第40話:いす・こん(Échouer convaincre)
「お届けものでーす」
「はーい」
離れで掃除をしている最中に玄関の呼び鈴が鳴り、宅配便の配達員が玄関の外にいることを確認してからドアを開けた。
配達員が若干ギョッとしたように見えたけど、あたしがメイド服を着ているからだと、すぐにわかった。
「はい、配達お疲れ様です」
笑顔で送り出して、送り元を確認する。
そして送られてきたのは花束だった。
送り元は見覚えがないものの、隆紫に対するお祝いの意思を示すものだとすぐに分かった。
「どうしよう…離れに花瓶なんて見かけた試しがないし…」
散々悩んだ末に、あたしは忙しいであろう隆紫に電話をかけた。
「忙しい時にごめん」
「
「実は…」
花束が届いて、花瓶も無い状況を伝えた。
「なら
「ええ!?母屋に入るの!?」
「問題ない。僕から姉に連絡しておく」
しれっと言う隆紫。
「母屋ってあたしが一人で入っていいの!?」
「離れにはひととおりの生活用品が揃ってるから、基本的に母屋とは関わらないことにしているが、出入り禁止というわけじゃない。第一渡り廊下でつながってるんだから、出入りなんて今更だろう」
「それはそうだけど…」
「離れは離れで勝手に生活してるから、母屋で誰かとすれ違っても、会釈する程度にとどめておくようにな」
「う…うん、わかった」
PI
電話を切って、我に返った。
渡り廊下を通って母屋に足を踏み入れる。
なんというか、他のクラスや学年の教室に入る時のような場違い感を覚えつつ足を進める。
間取りはぼんやりと覚えている。
前に麗白さんから声をかけられて、部屋へ入った記憶だけを頼りに進む。
「たしかここのはず…」
同じようなドアがずらりと並んでいる中で、ここだけドアノブが違う。
金属削り出しながらも、軸部分に花のような彫り込みがされていて、触るのが躊躇われるほどの輝きを誇っている。
コンコンコン
「失礼します」
部屋の中から返事なかった。
麗白さんは、今アメリカにいるから当然といえば当然だけど。
もし誰かいるとしたら、家族や使用人くらいのはず。
カチャッ
ドアを開けると、そこは決して悪趣味ではない豪奢な調度品が並んでいた。
「よかった、合ってたわ」
この部屋に入るのは二度目。
一度目は隆紫と会話もろくにできなくなったあの時。
隆紫の身に起きたことを聞いた、あの日。
明先麗白さん。
隆紫の姉である彼女は、もともと隆紫が今働いている
そこであたしの姉、
全国展開を前に経営が苦しかった
責任を感じた隆紫は、あたしと決して恋仲にはならないと心に決め、それでも近くに置こうとして、櫟託送便に融資することと引き換えにあたしをメイドとして迎えた。
人の命を奪ってしまった罪の意識に縛られて、自分に押しつぶされそうな隆紫の心を解いたのは、姉の桜が書いた遺言だった。
ほんとに…色々あったな…。
思い出深い場所に思いを馳せていたけど、ここに来た目的を思い出した。
「花瓶、花瓶は…」
周りを見回すと、大きさが丁度よさそうな花瓶を見つける。
「これにしよう」
とはいえ、手に取っただけでその高級さが分かる。
「壊さないよう慎重に運ばなきゃ…」
花瓶を抱えて部屋から出る。
掃除用具を手にしたメイド服の人とすれ違い、隆紫に言われたとおり会釈してやり過ごす。
もう一人、男の人とすれ違う。
また会釈してやり過ごしたと思ったら…
「君、見ない顔だね。もしかして離れにいる隆紫の…」
そう言いかけたのを見て悟った。
この人は隆紫の父親だと。
隆紫はあたしの両親に挨拶を済ませている。
いずれあたしも、挨拶を済ませることになるわけで…。
顔を見ると、威厳に溢れる、という表現がピッタリな顔つき。
鼻下のヒゲは白いものが混じりつつも、キッチリと整えられたその形はつい目を引かれてしまう。
大会社の社長をイメージした似顔絵を描けと言われたら、おそらくこんな人なのだろうなと思える。
背はあたしよりずっと高く、近くまで来ると見上げるくらいだった。
「はい、隆紫…さんとお付き合いさせていただいる
ペコリと頭を下げる。
「隆紫の…女?」
ギラリとその目が一瞬鋭く光った気がした。
「あの…隆紫さんの…」
「ああ、隆紫の父で
「はい、今後ともよろしくお願いします」
初めて顔を合わせた隆紫の肉親だけど、手にした花瓶のことがどうしても気になってしまい、足早に離れへ戻る。
倒れても落下しなさそうな広めのスペースに花瓶を置いて、受け取った花を花瓶に活けた。
「隆紫様、大旦那様から電話が入っています」
「つなげ」
明先本社ビルで、いつもの仕事をこなしている
「何か問題でもあったか?おやじ殿」
「会長と呼べ」
受話器の向こうから不愉快そうな返事が飛び出した。
「へいへい会長様、どうしたんだい?」
おちょくるような口調でおどけた様子の返しをする隆紫。
「………それはどういうことだ?」
極力平然を装っているけど、わずかに混じった動揺の声色が、事の深刻さを物語っていた。
「………今は仕事中だ。切るぞ」
ガシャン!
受話器を叩きつけるように荒々しい切り方をした。
当然受話器の向こう側では、大きな衝撃音が響いただろう。
「いかがなさいましたか?」
「お前には関係ない」
(やれやれ…とうとうこの時が来てしまいましたか…。念の為に保険だけはかけておくとしましょう)
猿楽が頭の中だけにとどめたつぶやきだった。
ヒューン…
相変わらず囁くようなエンジン音が車内に響き渡る。
猿楽の運転するリムジン後部に座った隆紫は、何かを黙考しているようだった。
「隆紫様」
「なんだ?」
「大旦那様からかかってきた電話の内容については存じ上げませんが、わたくしの仮定が正しいとして一つ提案がございます」
無言の返事をした隆紫に対して、猿楽は提案内容を語りだした。
「…と、このように考えております」
黙って聞いていた隆紫は、夜の帳が下りた闇に包まれている車内でそっと目を閉じるのだった。
それは暗黙の内に猿楽が口にした推測の肯定を意味していた。
「それで、どういうことだ?おやじ殿」
「どうもこうもない。電話で伝えたとおりだ」
隆紫は、改めて父の青慈と話し合う場を設けた。
母屋にある大旦那部屋に入ってすぐ、隆紫は本革張りのソファにドッカと身を投げ出して、吐き捨てるように問う。
「最近のお前…いや、
大机から動かずに書類にサインをしながら、感慨なさそうな口調で返す。
「やるべきことはしっかりやっている。何が不満なんだ?」
「できていないではないか。それが数字にはっきりと出ている。のんびりと取り組んでいる場合ではないと言っているのだ。
苛つきを隠せない様子で仕事を進める青慈。
「この
「それはどういう意味だ?」
「麗白姉が進めていた計画を
「それで、できているのか?」
「子会社化は済んでいる。全国展開もすでに終えて業績は回復基調だ」
バサッ!
青慈は書類をソファに座る隆紫に投げつけた。
投げた軌跡の延長線上にいくつかの紙が、散っていく花びらのようにひらひらと乱れ舞う。
「これは麗白が立てた計画だ。お前が
「僕の引き出しにはこれが入っているし、いつも見ている」
「ならばこの計画書の中において、できていることとできていないことは把握しているか?」
「大きく分けて三つ。一般向け物流を全国で開始すること。今期の成長率を150%にすること。中期計画で成長率を平均120%とすること。最初の分はできている」
「中期計画はまだこれからのことだからともかくとするが…」
一呼吸おいて口を開く
「今期の成長率を達成できるのかと聞いているのだっ!!」
今の状態は成長率130%の見込みであり、150%達成のためには過去半年ほどの取引を三ヶ月ほどですべて成立させる必要がある。しかも年末年始の特需を含んでのことであり、新年は通年でも物流が落ち着き始める頃。
「大手通販サイトの配送に関する特約を取り付けつつある」
「それが成立したとして、数字に出てくるのはいつだ!!?間に合うと思っているのかっ!!?麗白の業務を引き継いで責任を取ると豪語したあの勢いはどこへ行ったのだっ!!?」
「まだ今期は終わっていない。なぜそこまで口を出してくるのか、説明願いたいものだ」
隆紫は反撃のカードが乏しくなってきたため、真意を確かめる方向に舵を切った。
「この調子では目標達成が不可能とわかっているからだっ!!」
「この事業は全くの新規で立ち上がったものであり、過去の成果は全くあてにならないはずだ。確かに目標達成は厳しい状況に違いないが、まだ結果が出たわけではないのだから、判断するにはまだ早いのではないか?」
「先を読むのが経営者の仕事だっ!!確かに全く新規の事業であることに違いはないが、新規の事業ならこれまでも数々手掛けてきたっ!!その傾向を元に展開を読むことくらいはできるっ!!このままでは目標達成など不可能だと判断したのだっ!!実際の経営を始めて一年程度のひよっこが見る楽観的展開などありえんっ!!」
「ならそのひよっこに
「絶対にやり遂げると昼夜問わず口にしていたのは誰だっ!!?そこまでの気合いならば死ぬ気で達成してみせろ!!儂ならやると言ったら絶対にやり遂げる!!」
これまでのやりとりで何か違和感を覚えた隆紫は、アプローチの方向を変えてみることにした。
「ところで僕の出勤状況を知っているか?」
「ふん、そんなもの詳細に把握しておるわ。学生の身であることは免罪符にならん。現状では一般社員の勤務時間すら遠く及ばん。いっそ学校を辞めて仕事に集中するか?今のままではどっちつかずでズルズルと時間だけが過ぎていくぞ。今やお前は数千人の社員を養う責任がその肩にかかっているのだぞ!」
違う。このアプローチではない。
まだ消えない違和感が、それを教えてくれる。
「友達と呼べる人も作らず、学校が終わったらすぐに明先本社で仕事をしている。夜も遅くまで残って神経をすり減らしている毎日だ」
「ふん、どの口がそんな戯言を吐き出させているのだろうな」
違和感が一瞬消えた。
どれだ…一体どれに違和感が消えたんだ?
「しかし猿楽を僕の専属にしてくれたのは正直助かってるよ。秘書としても専属ドライバーとしても優秀だからな。おかげでただでさえ足りない時間を無駄にしなくて済んでいる」
「フン、あいつは元より隆紫の世話をする立場として招き入れたに過ぎん。最初から扱いにくいお前の世話をさせるつもりはなかった」
…違和感が再び顔を出してきた。
まさか…。
「離れのことはお抱えメイドがやってくれているから、僕は家事から開放されて仕事が捗っている」
「なんだったら儂のメイドを貸してやるぞ。もちろん入れ替えでな」
この一言で、違和感が消えた。
間違いない…茜に関して何かある。
「話が脱線し始めたな。麗白から引き継いだ仕事をやり遂げるというなら、まずは自分自身の引き締めからやってみるがいい。なんだったら離れから母屋へ戻ってくるがいい。部屋は用意できるから心配など要らぬ」
「…どういう意味だ?」
「電話で伝えたとおりだ」
プチンと隆紫の中で何かが切れた。
「ふざけるな!それとこれとは話が別だろう!!」
「黙れ隆紫。文句があるなら結果を出すがいい。明日にでもあの女とは別れよ!!」
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