第45話:せと・おふ(setting off )
「
「いいも悪いも、あたしは逢っちゃダメだから…」
試験も終わって春休みに入る前の日、帰る途中で
今日は
いつなのかは知らなかったけど、今日らしい。
後ろにはガチムキ黒服の
「
「最後じゃないわ。5年、我慢すればいいんだから」
ほぞと唇を噛み締めて、必死に堪える。
「失礼」
ぐいっと襟を掴まれて、帰ろうとする方向と逆に引きずられていく。
「ちょっと!護衛は護衛だけに集中しなさいよっ!隆紫に言いつけるわよっ!」
がぽっ。
有無を言わせず、物陰に置いてあったバイクのヘルメットを被せられる。
キュルルンッ、ボウッ!
「さあ、行きますよ。乗ってください」
襟首を掴んだまま強引にあたしを後ろに乗せようとする。
「ああもうわかったわよっ!手を離してっ!これじゃ乗れないわよ」
やっとそのごつい手から開放されて、あたしはバイクの後ろにまたがった。
キュオンッ!デュロロロロロ…。
小気味いい音を立てて、見る見る景色が後ろへ流れていった。
まるで走馬灯のように…いや、縁起でもない。
ほどなく高速道路に入り、すごい
『まもなくワシントンD・C行きの搭乗受付を開始します。お乗りの方は搭乗ゲートまでお越しください』
空港のロビーで腰を掛けていた隆紫は、そのアナウンスと共に立ち上がる。
「しばらく日本とはお別れか…」
ガラガラと小ぶりのキャリーバッグを引いて歩みを進める。
「あっちで
チケットを読み込ませて、ゲートを通り過ぎる。
後ろを振り返って、しばしの別れとなる日本の景色を見納める。
誰の見送りもない。隆紫自身が望んで見送りを遠慮してもらった。
「必ず、主席で卒業して戻ってくるぞ」
ゲートの向こう側を鋭い目つきで睨みつけ、背を向けて歩み始める。
「隆紫っ!!!」
聞き覚えのある声が背中に刺さり、ハッと目を見開く。
振り向かず、しかし思わず足を止める。
「あたし、絶対諦めないからっ!!!やっとあの大学に片足がかかり始めてるっ!!!お互いに主席で卒業して、将来を掴み取ろうねっ!!!」
返事はしない。
会話をしてはならないと約束しているから、キャリーバッグを左手に持ち替えて、右手の親指を立てて高々と掲げる。
「絶対!!!絶対だよっ!!!」
あたしは、その背中が見えなくなるまでゲートを挟んだところに佇んでいた。
ぼふっ
つばの広いふんわりした帽子を頭に被せられて、あたしはそのつばを引き下げて目 深にかぶる。
吹き荒れる風に身を切られながら、次々に飛び立っていく航空機の音を聞き続けていた。
「さて、帰りましょう」
隆紫が乗った航空機は、轟音を残して飛び立った。
空港の屋上でその機影が見えなくなった頃、帽子を被せた黒服の男が声をかけてきた。
「うん。ありがとう」
流れる涙は、目深にかぶった帽子で隠していた。
どうしてこんな時だけ気が利くのよ…奇声を上げて暴れるだけな人のくせして…。
後ろ髪を引かれる思いで、フェンスに囲まれた屋上の見送りスペースを後にする。
「すごーい!正答率があがってるよー!」
春休み。
薫の家で週一度の模試をしていた。
模試の内容はアメリカにいる隆紫からメールで薫に送られてきて、問題と回答をプリントアウトした上で付き合ってもらっている。
本当に、隆紫には負担かけっぱなしだし、それだけの時間をどうやって捻出しているのか謎は尽きない。
「ねえ薫、隆紫からあたしに何も伝言無かった?」
「ないよー。『茜のことは頼む』のコメントと模試の添付だけだったよー」
「そう…」
「見送りができて少しは気持ちの
「うん。行っちゃった時は悲しかったし、泣いちゃったけど、隆紫の覚悟が確認できて安心したかな…」
見送りの時、一言も会話はしなかった。
あたしが叫んで、隆紫は振り向きもせずOKサインを残して行ってしまった。
これなら約束を破ったことにはならない。
けど心は通じ合った手応えを感じた。
もし意地でも行かなかったら、きっと後悔してたはず。
「薫は将来どうするの?」
「そんな深く考えてないかなー。茜は?」
「あたしは隆紫の仕事に関わりたい。進路はそのために考えたしね」
「それで
「どんな形でもいい。隆紫の仕事に少しでも触れたい。今までは
そう。どんな形でも構わない。
仮にあたしがどこかの会計事務所に勤めて、隆紫の働く職場を補助する間接的な関わりであっても。
好きな人だから、ずっと一緒にいたいから、少しでも構わない。
あたししか知らない隆紫のことを増やしていきたい。
ペンを置いて、志を心のなかで
薄いピンク色の花をつけていた桜はすっかり散ってしまい、緑に衣替えをしていた。
確かに色づいていた証は、足元で風に流される大量の花びら一枚一枚が雄弁に物語っている。
「隆紫、あたし…絶対に主席で卒業してみせるからね。隆紫もがんばって」
抜けるような
「終わったー!」
季節は夏。
期末試験が終わり、あたしは確かな手応えを感じていた。
「薫はどうだった?」
進級しても、薫とは同じクラスになった。
「
「自己採点では90点未満なしよ」
「すっごーい!明先くんに迫れる勢いじゃないー」
隆紫もがんばっているのに、こんなところで躓いていられない。
あれから時間さえあれば勉強していた。
今はあたし自身との戦いだ、と腹をくくって取り組んでいる。
そのために遊ぶ時間など持たず、起きている時間はとても簡単に割り振れる。
勉強しているか、食事しているか、歩いているか、お風呂に入っているか。
この4つが起きている時の行動。
あたしに好意を寄せて告白してくる男子も何人かいたけど、隆紫とまだ付き合ってることを伝えて終わりにしている。
「最初は無謀な進路希望と思ったけど、これなら十分通用するぞ。この調子で気を抜かずに取り組むといい」
進路指導では、すっかり様子が変わって応援する空気に変わっていた。
「はい。失礼します」
指導室から出たあたしは、そこに待っていたらしい人影に気づく。
「何か用ですか?」
「明先さんは元気ですか?」
待っていたのは、
去年末に隆紫を引っ掻き回して、一度は別れる原因を作った人。
「知らないわ。あたしは目指している大学を優秀な成績で出るまで、彼と連絡をとってはいけないことになってるのよ」
「…アメリカに行った彼と別れたって噂も出てるけど、どうなの?」
「別れてないわ。むしろ将来を共にするため、自分と戦いに行ったわ。そして…」
その横を通り過ぎつつ
「あたしも、自分との戦いよ。隆紫と一緒の将来を掴み取るために」
「………」
何も言わない紫苑さんに、言葉をかぶせる。
「少なくとも、あと3年半は
「ちょっと、あたしこんなことをしてる場合じゃないのよ?」
お母さんに呼ばれたと思ったら、いきなりあたしを脱がせて浴衣を着せてきた。
「そんなこと言って、最近の茜は張り詰め過ぎじゃない。少しは息抜きしてきたほうがいいわよ」
こうなると、テコでも譲らないことがわかっているあたしは、されるがままに着付けされた。
もう気が済むまでされるがままにしよう。
「できあがり。ほら、行ってきなさい」
「だからどこへ?」
巾着袋を持たされて、玄関から出ると薫が浴衣姿でそこにいた。
「浴衣姿、かわいーね」
「薫…なるほど、そういうことね」
あたしは薫に連れられて、近所の縁日をやっている神社にやってきた。
「ありがとうね…」
「ん?」
「今年に入ってからずっと勉強漬けの状態で、寝ても覚めても勉強の内容ばかりが頭の中を駆け巡ってるから」
「でしょーね。あまり根を詰めすぎると頭パンクちゃうよ」
進級してからも、目標としている大学の主席卒業というハードルに追い立てられて、あたし自身でブレーキのかけ方を忘れてしまっている。
隆紫という、大切な人が近くにいない寂しさを埋めようとしているのが、ブレーキのかけ忘れに拍車をかけているのも自覚していた。
でも、そうでもしないと嫌でも思い出してしまう。
遠くに行ってしまったあの人のことを。
「せっかくいつもの模試が調子いーんだから、ここで心が病んじゃったら元も子もないよー」
あれからもずっと、隆紫から薫に毎週の模試が届けられて、あたしはその結果を好成績でこなしている。
「そろそろ帰ろっかー」
張り詰めっぱなしの気持ちもほぐれてきた頃、薫は長居しようとせず帰路についた。
こうして、時々薫が気分転換に引っ張り出してくれて、緊張が続いていく中で日々を過ごしていく。
季節は回り、冬がくる。
受験シーズン真っ盛り。
周囲も張り詰めた緊張感が漂ってきて、あちこちで思い思いの大学名を口にしていた。
少なくとも、あたしと同じ大学を目指す人はいない。
かなりランクが高くて、成績は校内トップクラスでないと難しいとされる。
あたしはすでに学年総合2~3位まで上り詰めた。
隆紫から送られてくる薫立ち会いの模試も、ほぼ全問正解で手応えは十分。
進路指導でも、もっと上の大学を目指せるということだったから、あのリストに載っている更に上位の大学を志望校として指定した。
こうしてまた時は過ぎてゆく。
「それでは、始め」
大学受験の筆記試験本番を迎えた。
怖さはない。
あれだけ勉強と模試を繰り返してきて、裏打ちされた実力は伊達じゃなかった。
余裕を感じつつ、模試をしている気分で本試験に取り組んでいく。
「お入りください」
続いて面接試験。
自己紹介が終わり
「では本校を選んだ理由を教えて下さい」
勝負を賭ける志望動機の質問に入った。
「はい。わたくしは
面接官たちが明らかに動揺した。
…何があったの?
この志望動機は、
「茜、進路はおやじが出した中で一番ランクの低いところを選んでいるようだけど、ここを目指してみたらどうだ?」
隆紫が示したのは、5つのうち中間くらいの大学だった。
「えっ!?これはちょっと難しいかも…」
「ここの経済学科は
「麗白さんが…?」
その時は考えていなかった。けど、手が届くところまで上り詰めた。
「あの…何かあったのですか?」
「いえ、失礼しました。とても優秀な学生だったので、その関係者がここを選んだことに縁を感じただけです」
咳払いをして襟を正した。
わかっていたけど、やっぱり麗白さんはすごい人だったんだ…。
面接も手応えがあった。
隆紫は、こんなところまで考えてアドバイスしてくれたんだ。
「茜、大学から封筒が届いたわよ。ここに置くね」
「ありがとう」
中身は確認するまでもない。
やたらと中身が詰まっているその重量感から、学校案内や手続書類がぎっしりと詰まっていることは見ただけでわかる。
「まさか茜があの大学を主席で
「いえ、まだ始まったばかりよ」
「そっかー。
高校卒業の日。もうここで会うことは、もうない。
「薫…」
「なにー?」
「大学に行っても、ずっと友達だよね?」
「もちろんー」
あたしにとって、とても大切な友達。
歩む道が違っても一緒だと確認したかった。
「お父さん、お母さん。それでは、行ってきます」
あたしは実家を出て寮に入るため、必要な最低限の用品をバッグに詰めて家を出た。
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