第36話:ほり・ない(Holy night)
街中は綺羅びやかな灯りに包まれ、恋人たちがソワソワし始める時期。
本来は家族揃って聖者の死を悼む日ではあるものの、日本独特の風習として定着した恋人たちの日。
なのだけれど…。
「
「そうだよね。物流は大忙しよね。わかってるからいいわ、
別にクリスマス当日はそれほどクリスマス需要で物流が動くわけではない。
それよりも年始に向けた物流が大詰めを迎える。
キャパシティを超えてしまうこともしばしばある期間だけに、
一般向けの事業として展開しているものの、
初めての試みにも関わらず、通信販売需要もあり、かつてないほどの忙しさになっている。
主に忙しいのは現場の方だけど、管理側の負担も増えてきている。
今後の見通しに合わせて人材の採用も必要だし、各拠点の調整もある。
「本当なら今日くらいずっと一緒にいたいけど…」
「わかったから、早く行って帰ってきてね」
気持ちがこじれるカップルは、ここで男の側が自分の都合だけ主張することで気持ちが見えなくなり、仕事と恋のどっちが大事なの?と問い詰める展開になってケンカを始めてしまう。
しかし隆紫はしっかり気持ちを口にしてくれる。
あたしに関わらせたくない大事なことは相変わらず隠してるけど。
午前中で学校が終わり、あたしは離れで掃除をしている。
日が傾き始めて、空は紅く染まり始めた。
そろそろ夕食の準備をしようと思ったその時…。
「茜様、いらっしゃいますか?」
ふと玄関から男の人の声がした。
隆紫の声ではない。
「はーい。いまーす」
「では私服に着替えてきてください。外でお待ちしております」
何度も聞いた声だからわかる。猿楽さんの声だった。
なんだろう?
意図はわからないけど、言われたとおりに私服へ着替えて玄関へ足を運んだ。
「ご用は何でしょうか?これからお食事の準備にかからないといけないのですが…」
「わたくしも詳細は存じ上げません。が厳命を受けておりますので、どのような理由でもご同行いただきます」
「厳命?誰から?」
「行けばわかります」
事情はわからないけど、猿楽さんの真っ直ぐな瞳は有無を言わさない威圧感を醸し出していた。
ヒューン、と相変わらず静かなエンジンを車内に響かせながら、タイヤが路面を蹴飛ばす音でハーモニーを奏でている。
「猿楽さん、どこに向かっているのですか?」
「とある待ち合わせ場所でございます」
「それはどこなんですか?」
「口外しないよう言付かっております」
…だめか。
こうなると、猿楽さんは一切の情報を提供してくれない。
外は次第に暗くなってきて、街の灯りはイルミネーションも混ざり始める。
窓の外で流れる景色を眺めつつ、あたしはただ黙って到着を待つことにした。
「茜様、お待たせ致しました。こちらでございます」
「ここって…」
ドン!と佇む巨大な建物。
このあたりでも有数のグランドホテル。
その正面玄関にあるカーロータリーへ車が滑り込んだ。
猿楽さんはあたしを降ろすためドアを開けてくれた。
「では、客人をご案内次第すぐ戻りますので必要に応じてその車は移動させていただいて構いません」
そう言いつつ、ホテルのスタッフに車の鍵を渡す。
「かしこまりました。戻りましたらお声がけ願います」
一体、どこへ連れて行かれるんだろう?
聞いても無駄と判断して、黙ってついていく。
「こちらへどうぞ」
通されたのは、荘厳な佇まいが印象的なドアと内装で固めたレストランだった。
「猿楽、ご苦労」
「お待たせ致しました。坊っちゃん」
隆紫の声に応える猿楽さん。
「ちょっと待って!あたしこんなことになるとは思ってなかったから、お財布持ってきてないのよ!服だってこんなだし…」
ホコリ一つ見当たらない完璧に手入れされた空間、ダークトーンの壁紙と間接光で演出されたレストランの個室に連れられて、あたしは思わず声を大きくしてしまう。
「安心して。これは僕からのプレゼントだ。茜は何も心配しなくていい」
どこから出したのか、猿楽さんは純白のケープを取り出してあたしに羽織わせる。
「それでは茜様と坊っちゃん、わたくしはこれにて失礼します。ごゆっくりと」
胸に片手を当てて頭を下げたと思ったら姿を消す猿楽さん。
「ほら茜、座って」
頬を膨らませつつ腰を掛けた。
「もう…隆紫、どういうつもりよ?」
「どうって、せっかくのクリスマスイブなんだから、二人で過ごそうと思ったんだよ」
「今日は忙しくて会えないはずじゃないの?こうしてサプライズするつもりで仕組んだなんて…」
「最初は本当に会えないつもりだったよ。それを必死に仕事片付けて猿楽にレストランの予約を取ってもらって、迎えを出したんだ。僕だって茜とこうして記念すべき日に会いたかったんだ」
きゅん…
ふいに胸が締め付けられるような感覚に陥る。
「隆紫…」
思わず顔を赤くしてしまうけど、間接光の優しい光で隆紫の顔もあまりよく見えない。
「それで、メニューは決まったかい?」
「あっ、メニューね…えっと…」
前菜とメインを選ぶようになっているようだけど、メニューが英語で書かれていて何が何やらわからない。
「………んっと…」
「読めないんだな?」
「ちょっと待って…」
あたしが読み解きに時間をかけていると
「当初に伝えたメニューでよろしく」
と、いつの間にかそこで待っていたスタッフに隆紫が伝えた。
「かしこまりました」
その頭を下げた姿は、一瞬猿楽さんを思い出したけど、纏う空気感はまるで違う。
出てくる料理は一口サイズばかりだけど、どれも繊細にして上品。目でも舌でも楽しめる。
こんなの、あたしじゃとても作れない。
味はもちろん、見せ方もすごく研究してるんだろうな。
コトッ
「こちら、ご注文の品でございます」
目の前に長細いカクテルグラスが置かれた。
隆紫はこともなげにグラスを持ち
「乾杯」
と目の前に掲げる。
あたしも慌ててグラスを掲げるけど、内心焦りを隠せない。
そして隆紫はそのグラスをくいっと傾ける。
「隆紫!お酒はまずいって!」
「落ち着いて。これはノンアルコールだよ」
「…ほんと?」
「さすがにその辺は弁えてるよ」
そう言われて、あたしもグラスを傾ける。
「ごちそうさま」
「おそ…ごちそうさま」
いつもの癖で、あたしは作った側の一言を発しそうになってしまう。
「今日は嬉しかった。クリスマスイブにこうして隆紫とテーブルを囲むことができて、何よりのプレゼントだったわ」
「そうか。喜んでもらえて安心したよ」
隆紫はカードで会計を済ませ、お店を出る。
「さて、猿楽さんに迎え来てもらわないと」
「茜…今夜はここの最上階で部屋を取ってあるんだ。猿楽にはもう帰って休むよう伝えてある。あまり時間が取れない中で必死に作った時間を、一緒に過ごしたい」
それって…。
「…うん。あたしも、一緒にいたい」
ピッ
カードキーで解錠したドアが開く。
「さ、茜。どうぞ」
「すごい…初めてだけど、さすが一流ホテル…なんだか身が引き締まる思いだわ」
あらゆるものが計算され尽くしている空間が、目の前に広がっていた。
壁は白を基調としながらも、黒の切り替えで引き締められていて、所々にあるウォールランプとスポットライトを使い、薄暗くありつつも視界は確保できている。
窓際にゆったりと座れるソファがあり、フロアにはダブルベッドが広がる。
「僕もこういうところは初めてだ」
「え?意外ね」
「何せずっと仕事漬けだからな。こういうところに来ること自体無いんだ」
そっか。言われてみればそうかもしれない。
自宅の離れも開けがちになるからこそ、こうしてあたしというメイドを雇っているのも頷ける。
「先にシャワーを浴びてくる。外の景色でも眺めていて」
「うん」
窓際のソファに腰を掛けて、外を眺める。
100万ドルの夜景とよくいうけど、これは本当に壮大な景色と思えた。
地平線まで埋め尽くすキラキラと輝く明かりの一つ一つに、人の絆が息づいている。
ところどころに動く明かりがあり、その明かりはどれも同じ軌跡を辿る。
心に染み入る景色をぼんやりと眺めていた。
「お待たせ。次どうぞ」
「うん。体を流してくるね」
バスルームに入り、温かな水の雫を体に受ける。
ついに…この日が来てしまった。
あたしの初めてを、隆紫に捧げる日が。
この展開は全く予想していなかったけど、あたしも隆紫に愛されている確かな証拠が欲しかった。
短い時間で心の準備をしなければならなくて、少し焦りを感じていた。
長めのシャワータイムを終えて、バスローブを羽織ったままバスルームを出る。
「出たわよ」
窓際に隆紫が背を向けて佇んでいる。
くるりと顔だけをこちらに向けて視線を送ってきた。
「きれいね…」
隆紫のそばに立って、共有したかった気持ちを口にする。
「茜も、きれいだ」
ぽっ
思わず赤面してしまい、けどそんな変化に気付けるような明るさではないことを思い出す。
いつもだと、このあたりで緊急連絡が入って水を差される。
どちらからともなく、惹かれ合うように体を寄せて抱き締めあう。
「隆紫…」
「茜…」
見つめ合ったまま、そっと目を閉じる。
ちゅ…
初めて、唇を重ねた。
あたしの…ファーストキス。
顔を離して再び見つめ合う。
愛おしくて、もっと近づきたくて、今度はあたしから顔を寄せる。
長い、長いキスを終えて、お互いにとろんとした目になっていることがわかった。
「茜…君が、欲しい」
「あたしも…隆紫が、欲しい」
カーテンを閉めてベッドに向かう。
ふわっとしたスプリングのマットレスに、預けた体が押し返される。
隆紫がベッドの脇にあるスイッチを操作すると、明かりが更に一段落ちる。
かろうじて顔がぼんやりと見える程度の明かりは、あたしの心にある防衛心、壁を取り払った。
「やっと、この日が来た。茜と一緒に過ごせる夜を」
「ずっとひとつ屋根の下で暮らしてるけどね」
ふふ、と笑い合って、再び唇を重ねる。
気がついたらお互い貪るように舌を絡めあっていた。
ぎこちなさはあるものの、こうして体を重ねていられることが幸せで、他のことはどうでもよくなっている。
どれだけこうしていただろうか。
キスだけで一時間くらいは過ぎていた。
すっかり体が火照っていて、体のどこかに触られたら跳ね上がってしまいそうになるくらい興奮している。
つつ…
「あんっ!」
肩を優しく撫でられただけなのに、ゾクゾクとした快感が体を駆け抜ける。
「感じやすいんだね」
「隆紫が相手だから…もっと気持ちよくして…」
「うん、もちろんさ」
背中、お腹、足、腕、顔と掠めるように触られたところから気持ちいい刺激が送られて、その後ポカポカと熱くなる。
これで、気持ちいいところを触られたら…どうなっちゃうんだろう?
つん
「あふっ!」
胸の先端から、今までで一番強い刺激が送られてきて、体が跳ね上がる。
「ぜんぶ、任せて。触られた感触に意識を傾けて」
「うん…気持ちいいよ…」
堪らない感覚に、意識せずとも足をもぞもぞさせてしまう。
隆紫を受け入れる場所はすっかり準備が整っていたけど、じっくりと味わうようにあたしの体に指を、舌を這わせ続ける。
この火照りが止まらなくて、おもわずおねだりしたくなるけど、全部愛する人にその身を任せていた。
「はあ、はあ、はあ…」
止まらない快感のシャワーを浴びせられて続けて、ぐったりするほど気持ちよくなってしまっている。
「茜…いくよ?」
「きて…絶対に途中でやめないでね?やめたら嫌いになるから」
「ああ、けど無理はするなよ。手で押し返してきたらやめる」
ぐぐ…
「痛っ!」
さっきまでの快感とは真逆の痛みが襲いかかる。
けど隆紫の体を押し返したりはしない。
この痛みが隆紫のくれる愛の結果なら、受け入れると決めた。
「これが、隆紫なんだね…」
受け入れたことで、そこがジンジンしている。
「無理するな?」
「うん、平気。さっきみたいに触って。キスもしたい」
掠めるようなタッチを繰り返してくる隆紫の指先を感じながら、やがて痛みが落ち着いてきたから、先を促した。
「結局、最後まで押し返さなかったな」
裸で抱き合ったまま、幸せな余韻に浸っていた。
「せっかくこうして結ばれたんだもの。途中でやめたらもったいないじゃない」
「そうだな…」
時計を見ると、すでに午前0時を回っていた。
「メリー…クリスマス」
微笑みながら言葉を贈り、あたしの意識は闇に落ちた。
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