第39話:てあ・どろ(Tear drop)
「あけましておめでとう」
何度目になるのか、新年の挨拶で始まる新学期。
トラブルに遭って仕方なかったとはいえ、一人寂しい思いをさせてしまったことは今でも悪いと思っている。
「おはよう、
すでに付き合っていることが知られている隆紫が相手だから、新年の挨拶はしないでおく。
ここで初めて会ったような態度では逆に怪しまれてしまう。
薫に聞いた隆紫のキス未遂は、元日の夕食時に聞いた。
体育祭で一緒になった
その後で避けてしまったのは、あたしの気持ちがざわついてしまい、素直に隆紫の言い分を受け入れられそうにないからという事情も話した。
で、すぐに薫も呼び出されて、お互いを呼び出した手紙の犯人が薫だったことも隆紫は見抜いていた。
さすがに呼び出された目的までは見抜けていなかった。
「…であるからして、二年生は進路を考えて今から準備しておくように。私からは以上だ」
退屈な始業式を終えて、会場である体育館を出る。
バチッ
ふと司東さんが近くにいて、視線がぶつかった。
けど、あたしはそのまま無視する。
昨日…
「何よ…それ」
司東さんと隆紫の間であったいざこざの内容を元日の夜に聞いて、少し落ち着いた頃…つまり登校日の前に司東さんをどうするか隆紫から話があった。
「僕としては、司東さんのしたことは許せない。けど、茜は司東さんと関わらないでくれ。これ以上波風を立てて事態を悪化させたくない」
「なら、どうするの?」
「彼女とは僕が話をしておく」
「大丈夫なの…?」
「僕ならもう迷わない」
そういうことじゃないんだけど…。
あたしの心配をよそに、隆紫は話を切り上げてしまって続きを言い出せなくなってしまった。
「ねー、あの人でしょ?去年末に引っ掻き回してきたの」
「うん…」
「信じらんないっ。人の恋路を邪魔するなんて」
「それあなたが言うの?」
やっと退院してリハビリを終えた
「あははっ、何のことっ?」
笑ってごまかそうとする真弓さんだけど、こんな軽口を叩けるようになって安心はしている。
「あ、真弓さん。やっと退院したんだ?」
陸上部のエースこと
「怪我が治るまでにほぼ一ヶ月っ、リハビリにほぼ一ヶ月でまるまる二ヶ月かかっちゃったわよっ」
「ところでものは相談なんだけど、陸上部に入らない?」
「無理っ」
「あなたの足なら即エースになれるんだけどな」
「もうこの足は競技に使えないわっ。やっと普通に歩ける程度まで回復したばかりだしねっ」
実際に真弓さんの足はひどいことになっていた。
彼女は意地を見せるためとはいえ、捻挫した足で無理に自分の限界まで足を使ったことで支払った代償は大きかった。
もしあの時に走らせないで欠場させていたら…あたしと真弓さんの仲はすっごい険悪になっていたかもしれない。
これは彼女が自分で選んだ結果であって、あたしはそれを成し遂げる手伝いをしただけ。
でもあたしは後悔している。あの時に真弓さんを見つけ出さなければ、助け出さなければ無理をさせなくて済んだ。
互いに意地を賭けた競争は真弓さんの不戦敗になってしまうものの、ここまでひどい怪我をせずに済んだはず。
その後で改めて別の形で勝負していれば…。
真弓さんの性格じゃ、ずっと根に持ちそうかな。不戦敗からの仕切り直しではあまり穏やかには終わらなかったかもしれない。
せっかく打ち解けてきた真弓さんと険悪な関係にはなりたくなかった。
方向性に間違い…いえ、あたしが考える方向性との違いはあるけど、思い込んだらまっすぐ進む彼女が望むなら、できるだけ協力すると決めた。
もちろん大切な彼…隆紫を譲るのは無理だったけど。
「そう、残念だわ。あの時に怪我をしていなければ…無理に走らなければこうはならなかったのでしょうけど」
「そもそも突っかかってきたのは瀬尾さんでしょっ」
「真弓さんこそ委員会であんな言い方をするから…」
「それならあのまま口出しせずに結論が出なくてよかったのっ?」
少し雲行きが怪しくなってきたけど、お互いを認めあった何かがある今、前みたいな対立はしないでしょうね。
会話をしている間に教室の前までたどり着くけど、そのまま足を止めて話を続ける。
「だから言い方がきつかったと言ってるのよ」
「あんな決めるものもロクに決められずだらだらとした空気を引き締めるには必要だったのよっ。一人が憎まれ役になって話が進むなら、いくらでも憎まれ役を引き受けるわっ」
「ほんと、意地っ張りなんだから」
「それはお互い様でしょっ」
二人は目を合わせて、ふふっと笑いあった。
この二人はもう大丈夫。
そんな手応えを感じる。
真弓さんって決して悪い人ではないんだよね。脇目も振らずまっすぐ進みすぎて方向性を間違うだけで。
「ところで勝負を持ちかけたとき、絶対勝てるって思ってたでしょっ?」
「もちろんよ。目指すはオリンピックって気合いで陸上部にいるんだもの」
確かにこのままトレーニングを怠らずに進んでいけば、世界大会でも通用しそうな程の健脚を持っている。
「そういう真弓さんこそ、陸上部じゃないのになんであんな足速いの?」
「ストレス解消のため川沿いの道をよく走ってるのっ」
「あー、あの道って走りやすいよね。よくジョギングしてる人がいるし。いつ頃からあの川沿いを走ってるの?」
「よく親と意見がぶつかってね、家を飛び出してめちゃくちゃに走ることがあるのよっ。そんな中で頭が空っぽになるまで走るとスッキリして、改めて親と話し合いするパターンが多くてっ」
真弓さんはすっかり瀬尾さんとくだけた感じで話し込んでいた。
将来か…。瀬尾さんは世界大会の選手を目指している。
隆紫は明先を継ぐ気でいるみたいだけど…あたしは…。
そういえば真剣に考えたこと無いな。
今がいっぱいいっぱいすぎて、先のことなんて考えてない。
とりあえず大学進学を目標にしているけど、その後は…。
ボボボッ!
ふと、純白のウェディングドレスを
いやいや、あたしにはまだ早いって!
「何、一人で百面相してるのっ?」
「いやー、あたしまだそこまで考えてなくて!」
「…何のことっ?どうせ彼氏のことを考えてたんでしょっ」
図星を突かれて、また顔を赤くしてしまう。
「そういえば
「それが冬休み前に一度別れたんだってっ。翌日に復縁したらしいけどっ」
「ちょっと!それ言わないでよ!瀬尾さん、これ言いふらさないでね!」
「それは別れたって言わないよね…単にケンカして普通に仲直りしただけに聞こえるわよ」
「まあ、そんなとこ…」
詳しく話す気はなかったから、誤解を解かないでおくほうがいいと思って黙る。
「ところで瀬尾さんって彼氏いるの?」
「いないわ。部活でいっぱいいっぱい過ぎて彼氏どころじゃないのよ」
そっか。目指すは世界大会だものね。そこを理解してくれる人じゃないと難しいかもしれない。
「おーい、そろそろホームルームの時間だぞ。教室に入ったらどうだ?」
「うん、今行く」
隆紫に催促されて教室に足を向ける。
「2年の三学期は勝負の時です。それぞれ進路を見据えた準備は既に進めていると思いますが、ここでの準備と心構えが進路を決定づけるものと心得て過ごしていってください。それでは今日はこれで解散」
だらだらとお説教じみた担任の言葉を聞き終えて、午前中で下校時刻となった。
話をし足りなかった真弓さんは、瀬尾さんと合流して立ち話を再開する。
気になったあたしと薫もその輪に入った。
「ところでバイトってまだ続けてるの?」
「続けてるわよっ。とはいえ足が万全じゃないから時間も短くされてるけどねっ」
「バイトって何をしてるの?」
尋ねてくる瀬尾さんに、真弓さんは耳打ちする。
まあ、居酒屋なんて学生がやっていて歓迎されるお店じゃないから、大声で言うわけにはいかないよね。
「そうなんだ!わかった。誰にも言わないから安心して」
「親の猛反対にあってねっ、店長も巻き込んで説得にあたってやっと認めてくれたのっ。手助けしてくれたのが櫟さんってわけっ」
「へえ、櫟さんって色々人助けしてるんだ?」
「誘拐事件にも遭ったしねっ」
「ええっ!?」
「ちょっとそれ言うの?」
「いいじゃないっ。無事に帰ってこられたんだからっ。櫟さんが明先の長女と間違われて、身代金目的で誘拐されちゃったのよっ。いろいろあって明先さんが犯人のところへ乗り込んで解決したんだけど、その時に思い知っちゃったんだよねっ…櫟さんを思う明先さんの気持ちには、勝てないってっ」
「茜って最初は明先さんをすごく嫌がってたんだよねー。けど時間が心の扉を開けていって、ついには付き合うまで行っちゃったわけ」
同棲してるのをバラされなかったのは安心したけど…。
いつ薫の口が滑ってしまわないか、ハラハラしていた。
「茜、君は先に帰ってくれ。僕はまだ用事が残ってる」
「うん…わかったわ」
隆紫の用事とはわかっている。
司東さんと話をすること。
傷つけられるきっかけになった司東さんだけど、決して悪い人なのではないと思う。
真弓さんと同じく、手段を間違えてしまっただけなのだろう。
そんな人を傷つけなければならない隆紫が…傷つけられなければならない司東さんが…心配でならない。
「で、結局黒服は着いてくるんだー?」
立ち話をしていたあたしたちは、会話に華が咲いたあたりでお昼も近くなってきたこともあって、話はまた後日ということでそれぞれ帰路に着く。
「そうなのよ。せっかく護衛を外すよう隆紫に掛け合ってるのに、元日の件でやっぱり目を離すとすぐ事件に巻き込まれるって言って、ますます
「あはは…大変だねー」
苦笑いしつつ薫がなんて反応してよいのかわからなそうな声色で続けてきた。
茜たちが帰る少し前…。
隆紫は、帰ろうとしている生徒でざわつく廊下を進んでいた。
「司東さん、ちょっと来てくれ」
「何よ、なにか用事でも?」
隆紫は黙って歩を進める。
司東さんはその後を着いていく。
ひとけの無いところで隆紫は足を止める。
「
「ああ、君のおかげで一度は別れたよ」
司東さんはピクッと眉を動かす。
「その翌日に仲直りした」
「………」
黙っているのは、次を促していると判断して、隆紫がまた口を開く。
「寒空の中で凍死するかと思ったよ。覚悟を見せるためとはいえ、我ながら無謀なことをしたものだ」
「そこまでして…どうしてあの娘なの!?」
「僕は最初に出会った時、あの人の素性すら一切知らなかった。当時のクラスメイトだったことすらね。ひと目見て心を奪われた。そして知れば知るほど、彼女の良さが分かってそばに居たいと思える、そんな人なんだ」
司東さんはわずかに構える。
「それで…どう責任を取らせるつもりなの?」
無言で隆紫は右手を振りかぶった。
グッと目を瞑って強ばる司東さんの頬へ隆紫の手が向かう。
そのまま少しの間、司東さんは体に力を入れたまま目を瞑っていた。
「こうしてひっぱたくつもりだったけど、そんなことをしても僕の気が晴れるわけじゃないし、君の未練が
隆紫の手は、司東さんの頬に触れるか触れないかというところで止まっていた。
「それじゃ…どうするつもりなの?」
やっと目を開けた司東さんは、おずおずと先を促す。
ぽんぽん
頬を叩こうとしていた手を、頭の上にかざして軽く叩くように撫でる。
「ありがとう」
「えっ!?」
思わぬ言葉をかけられて目を見開く。
「彼女は決して、政略結婚目当てで僕に近づいてきているのではないことを僕なりに確信できた。君がいたおかげでね」
さわ、と頭に置いた手を少し動かす。
「こうして彼女と親の本音を引き出せたのは、他でもない君が僕たちの間に波を立ててくれたからこそなんだ。それが分かった今、少しも迷わず彼女を愛し抜くことができる。何が起きても、僕が守ると決めた」
再びぽんぽんと軽く叩くように撫でて
「だから、ありがとう。気づかせてくれて」
それだけ言うと、隆紫は背を向けてそこから立ち去る。
それは彼なりの配慮だった。
背を向けすぐ頬を伝った雫を見届けないように。
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