第46話:ぱす・せれ(Pas sélectionnés)
ガランとしている部屋に運び込まれたダンボール箱。
梱包されずにあるのは使い慣れたあたしの机くらい。
寮と言っても、大学の敷地からは少々離れた場所にある。
申し込むのが遅かったから、敷地内の寮は満室になっていた。
実家から通学するのは構わなかったけど、通学時間が惜しいと感じたからあえて寮住まいすることに決めた。
ダンボールを開け終えて、机に姉と
「隆紫…あたし、負けないから。絶対に、負けないからね」
一人ポツンとなったなったあたしは、決意を新たに机へ向かう。
「ではこれで終了します」
講師が合図すると、席についていた人たちは一斉に教室の外へ出ていく。
聞きたいことがあったから、その教諭を追いかけた。
「あの…」
「なんですか?」
呼び止めたのは、面接に対応したその女性教諭だった。
「面接していただいた、
「なんですか?」
「その…面接の時に驚いていたようですけど、
あたしは麗白さんのことをろくにしらない。
一度目は
その時に見た所作がとても美しく、あんなお嬢様になりたいと思って必死に演じてきたけど、幼少の頃から叩き込まれて染み付いた物腰は、とても真似できるものではないと思い知らされた。
二度目は隆紫の過去を教えてくれたあの時。
あたしは麗白さんのことをほとんど知らない。
「あなたは確か明先の関係者だったわね。ふふっ、伝説になってる人よ」
「伝説…?」
まさか全科目の定期考査で満点のみ!?
「まずとても目立っていたわね。何しろお抱え運転手が運転する車に乗ってキャンバスまで来ていたのと…」
高校の隆紫と同じ…?
「いつもドレスみたいな服で授業を受けていたから、嫌でも目線がそっちに行くの」
…授業でもあんな服を着ていたんだ…。
「しかも後から知ったことなんだけど、三年の頃からは実際に会社の経営をしていたそうで、彼女が堅実な会社基盤を作ったとも言われてるけど、詳細は不明です。でも入試から卒業まで主席を堅持して卒業したのは、今でも語り草です」
聞けば聞くほど、隆紫とそっくり。
「あなたも入試は主席だったから、実はこっそり期待してるのよ」
それを聞いたあたしは、ずっしりと肩に何かがのしかかって来たような重圧を感じてしまう。
「そう…ですか。とても参考になりました。ありがとうございます」
一方的に話を打ち切って、その場を後にする。
やっぱり、麗白さんはすごい人だった。
整った面立ちに、サラリとした髪をなびかせ、まるで人形の館から出てきたようなドレスに身を包み、中世の上流階級みたいな物腰でありながら、途中で会社を経営までしつつ主席を維持し続けたなんて…。
それだけに、進めていた会社の提携は隙のない完璧な計画だったんだろうな。
あの事故を除いては。
計画が狂って、隆紫が経営を引き継いで、麗白さんは
それだけに悔しかったんだ。
だから、麗白さんは自分で成し遂げようとして、できなかった
真意を確認しようにも、連絡先すら知らないから確認も難しい。
「久しぶり、
「やっほー茜、大学は慣れたー?」
二週間ぶりに会った薫は、ずいぶんと空気が変わっていた。
環境の変化って、こんな短期間でも人を変えてしまうんだ…。
お互いにお小遣い節約のため、カフェサービスをやっているバーガーチェーン店でドリンクを頼んで席に座る。
「うん、いっぱいいっぱいだけどね」
今も薫は隆紫と連絡しているということらしい。
あたしと直接やりとりをしてはならないから、お互いに伝言も控えている。
ただ今も決意に変わりはないかを、薫の言葉として伝えてもらいながら橋渡しをしてくれている。
最初は隆紫に脅迫されて手伝わされたものの、彼がアメリカに行ってしまったことと、親の七光りは期待できない状態であるにも関わらず、自発的にこうして協力を続けてくれていることは、隆紫とあたしにとってこのうえなく助かっている。
薫も大学に進んだけど、ずっと大切にしていきたい親友だから、進む先が違っても連絡を欠かさないつもり。
隆紫がいつ心変わりしたり、主席を落としてしまわないとも限らない。
「あの…」
「
あたしの聞きたかったことを、先に答えられた。
「そう。さすが隆紫って感じね。薫は大学がだいぶいい刺激になってるみたいね」
「そーだね、気になる彼も見つけちゃったしー」
「ほんとに!?とうとう薫からのろけ話を聞けるんだ」
高校の頃はずっと浮いた話がなかった薫にも、やっとそういう話が出てきて、なんだかホッとしている。
「
「うんうん、行こう」
あたしは主席卒業を目標にしているから、勉強に時間を割いていてあまり時間は取れないけど、薫の彼氏候補なら話は別。
口約束だけど、お披露目の話で盛り上がってから帰った。
大学に上がってからは、模試をやっていない。
カリキュラムが違うから、隆紫も手が回ってないらしい。
これ以上隆紫に負担をかけるのは本意じゃないから、ここからはあたし一人の力でなんとかしてみせる。
そして薫は、あたしをダシにして気になる男の子を誘い出すことになった。
その約束をした日…。
「やほー、茜ー」
「楽しみね。薫の彼氏候補」
「どーなるかまだわからないけどねー」
「でも気になってるんでしょ?」
「まーねー」
どこか浮足立っている薫を見ていると、あたしまで嬉しくなってくる。
「悪い、遅くなった」
後ろからかかった声に、あたしたちは振り向く。
「時間どーりよ、とーやくん」
とーやと呼ばれたその人は、隆紫とは違う方向でなかなかのイケメンだった。
やや黒から薄まったダークブラウンの髪は少し長めで、隆紫が正統派ならば、彼はワイルドさを感じさせる見た目だった。
服のセンスも容姿に溶け込んでいて悪くない。
ふーん、薫はこういう人が好みなんだ。
確かに高校では見かけないタイプだったわね。
「彼女が
名字は省かれたけどまあいいや。
ぺこり、とお辞儀して顔を上げる。
「へー、友達もかわいーじゃん」
なんか喋り方が薫と似てる気がする…。
類友ってやつかもしれない。
「で、そこの後ろにいるガタイいーヤツは一体…」
「ああ気にしないで。金魚の糞みたいなものだから」
すっかり慣れてしまったのか、薫は口にしなかったけど、ガチムキな黒服はそこにしっかりいた。
「めっちゃ気になんだけど…」
隆紫がいない今、あたしが身を守るにはまず自衛。どうしようもなくなったら
まずはどこか落ち着ける場所で話をすることになって、近くのお手頃なカフェに入った。
「でねー、さーやってば
「そうなんだ。薫って大学に行ってからイキイキしてるよね」
一週間くらいで、とーやにさーやという友達ができて、他にも付き合いが広がりそうな予感を匂わせている。
アルバイトも始めたらしく、生活全般でいい人間関係を作れているみたい。
もともと薫って社交的な性格だし、隆紫はそこを見抜いていたのかもしれない。
…とーやって人と合流してから、なにか落ちかなくなっている。
とーやくんに目線を送ると落ち着かなくなるなにかが消える。
さっきからあたし、見られてる?
位置はあたしと薫が並んで座って、とーやくんは向かいに座っていて、すぐ隣のテーブルで官司さんが目を光らせている。
とはいえサングラス越しだから目を見られないけど。
薫と話をする時は横を向く。その時になにか落ち着かない。
官司さんはあたしの身に危険が及ばない限り一切動かないから、見られているだけでは様子を見ているだけ。
思いっきり声を出そーよ、とい薫の提案でカラオケに足を運ぶ。
駅近くのカラオケ屋に入ると、先客が数名いた。
その先客もスムーズに部屋に通されて順番がくる。
「何名ですか?」
「3人でー」
「いや4人だ」
薫に続いて、黒服の官司さんが訂正する。
「申し訳ございません。現在4名部屋は満室でして、3名部屋2つでしたらすぐご案内できるのですが…」
「そーですか…4名部屋はいつ…」
「3名部屋でお願いします」
あたしは割り込んで店員さんに伝えた。
「あの、茜様…」
「仕方ないでしょ。あまり待ちたくないし、こんなところじゃ滅多なことはないと思うわ」
「いやしかし」
「では3名部屋で」
反論の余地を与えず、押し切った。
「それでは1時間3名で1500円です」
3名部屋で押し切って、前払いの支払いを済ませる。
そしてドア二枚を挟んで官司さんが一人だけ別の部屋に押し込められた。
タブレット端末みたいな機械を使って最初に薫が曲を入れた。
「ちょっとお手洗い行ってくるねー」
「うん」
薫はカラオケの部屋を出ていって、姿を消した。
とーやくんの番が終わり、マイクをテーブルに置く。
次はあたしの番だけど、歌い出しから声が入らない。
もう一本のマイクを使ってみたけど、そっちも音が入らない。
ポンポンと叩いたり、スイッチを入れ直してみるけど、音が入る様子すらない。
「あれ?」
「貸してみ」
とーやくんも色々試してみているけど、やっぱり音は入っていない。
「故障だな」
そう言ってとーやくんは壁の受話器を手にとって
「マイクが故障してるみたいなんで交換してくれ」
とフロントに伝えた。
「もう、なんで二台ともなのよ」
「まー精密機器だからな。こーゆーこともあるさ。それよりもさ」
ずいっと迫ってきて
「今遠恋ちゅーなんだろ?それもあと3年半以上も」
「そうよ。二人で一緒になるため、必死に頑張ってるわ」
この後、どうなるかを察したあたしは、トイレに立ち上がろうとしたけど、足の付け根あたりを押さえつけられて立ち上がれない。
「遠恋なんて続かねーよ。遠くに行っちまったやつを思い続けるよりもさ…俺にしとけよ」
顔を近づけられてきたのに気づいて、手で口を覆うよりも早く、彼の手が手を払いのけた。
万事休す!
と思った瞬間、隆紫の顔が思い浮かんだ。
出会ったあの日のことが、頭を掠める。
「…どーゆーつもりだ」
あたしはとっさに唇を口の中に引っ込めてかわした。
柔らかい感触のなかったことに気づいたとーやくんが、あたしの顔を見て問いかけてきた。
「人の気も知らないで、わかったようなことを言われたくないわ」
コンコンコン
ノックの音と同時に、とーやくんが離れた。
「お客様、申し訳ございません。今マイクを交換しますのでお待ち下さい」
スタッフがドアを叩いて、マイクを交換にやってきた。
今も歌詞が塗りつぶされつつ曲は続いていた。
交換したマイクが正常に動くことを確認して、スタッフは部屋を出ていく。
「今店員さんが出てったけど、どーしたの?」
入れ替わるようにして、薫が戻ってきた。
「ごめん薫、あたし用事を思い出したから、先に帰るわね」
パパっと荷物を手にとって、逃げるように部屋を出た。
あたしは帰ってから、日が暮れた頃薫に電話する。
「もしもし薫?」
「あー茜。用事は間に合ったー?」
違う…。実は用事なんかじゃない。
「今日は途中で帰ってごめんね」
「別にいーよ。おかげでとーやといっぱい喋れたし」
あのとーやくん、あたしには無理。
「………薫、落ち着いて聞いてね」
「なーに?」
「…あたし、薫が部屋を出ていってすぐに、遠恋なんてやめて俺にしとけよって言いながら…キス…されかけた」
「………え?」
「もちろん未遂だったし、あたしがしっかりかわしたけど、気まずくなっちゃったから…帰らせてもらったんだ」
電話はつながったまま、沈黙が流れる。
「そー…だったんだ…なんか変だなーとは思ったけど…」
「ごめん、あたし…薫の恋を…応援…できない」
「…なんか、ごめんね。不愉快な気分にさせちゃってー…」
「ううん、それはいいよ。ただ伝えておかなきゃと思って連絡しただけだから」
PI
電話を切ったあたしは、勉強を始めた。
「そっか…わたしじゃ…彼には届かなかったんだー…」
肩を落とし、一人呟いていた。
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