く設定されていて、濡れた服の水が体温を奪っていく。
「あった」
今の時間は使われていない教室に、鍵の入ったポーチがあった。
「早く帰らなきゃ」
キャンパスを出ると、どこからともなく雨合羽を着た黒服が現れる。
「ふう、参ったわね…」
ポタポタと雫の垂れる濡れた服が肌にまとわりついて気持ち悪い。
「すぐシャワー浴びよっと」
びしょ濡れの服を洗濯機に放り込んで、ユニットバスになっているバスルームでシャワーを浴びる。
パシャパシャと肌に当たるお湯が体を暖めてくれる。
すっかり冷えてしまった体に染み渡るようなお湯のシャワーが心地よい。
目標としていた大学には主席で入ったものの、主席を維持するのは結構厳しい。
マラソンと違って、どれくらい勉強すれば維持できるのかが全くわからない。
条件は10位以内だから別に主席を維持する必要はないけど、一度下がったら這い上がれない気がするから手を抜くわけにはいかない。
キュッ
蛇口を閉めて、体についたお湯を拭き取る。
外を見ると、天気は変わらず大荒れ。
ガタガタ音を立てる風と、風に乗った雨粒が窓を際限なく叩き続ける。
寝間着に着替えて机に向かう。
「隆紫…」
写真立てに飾った二人の写真。
好きな人と一緒にいられることが、どれだけ幸せなことかを思い知った。
最初は親の都合で押し付けられた嫌な同居だったけど、こうして離れてみると今まで見えていなかったことが見え始める。
親との同居もそう。
一緒に暮らす。だたそれだけで、どれだけ助けられてきたかを思い知る。
「なんかぼーっとする…」
夜になって、なんだか頭がぼんやりしてきた。
「勉強しすぎかな?そろそろ寝よう」
体から発せられるアラートかもしれない、と思ったあたしは明かりを消してベッドに潜り込む。
「まだ始まったばかり…しっかり主席をキープしなきゃ」
自分に言い聞かせるような気持ちで、言い聞かせた。
翌朝
「うーん、疑いの余地なく風邪だわ…」
起きてすぐに体調不良を自覚した。
立ち上がったら、もう足元がふらついて、頭がほわんほわんとする。
「体温計は…」
机の引き出しにしまってある体温計を取り出すけど、今体温を知ってしまうと、そのままベッドへ逆戻りと考えたあたしは、そのまま体温計を引き出しに戻した。
「休んでなんか…いられないわ」
自分を奮い立たせて立ち上がる。
ガチャ
鍵をかけて自室のマンションを後にする。
昨日降っていた雨はすっかり上がっていた。
「大学までの道のりって…こんなに険しかったっけ…?」
普段は歩き足りないと思えるくらいの距離なのに、今日はやたらと遠く感じる。
後ろにはやはり変わらず黒服がいるけど、やっとの思いでキャンパスに入ると、そこで足を止めた。
これで後ろに張り付かれることからは開放される。
「今日は一限だけ…これを乗り越えさえすれば…」
意識が
「…このように解が導かれます」
授業時間は半分を過ぎた。
あまりのキツさに座を外そうと思ったけど、もう立ち上がることもままならない。
もちろん授業の内容はほとんど頭に入っていない。
前もってボイスレコーダーで録音しておいてよかった…。
意識が飛びそうになりながらも何とか一限を終える。
「も…だめ…」
気力を振り絞って立ち上がったところで、プツリと意識が途切れた。
「ん…」
目が覚めた。どれくらい寝ていたのだろうか。
ひんやりとした濡れタオルが額に置かれていて、あたりを見回すと白を基調としたカーテンに仕切られている部屋のようだった。
「ここは…」
まだ体が重たくて起き上がれない。
少し引き
「そっか…あたし、倒れたんだ…」
ボイスレコーダーを見ると、電源がオフになっている。倒れる前にギリギリスイッチを切り替えたような気がする。
「あ、気がついたの?」
保険医がカーテンを開けつつ声をかけてきた。
「今…何時ですか?」
「午後2時よ」
ということは4時間も寝ていたことになる。
「これ以上…ここにいるわけは…寮に帰らなきゃ…」
「無茶ね。さっき測ったら38度8分もあるのだから、まともに歩けるはずは」
ポケットに忍ばせてあるものを手にする。
PI
緊急呼び出しスイッチを押した。
「ここにいましたか」
ほどなく、黒服が保健室に飛び込んできた。
「命令よ…。あたしを寮までおぶっていきなさい」
「ちょっと、そんな体じゃ」
「薬は…打ってくれたんですよね?だったら…後は気力で…治してみせるわ…容態が急変…すれば…こうやって呼び出せるし…」
フラフラしながら大きな背中に身を預けると、今まで見たことのない高い目線で視界がひらける。
「…緊急時はここに連絡してね」
「了解」
保険医が差し出したメモを黒服が受け取り、保健室を後にする。
ドサッ
寮の自室へ着いて、ベッドに身を投げ出す。
「これは本来の役目と異なる。命じられたのは害意を持ったものから茜様を守ること。しかし強い要望と判断してやむを得ず従ったまで」
「…もし命令を無視したら、隆紫に言いつけて…やるつもりだったわ」
大きな体から発っせられる圧倒的なオーラに負けず、言い返す。
「毎回このような手助けを期待されても困りますので、ご留意を」
「石頭ね…隆紫がそんなことで…
「これは仕事ですので、気分を害されませぬよう。それでは」
一方的に言い残して部屋を出ていった。
黒服は携帯電話を取り出して電話を掛ける。
「もしもし、こちら官司。指示外の対応を行ったので報告する。茜様が風邪を召された。大学で倒れて呼び出され、自宅まで運ぶよう強く要求されたので応えた」
「まあ問題ないだろう。坊っちゃんのことだから、むしろその要求を却下したら激しく説教されたはずだ」
「安心した。今後もこういう茜様から直接ヘルプの声があった場合は自分の判断で応えてよいか?」
「むしろそうしてくれ。今は坊っちゃんの手がそっちまで届かないからな。坊っちゃんならどうするかを考えて行動することだ」
「了解だ」
短く応えて電話を切る。
ピンポーン
夕方になり、ふと目が覚めた時に呼び鈴が耳に飛び込んできた。
「誰だろう…?」
まだ体が重くて、おぼつかない足取りでドアを開ける。
「やほー、茜ー」
「
思わぬ顔がそこにあって、頭が追いついてこない。
「
そっか。
官司さんから
「気持ちは嬉しいけど、一緒にいたら
「だいじょーぶ」
そう言って薫はマスクを2つ取り出した。
「これで感染リスク
底抜けの笑顔から出る明るい声が、こもったような声に変わるけど、あたしにとってはフッと気持ちが軽くなるような気がした。
薫を部屋に招き入れて、あたしはベッドに戻る。
「ねー、お昼食べた?」
ベッド脇で膝をついて聞いてくる。
「そういえばまだだったわ」
にこりと笑って
「じゃー台所借りるねー」
と立ち上がる。
「はいどーぞ」
薫が作ってくれたのは鮭のほぐし身をまぜたお粥だった。
「ありがとう」
こうして誰かが作ってくれた料理を食べるのは久しぶりな気がする。
隆紫と一緒に住んでいた時はいつもあたしが作ってたし、大学で一人暮らししてる間もずっと自分で作った。
大学では時間が惜しいから、簡単なもので済ませていたけど。
「ねえ薫」
「何ー?」
「隆紫はどうしてるの?」
「
「そう…」
こうして気にかけてくれたり、必死に勉強してるという薫経由での連絡がある間は安心できる。
あたしの状況も薫を通して隆紫にも伝わっているはず。
直接連絡すらしてはならないという約束が、今の二人の絆を感じ取れる唯一の確認手段となっている今は。
声を聞きたい。
顔を見たい。
肌で感じたい。
けど今は隆紫がいない辛さに耐えるしかない。
この先、ずっと一緒にいるため。
「茜ー、連絡もできない遠距離恋愛でキツイよねー?」
「うん。今までずっと一つ屋根の下だったから、余計にね…ごちそうさま」
食べ終わったあたしは、食器を薫に渡す。
「隆紫と住んでた頃は、母屋との関係が希薄だったからあたしの存在も対して気にかけられなったんだろうけど、ずっと一緒に過ごすなら…相手の家族ともうまくやっていかなければならない。それが早いか遅いかの違いで、あたしと隆紫の本気度を試されてるんだろうと思う」
ベッドに身を預けて、キッチンでお皿を洗ってる薫に語りかける。
「あたしたちの問題に巻き込んで、本当に申し訳ないけど…」
洗いながら薫は考えを巡らせていた。
(本当に二人が条件を満たしたとして、すんなりと二人の関係を認めてくれるのだろうか?)
何度も口を出かかった言葉を今回も飲み込んだ。
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