第37話:らぶ・わん(Loved one)

 クリスマスが終わり、世間は一気にお正月ムード。

 二人で食べ切れそうなミニおせちを作る準備に入る。

 といっても、今は材料を買ってくるだけ。

 キッチンの冷蔵庫に買ってきた材料を置く。

「そういえば隆紫りゅうじ、どうしてあたしなの?」

 あたしはリビングにいる彼へ問いかける。

「何がだ?あかね

「高校入りたての頃、全然あたしに興味なさそうだったじゃない」

 聞いて、顔を真っ赤にする隆紫がどこか可愛く見えてしまう。

「お前は覚えてないだろうな…確かに一年の連休までは興味無かったさ。けど一年一学期の連休に、儀同ぎどうってお宅の配達に来たろ?タワーマンションの住居最上階にさ」

「え?うーん…」

 確かに、高校一年の連休は宅配の特需だったらしく、どうしても人手が足りなくて親の手伝いで数日だけ配達に出た記憶がある。

 どうしても人手が足りず、親の運転するトラックに乗って近所の配達をしていた。

 タワーマンションの配達もあったような気がする。なんとなく思い出してきた。

「その配達の時、僕はそこにいたんだ」

「………ごめん、聞いちゃいけないことだったんだね。名前が変わると学校でも悪目立ちしちゃうよね」

 バツが悪くなって、目を逸らしながら話を終わらせることにした。

「待てコラ。お前絶対勘違いしてるぞ。僕は生まれたときから明先みょうせんのままだ」

 ジト目でツッコミが入った。

「別に隠すような事じゃないから言うけど、その儀同は明先にて取引先の一人でな。経営の勉強を兼ねて話を聞きに行っていたんだ。親は仕事に出ていて、その一人息子…といっても今は25歳のはずだが、二人でその部屋にいた。けどコーヒー豆を切らしていたことに気づいた儀同がタワーマンション向かいの珈琲屋に豆を買いに行ってる時、お前が配達に来た。僕は何度も遊びに行っていて、ハンコのある場所もわかっていた。だから問題ないだろうと僕がハンコを押して受け取った」

「あっ!今思い出したっ!あの時のっ!そうだったんだ…あの小さくて生意気だった隆紫が、こんな立派に…」

 おばあちゃんが十年ぶりに会った孫を懐かしむような仕草をする。

「待てコラ。これ一年半強前の話だし、その時点で僕は君よりも背が高かったぞ」

「でもなぜそれであたし?」

 ツッコまれたけど無視。

「…配達物を受け取った時に向けられた笑顔が眩しくて…その一瞬で僕の全部持っていきやがった…伝票と名札にくぬぎと書いてあったから、まさかと思って帰った後にクラス名簿を見てみたら、君だった」

 照れくさそうに赤くなった顔の下半分を腕で隠す隆紫は目を逸らした。

「ちょうどその頃だった。僕の姉と君の姉が出会ったのは。君の姉、さくらさんは明先家の離れに住んでいた麗白姉ましろねえ宛の配達に来た。明先ロジスティクスの事業拡大を狙っていた麗白姉は、櫟託送便の名もチェックしていた。配達を終えて次に行こうとした桜さんを呼び止めて、ほんの少しだけ話をした。それで知ったんだ。配達に来たその人が櫟桜さん、その人だったと」

「…そんなことが…」

 やっと疑問が全部つながった。

 そういえば連休の後半だったな。姉が麗白さんを家に連れてきたのは。

 一目ですっかり魅了されたあたしは、麗白さんみたいになりたいとお淑やかな振る舞いをするようになってた。

「そこからは話をしたとおりさ。やけに気が合ったのか、二人は意気投合してやる気に満ちていて、僕も桜さんとは明先本社の会議室で話をした。麗白姉も一緒にな」

「そう…姉は両親にもこのことをしっかり話さず進めていたみたい。全国展開の件はどうにかなりそうだから任せて、ってぼんやりした言い方だけ。それはどうしてだったんだろう?」

「さあな。それこそもう知りようのないことだ。桜さんは君の両親と同じく三人目の代表取締役だったんだろ?独断でも進める権限はあったわけだ。今更詮無いことだけど、桜さんは独断で進められないよう最高の決済権がない取締役に留めるべきだったんじゃないかな」

「それで、あの王子様口調はどうして?」

「それ以来、茜を変に意識しちまってな、どう接して良いのかわからなくなった。麗白姉と熱く語る桜さんを見ていたら、妹に気を寄せているなんて気づかれたくなかった。桜さんは僕が茜と同じ学校に行ってることは知っていたけど、照れくさくて同じクラスだなんて言えなかった。そんなことがあって、桜さんは僕が茜と面識があるなんて知らなかったんだ。麗白姉もな」

「それで、気取った口調で照れ隠しを?」

 隆紫は顔を真っ赤にして顔を逸らした。

「そうだよ、悪いか?…でも」

 逸らした顔をこちらに向ける。

「僕は女子にとって所詮は優良物件たまのこし。そういう目で見られているのも分かっていたし、あの態度は女子から評判が悪かったことも分かっていた。けどそれで断る女の子が減ってくれれば面倒が減って助かるとも思って、あれを続けた。けど事故が起きてからは、茜…君に嫌われようとするため…続ける目的が変わったんだ」

「そう…だったんだね。でもあたしがメイドとして連れてこられた時は素というか、意地悪もしてたじゃない?」

「不信感を得れば、より嫌われると思ったんだよ。僕は茜に好かれてはならなかった。だから嫌われるために思いついたことを試したんだ」

 確かに、あれであたしは隆紫のことを信用できなくなった。

 けど、仕事をしつつも成績はトップクラス。その影で必死になっている姿は実際に見てはいないけど、それくらいはわかる。そんな隆紫の姿を思い浮かべていたら、心が惹かれていた。

「あと、隆紫が脅迫したっていうタクシードライバーはどうなったの?」

「僕が責任を取った。道交法違反での死亡事故だからな。タクシー会社からはかなり厳しい処分にされたそうだ。そのままタクシー会社を辞めて、取締役権限で明先ロジスティクスに入社してもらった。今は櫟託送便の臨時補充員として出向している」

「そう…だったんだ…」

「ちなみにそれが誰なのかは言う気無いぞ。さすがに轢いてしまった娘の親が上司と部下の関係だなんて知ったら本人たちがきついだろう」

「うん、わかってる。それは聞かないことにする」

 やっぱり隆紫は色々なことを考えている。それも、よりよい関係を保つために。

 そういう意味では、あたしが隆紫を好きになったのはすごく困ったんだろうな…。行くも地獄。引くも地獄。できることは何も教えずにただ時間稼ぎ。

 それであたしは傷ついて、事態は悪化するばかりでどうにもできない状態が続いた。

 もしあの時、麗白ましろさんが事故のことを教えてくれなかったら、今頃どうなっていたんだろう?

「それじゃ隆紫…あたしの告白って、すごく辛かったでしょう?」

「そうだな。偽装カップルの時は茶化されたけど、あの後部屋で思いっきり悔やんでた。最初から偽装だと言っておけば…それでも辛くなっただろうな。誘拐事件の時は、もう限界だった。茜を実家に戻そうと何度も考えた。けど、戻したら二度と戻ってこない。そう考えると、何もできなかった」

「やっぱり…」

 今になって、お互いの気持ちがどれだけすれ違っていたかを思い知った。

「そういえば、あの事故の背景を知ったら僕は軽蔑されて嫌われると思っていたけど、麗白姉からどう説明を受けたんだ?」

「それはね…」

 麗白さんから聞いた話を、覚えている限り忠実に話した。


「…そうだったのか」

「隆紫は、話を聞いたら軽蔑すると思い込んでたみたいだけど、話す決心ができたときにはどう説明するつもりだったの?」

 これは未だに晴れない疑問だった。ぜひ聞いてみたい。

「言い訳するつもりもないが、君の姉は…僕が殺してしまった。とだけ」

 ………端的すぎる。肝心な情報がまるっと抜けてる。

「それじゃ何もわからないじゃない!交通事故って聞いてたのに、どうして隆紫が責任を感じてるのか、その要素が一つも見当たらないわよ。軽蔑以前に謎すぎて唖然とするわ」

 やっぱり麗白さんに説明を受けたのが正解だったらしい。

 彼女はとても丁寧に話をしてくれた。

 まず姉の死亡事故と前置きして、事の発端を説明するより前に、それぞれ置かれていた状況が手に取れるかのようなわかりやすい内容だった。

 慎重に言葉を選んでいたのだろう。

 途中まで、なぜ姉の事故とつながるのかさっぱりわからなかったけど、話を聞くうちにパズルのピースがみるみるはまっていくような感覚だった。

 姉の桜と麗白さんがどうして出会ったのか、その時はわからず終いだったけど、それも今日隆紫から聞くことができた。

「あの事故以来…僕は櫟家を救う、いや櫟託送便を発展させることに必死だった。進みかけていた話を、あの日に櫟託送便の将来を潰してしまった身として…責任を取らなければならなかった」

 ぐっと握りしめている拳を、さらに固く握りしめた。

「まだ…あの日の事は鮮明に覚えてる。桜さんの体が、僕の頭上を…タクシーの屋根を叩いて通り過ぎていったことは…」

 眉をひそめて続ける。

「その時は誰だったのかわからなかった。本社ビルはすぐそこだから、代金どころじゃなくなっているのは明らかだった。逃げない証拠として身分証を置いてタクシーを降りて走っていこうとドアを閉めた瞬間、事故の被害者が桜さんだったとわかった」

 隆紫は目を閉じて、表情は後悔の色を濃く出していた。

「頭が真っ白になった。運転手が意識の確認をして、わずかにうめいた瞬間、急いで救急車を呼んで、麗白姉に連絡をした」

 顔がますます曇っていく。

「麗白姉は、電話口でしばらく言葉を失っていた…そしてただ一言、わかったとだけ言って電話を切って、救急車が到着するより前に駆けつけてきた」

 そんなことが…あったなんて…。

「何を言われても聞かれても、ごめんなさいしか言葉が出てこなくて、状況を説明したのはタクシーの運転手だった」

 後日、その運転手は自宅に何度も訪ねてきたけど、仕事が忙しい両親は葬儀の準備まで並行で進めなければならず、結局顔を合わせたのは葬儀の日にわずかな時間だけだった。

 ゆっくり名乗り合って会話するほどの余裕もなく、後はタクシー会社とのやりとりで終わった。

「麗白姉には、このことは忘れて手を引くように言われたけど…冗談じゃないと一蹴して、この子会社化や融資の件を僕が引き継いだ」

 麗白さんは、隆紫の熱意に負けたと言ってたけど、よほど強く迫ったんだろな…。

「重要な意思決定ができるよう、代表取締役の役職を求めたけど、勤務時間の半分以上の時間を使って学校へ通っている身でロクな判断ができるものか、と代表でない取締役に落ち着いた」

 隆紫は、どんな気持ちで会社勤めしていたんだろうか。

「ねえ隆紫、実際に仕事をしていて、どんな気持ちだったの?」

「ん?」

「なんで僕がこんなことを、とか僕がやらなくて誰がやる、なんて思わなかった?」

「…そうだな。ただ櫟託送便を救いたかったかな。いつも茜の笑顔を見たかったけど、他ならない僕自身が奪ってしまったものだから、見られなくても仕方ないとも思っていた」

「…事故後の姉とは何か話をしたの?」

「できなかった。とても苦しそうに何かを話そうとしていたけど、意識は朦朧もうろうとしていたようだし、面会が許された時間も無理を言って押し通した数分だから…」

「そう…」

 その姿を見て、隆紫は責任を感じたんだ。

 人を不幸にしてしまったから、自分が幸せになってはいけない。そう自分を縛り上げた。

 だからあたしの想いは届かなかったし、隆紫も応えられなかった。


「それで、茜はどうして僕を?」

「最初は嫌で嫌で仕方なかったわよ。事情も知らなかったし、お父様とビデオ通話してからやっと状況を把握して、それでもやっぱり嫌だったから帰ろうとしたけど、ああも懇願されてつい引き受けちゃったわ。1分後に後悔したけど」

 あたしは隆紫の座っている席の向かいに腰をかける。

「あなたに興味を持ち始めたのは、ある朝に起こすため部屋へ足を踏み入れたときだったわ。ベッドに置いてあった経営に関する本がいくつもあったのを見かけて、いずれは後継者となるであろう人だから当然とも思ったけど、いつも帰りが遅いのはなぜかと考え始めたら…」

「やっぱりあの時からだったか…それで、僕が本社で仕事をしているところまで暴かれた、と」

「そうよ。その理由は見当もつかなかったけど、麗白さんの話を聞いて納得したわ。実家に送り返された時はさすがに終わったと思ったわよ。けどね…」

 ジッと隆紫の目を見つめる。微笑みながら口を開く。

「今は、とても大切な人よ」

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