第44話:ろい・ろい( Loin loin)
今年に入ってからずっと勉強漬けになっていたあたしは、いつ以来になろうのだろうか。心がウキウキしている。
勉強するペンを持つ手にも自然と力が入ってくる。
あの日の帰りに、隆紫から待ち合わせ場所と時間の連絡が来ていた。
スマートフォンに表示されているメッセージを見ては、思わずこみ上げてくる笑顔を隠しもせず机に向かっている。
再来週は学年末試験もあるから、試験対策もしっかり取り組む。
「明日は朝に服を選んで…」
勉強のペンを走らせつつも頭に浮かぶのは隆紫とデートのことばかり。
ダメッ!今は勉強に集中しなきゃ。
カリカリカリ…と試験対策以外のことを頭から追い出しつつ、テキストの問題を解いていく。
日曜の朝が来て、あたしは服選びをするためベッドに服を散らかしていた。
「久々のデートだから、とっておきの服にしなきゃ」
次第に春の足音が近づいてきているから、春めいたパステルカラーにしようと思っているけど、組み合わせがなかなか決まらない。
こうしている時間も幸せに感じる。
散々迷って決められず、時間が無くなってきたところで手にした紺色の小さい花柄フレアスカートにレモンイエローのクルーネックニットにライトベージュのステンカラーコートをあわせることにした。
「行ってきまーす」
時間が無くなってしまい、慌てて家を出て駅へ向かう。
今回は猿楽さんが隆紫を乗せて胴長な黒塗り車に乗ってこないことを祈るばかり。
駅に着いた。
「4分遅刻しちゃった…」
後ろに官司さんがいるけど、この際気にしない。
どうせ隆紫と合流すればお役御免になって開放されるから。
「待ったか?」
ふと後ろから声がかかる。
パッと振り向くと、隆紫ではなく他のカップルが後ろで笑顔を振りまいていた。
「違った…」
声でわかったけど、こうして待っているとつい反応してしまう。
10分が経った。
隆紫はまだ来ない。
「ねえ官司さん、隆紫って遅刻する人?」
「存じません。あなたと一緒の時間が遥かに長いので」
「そうよね…」
30分が経とうとしている。
何度も電話やメッセージを送ったけど、応答がない。
「官司さん、猿楽さんと連絡取れる?」
「緊急時以外は連絡を禁じられています」
はふ…
軽くため息をついて、明先の屋敷へ足を運ぼうと思い始めた頃…。
「
後ろから黄色い声で呼びかけられて、目を見開く。
何で…
振り向くと、慌てて出てきたのだろうか。薄化粧の薫がそこにいた。
「薫…?」
「ごめーん茜、電車の車両故障で遅くなっちゃったー」
「…薫と待ち合わせ…してたっけ…?」
駅から駅前広場までのここへ走ってきたのか、はあはあと肩で息をしている。
「明先くんから、頼まれて、急いできたのー」
「どういう…こと…?」
「こんな場所で立ち話もなんだしー、そこのカフェへ入ろーよ」
指差すのは、この駅前広場が見えるお手頃なチェーンのカフェだった。
「…隆紫を待ってるから、入らない」
「いーから!来てっ!」
「それ…どういうこと…?」
「だからー、明先くんは来られなくなったのー」
まさかドタキャンされるなんて…。
無理やり引っ張られて入ったカフェで、待ち合わせ場所が見える窓際に座ったあたしたち…とガチムキ黒服の官司さんはすぐ後ろに座っている。
「約束を破る人じゃないのに…」
「それがねー…」
薫が受信したメッセージを表示したスマートフォンと交えて、状況が説明された。
「…というわけー」
あたしは頭が追いついてこなかった。
隆紫の父は、あたしと隆紫が条件を満たすまでの間は学校以外で会うことは例外として、一切の会話や連絡を禁止されたらしい。
外で会うことも禁止されたから、今日のデートができなくなった。
どんな顔をしているのか、自分でもわからない。
ただ頭の中が真っ白に、空っぽになった。
「どうして…こんなことに…」
「茜…」
息をすることすら忘れて、ただ呆然としていた。
楽しみにしていたデートが白紙になったことを頭がやっと理解した後、頬を伝う雫が止めどなく流れ続けていた。
とぼとぼと家路に就き、家を出る時とは打って変わってどんよりした顔で戻ってきた顔を見る人がいなかったことだけが救いだった。
あたしの顔は今、いつ晴れるとも知れないシトシト降り続ける長梅雨のように曇っていた。
自分の部屋に戻ってきて、ドアを閉める。
閉めたドアにもたれかかって、そのままズルズルとお尻をつく。
「あたしが…何をしたって言うのよ…こんな仕打ち…ひどすぎるよ…好きな人と一緒にいたいだけなのに…それのどこがいけないっていうのよ…」
まるで少し道を間違えて、迷い込んだ出口の見えない迷路を彷徨っているような感覚に襲われる。
気がつくとお昼近くになっていた。
両親は今日も仕事で、あたしよりも早くでかけている。
キッ!
ぐしぐしと泣きはらしたあたしは、顔を上げる。
「いいわよ!あと5年我慢すればいいんでしょ!?あの大学を上位で卒業すればいいんでしょ!?やってやろうじゃないのっ!!どうせできないと思ってるんでしょうけど、主席で卒業して見返してあげるわよっ!!」
散々悩んで決めた勝負服をバッと脱いで部屋着に着替えて、机に向かう。
気がつくと、薫からメッセージが来ていた。
『せっかくのデートだったのにショックだったよね?応援したいけど、すごく厳しい親みたいだから、下手なことは言えないのがもどかしいよ。明先くんから頼まれたんだけど、週一度の模試立ち会いはわたしがやることになったよ』
協力してくれるその気持ちに心を動かされながらも、あたしの背中を押してくれることに心強さも感じた。
『うん。でも、もう大丈夫。あたしたちの問題に巻き込んでごめん。模試の件もよろしくね』
と返事した。
「猿楽、そっちはどうだった?」
離れの自室から電話を掛ける隆紫。
「影も形もなく、それらしい動きはかけらもありません」
「そうか。となるとやはり…」
「その線が濃厚と思われます。切り札としての温存という訳でもなさそうです」
「とはいえ、条件を満たしたほうがよりスムーズに事が運ぶだろう。一波乱はありそうだがな」
二人で気になる点が一致したため、電話で作戦会議をしていた。
「それでは…」
「お前は一緒に来てもらうぞ。さすがに僕一人では手に余るだろう」
「は。仰せのままに」
それぞれの思惑をよそに、夜は更けていった。
翌朝
いつものとおりに朝早く起きて、頭が冴えている今の時間を有効に使うため昨夜解けなかった問題に取り組むと、なんでこんなことで躓いていたのかと自分で驚きを隠せなかった。
出かけようとした時、薫からメッセージが届いていたことに気づいて内容を確認する。
『わかってると思うけど、明先くんと会話しちゃダメだからね』
と釘を差された。
そう…だよね。
いくら顔を見られると言っても、関わってはいけなくなっちゃたんだよね。
それに、もうすぐ試験期間に入る。
あたしにとっては、進路に関わる重要な試験。
ここで少しでも隆紫に追いつかなきゃ、二人で隆紫の父を見返すなんて夢に終わってしまう。
「おはよう」
教室に入り、まだ隆紫が来ていないことを席の状態で確認できた。
新学期になってからすぐ席替えがあり、隆紫とは離れてしまっている。
確かな心のつながりがあったから不安は何もなかったけど、今は関わらないよう距離を置かなければならない。
「皆おはよう」
聞き慣れた声が耳に突き刺さる。
思わず目を見開いてしまうけど、グッと堪えて目を閉じる。
「茜ー…」
…辛い。
いっそ視界に入らないよう、遠くに行ってほしいとも思い始めていた。
意識して関わらないようにするその態度に、教室の中がにわかに緊張感を誘う。
そして出てくるのが…。
「ねぇねぇ、あのブルジョアカップルが破局したって本当!?」
「どう見てもそうとしか思えないよね!」
「狙うなら今しかないよ!」
という噂は数日で出てきた。
「ねー茜、あれ言わせておいていーの?」
「いいのよ。隆紫があたしを避けるってことは、本気であたしとの将来を考えてるってことだから、むしろ安心ね」
薫の問いかけに、あたしは開き直った態度で答える。
気取った口調をやめた隆紫は、急激に女子人気が高まっていた。
しかしあたしと恋仲になったという噂が広まるにつれて、遠巻きに見ている女子が増えるだけだった。
それが今、あたしと関わることを避ける隆紫の噂が広まっていき、再び女子人気が再燃の動きを見せている。
「あたしたちの間に何があったのか、それを知らずに近づいても火傷すらできないまま終わるわ」
「おー、よゆーだねー」
「むしろ、条件を満たす前にあたしと普通に喋るようになった時は…そのほうが怖いわ…」
「そっかー。茜と一緒にいることを諦めたってことになるもんねー」
こくんと頷く。
「だから…在学中に隆紫から普通に声をかけてこられたら…笑顔でいられる自信がない」
本当に信頼しているんだ、と心の中でつぶやく薫。
「関わった当初に嫌がってたのが嘘みたいだねー」
「うん。自分でも信じられないわ。でも…」
一呼吸おいて、口を開く。
「今は失いたくない、大切な人よ」
「明先くんって…」
「ちょっとまって。今まで気になってたんだけど、今まで明先さんって呼んでたよね?」
「それ今年に入って本人から言われちゃってねー、よそよそしーからやめてって」
「そうだったんだ」
今までずっとそれで見逃してきたのは一体…。
本人の前で呼ぶことがあまりなくて、そもそも気づく機会が無かっただけかな?
まあ、深くは突っ込まないようにしておこう。
「ごめん、話の腰を折っちゃったね。それで何?」
「うん、明先くんって周りをよく見てるし、先回りしていろいろと進めるよねー」
「ほんとにね。信じられないくらい先を見越して手を打つのよ」
実際にあたしの救出劇、その舞台裏を聞いた時は信じられないほどの手際だった。
かと思えば、駅を一度も使ったことが無かったり、即決で買った超高級財布に札束を詰め込もうとする世間知らずな一面もあった。
家に帰ってきて、制服をクローゼットに仕舞おうとした時、ふと目に入ってきたものがあった。
白と黒のひらひらした服。
隆紫のいる離れで過ごしていた頃に着ていたメイド服。
あたしが恥ずかしがる姿を見て楽しんでいたっけ。
思えば、あれもあたしに嫌われようと必死に考えた結果だったのかもしれない。
無意識の内に手が伸びて、気がついたらもはや着慣れたメイド服に身を包んでいた。
これを着たら、脱ぐまで隆紫をお世話したけど、今はそのお世話をする相手が目の前にいない。
それどころか…この先5年は会うことができないし、声を聞くこともできない。
今、彼とのつながりを感じることができるのは、このメイド服と二人で撮った写真だけ。
ポタッ
手にした写真立ての写真。
二人笑顔で写っている幸せそうな顔に雫が落ちる。
「逢いたい…逢いたいよ…隆紫…」
ガクッと膝をつき、止めどなく流れる涙を堪えようともせず、ずっと涙を流し続けていた。
「絶対、絶対にまた笑顔で逢おうね…」
休みを挟んで試験期間が始まった。
あっという間に試験が終わり、試験休みが明ける。
「茜ー、結果どーだった?」
「目標には届かなかったわ」
「…すごーい!こんなのめったに見られないよー」
返ってきた試験の採点はすべて85点以上だった。
目指したのは全教科90点以上だったから、自己判定としては不達。
年末の期末試験で、隆紫は93点以上だったから、まだ隆紫には追いつけていない。
改めて隆紫の凄さを実感した。
「進路指導に時間かかっちゃったわ」
進路の大学を高めのハードルにしたけど、かろうじて片足がかかり始めたことで、熱のこもった指導教員との話で少し時間を取られてしまった。
「ん?」
隆紫が昇降口と違う方向に歩いていくのを見かけて、あたしは思わず後をつける。
校舎の裏側へ滑り込んだのを確認して、あたしは角の壁に身を隠した。
「あの…明先さん、好きです。付き合ってください」
それは、壁の角越しに聞こえた告白だった。
隆紫…なんて答えるの…?
「ありがとう。でもごめん、今は誰とも付き合えないんだ」
「どうしてっ!?
「勘違いされてるけど、別れてない。わけあって距離を置いてるけど、僕はまだ茜以外の女の子とは付き合いたくない。それに…」
一呼吸おいて、隆紫は口を開く。
「来月から、僕はアメリカへ留学することになった」
それを聞いた瞬間、頭が真っ白になると同時に全身鳥肌が立って気持ち悪かった。
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