第33話:でな・だう(Denial doubt)

 どうして…隆紫りゅうじが…。

 ベッドの枕に顔を埋めながら、さっきあったことを思い出していた。


「何…してるのよ…?」

 あたしの声に気づいた二人は、顔をこっちに向ける。

「さあ、何でしょうね。多分、くぬぎさんの想像どおりだと思うわ」

 目を細めて紫苑しおんさんが振り向いた。

「待て、あかね!これは…」

 言い終わるより前に、あたしは続きを聞きたくなくて駆け出した。

 隆紫は紫苑さんを振りほどいて教室を飛び出す。


「残念、だったのに」

 一人残された紫苑さんは、そう誰にともなく囁いた。


「夕食、作らなきゃ…」

 あたしはベッドから起き上がって、メイド服に着替える。

 ドアを開けてすぐのところに、あたしのカバンが置いてあった。

 結局、あたしはそのまま帰ってしまい、隆紫があたしのカバンを持って帰ってきていた。

あかね…」

 リビングに入ったところで、隆紫に呼び止められた。

「ごめん、忙しいから後にして」

「…そうか」

 食い下がられると思ったけど、それだけで隆紫は引き下がった。

 何があったのか知りたいと思う一方で、知りたくないと考えてしまう自分がいた。


「隆紫は先に食べてて。片付けはするから、流し台に置いて」

 ドア越しにそう伝えて、自分の部屋にこもる。

 メイド服のままでドアにもたれかかって、滑るようにしゃがみこむ。

 暗くなった部屋の明かりも点けずに一人、ぐるぐるとさっきあったことを頭の中で思い浮かべては駆け巡る。

 なんで…隆紫が他の女の子と…キスしてたの…?

 それも体育祭の救護テントで一緒だった、紫苑さんと…。

 いや、同じ救護テント担当だったからこそ、そこで仲良くなったのかもしれない。


 コンコン


 ふと、ドアが叩かれる。

「茜…寝てるのか…?」

 あたしは返事をしないでいると、遠ざかる足音が耳に入ってくる。

 その足音がやけに大きく聞こえる感覚に襲われていた。


 落ち着いた頃、一人でリビングに降りて食事を済ませて片付ける。

 この感じ…隆紫が母屋で食事をしてた頃に似てる。

 やっと付き合えることになったけど、付き合ったら付き合ったでこんなにも苦しい思いをするなんて思わなかった。

 やり場のない思いを胸に、あたしはベッドに潜り込んだ。


 朝も変わらず顔を合わせないように、朝ごはんは早起きして作っておいて、自分の分は自分の部屋に持ち込んで食べていた。

 隆紫とは一言も口を利かず、顔も合わせないまま登校する。

「茜、なに暗い顔してるのー?」

「なにが?いつもどおりよ」

 平然を装ってみるも、かおるはすごく勘が鋭いことを思い出した。

「彼氏とケンカしたんだー?」

「なにもないって言ってるでしょ」

「隠してもわかるよー。だって彼氏が暗いもん」

 そう言う薫の目線を追うと、隆紫がいた。

「で、なにがあったのー?」

 ごまかしきれないと判断して、あたしは昨日あったことを話した。


「はー、そんなことになってたんだー?で、知りたいけど聞きたくないって心境になって今も気まずい状態と?」

「ほんと薫って思ってることを的確に当ててくるよね…」

「こういう時のお約束って、知ると脱力したくなるようなものよー」

 それもわかってる。わかってるけど、気持ちの切り替えができなくてどうしても話をする気になれない。

 真弓さんはというと、まだ入院したままで今日も欠席している。

「薫、ちょっといいか?」

「茜…話聞いてくるねー」

「…だめ。行かないで」

 あたしは思わず薫が話を聞いてしまうのが嫌で引き止めた。

「だってー。明先くんごめんねー」

 軽い感じで薫が返事する。隆紫の誘いに乗る様子はない。

「で、ほんとーにどうするつもりー?」

「今はまだ…知りたくないの」

「これは時間がかかりそうねー」

 呆れた様子で薫は軽くため息をつく。


 休み時間になって、お手洗いへ足を運ぶ隆紫の前へ紫苑さんが現れる。

「明先さん、こんにちは」

「君は…」

 眉をひそめて声の主を見る。

「その様子だと、ずいぶん気まずくなってるみたいね」

「ああそうさ。この件が片付き次第、責任を取ってもらうよ」

「責任なら取るわよ。あなたのパートナーとなって」

「僕は茜と別れるつもりなんてない。彼女は僕の大切なひとだ」

 ひた、と隆紫は紫苑さんを見据える。

 何かに気づくと、紫苑さんはいきなり隆紫の胸に飛び込んだ。

「おい、離れろ」

 隆紫は紫苑さんを引っ剥がそうと手をかけるけど、思いのほか抱きついてくる力が強くて引っ剥がせない。

 傍から見るとまるで抱きしめあってイチャイチャしているカップル。

 教室から廊下に出たあたしは、そんな二人を見てモヤモヤとした感情に暗雲が立ち籠め始める。

「あちゃ…」

 一緒にいた薫は、短くそう言って口を閉ざす。

 あたしは隆紫のいる場所とは逆の方向に足を向ける。


「薫、話をさせてくれ」

 ある休み時間に、茜がいない隙を狙って薫に声をかける隆紫。

「あの人のことー?」

「そうだ。茜は聞く耳を持ってくれないから、せめて薫にだけは知っていて欲しいんだ。実は…」

「待って。それはまだ聞かないことにするー」

 スッと顔から感情の色が消える。

「茜はまだ聞きたくないって言ってたから、うっかり喋っちゃわないよーにわたしも聞かないことにするー」

「…そうか」

「でも大体そーぞーできるよー。どーせ茜の独り相撲なんでしょー?」

「そうなんだ。あれは…」

「待った。続きは茜が聞く気になったらねー」

 そう言い残して、薫は隆紫に背を向ける。

 誰にもこのことを話せずにいる隆紫は、喉の奥につかえてる魚の小骨が取れないままでいるような感覚を抱えていた。

「こんな状態を…まだ続けなきゃいけないのか…」


 放課後になり、隆紫は浮かない顔のままで猿楽の運転する車に乗り込む。

「どうされました?坊っちゃん」

「ああ、実はな…」

 茜とギクシャクしてしまった一部始終を猿楽に全部吐き出した。

「なるほど、その事情を茜様どころか薫様にも聞いてもらえずモヤモヤしてるわけですね」

「そうなんだ。だがお前からは誰にも説明しないでくれ」

「早く仲直りしたいのではないですか?」

「もちろんこんな状態は勘弁してほしい。けど、今の茜では事情を知っても素直に受け止めてくれないだろう。後にスッキリしないしこりを残したくはない」

 バックミラーに映る隆紫の顔を見る猿楽は、それが本音でないことがよくわかる。

「なるほど、自分の口から説明したいということですか。坊っちゃんの本気度がよくわかります」

 と小さく自分に言い聞かせて黙った。


 夜になり、隆紫がいつも帰ってくる時間になっても隆紫は帰ってこない。

 仕事が立て込んでるのだと思って、リビングのテーブルに置いた食事を蚊帳で覆って寝ることにした。

 そのすぐ後だった。隆紫が建物の明かりを確認して玄関のドアを開けたのは。

「坊っちゃん、茜様はきっと立ち直れます。ですが、タイミングを見誤ってしまえば微妙なわだかまりを抱えることになるでしょう」

「わかっている。お前に話せて少し気が楽になった。ありがとう」

 そう言い残して、バタンと玄関のドアを閉めた。

 結局、茜と隆紫は顔を合わせることなく眠りにつく。


 朝になっても気まずい状態は続く。

 挨拶こそしたけど、食事は別々に摂る。

 今の状態は、まるで隆紫の秘密を勝手に暴いて、あたしが実家に返される日が近づいていた時のよう。

 あの時は隆紫が母屋で食事をしていたけど、今度はあたしが自室で食事を済ませている。

 一緒に住んでいても、心の距離が離れてしまっている今の状態はとても苦しい。

 意地を張ってるわけじゃない。早く仲直りしてイチャイチャしたい。

 けど、どうしても心が仲直りを邪魔している。


 そんな気持ちのまま、数日が過ぎた。


「それでは坊っちゃん、いってらっしゃいませ」

 運転した猿楽がドアを開けて、隆紫が校門の奥へ消えていく姿を見送る。

 いつもの姿ではあるが、今はちょっと様子が変わった。

「明先さん、おはようございます」

 校門のあたりで待っている紫苑さんが隆紫を捕まえること。

「待つな、と言ったはずだ」

「いいじゃない。勝手に待ってるんだから」

 ここ数日は、毎日このやり取りをしている。

 そして…

「ね」

 愛想を振りまきながら隆紫の腕に手を通そうとする。

 その度に隆紫はまとわりついてくる紫苑さんの手を振りほどく。

「やめろ」


「今日もまたやってるよー?」

「………」

 あたしは校庭でそんなやりとりをしてる二人の姿を見て楽しんでる薫の呼びかけに返事をしない。

「ねー、いつまでそーしてるつもりー?」

 今でも気持ちの整理がつかず、状況は変わっていない。

「そんなんじゃーほんとーに明先くんを取られちゃうかもよー?」

 それもわかってる。けど知る勇気が出なくてズルズルと長引かせてしまっている。

「明先くんから茜の代わりに話聞かないままここまで来てるけど、聞かないままでいーの?」

 どうしても踏ん切りがつかなくて、薫にも隆紫から話を聞かないよう止めている。

 薫は耳元に顔を近づけてきた。

「別れたいのー?」

「そんなわけないじゃない!ただ…聞くのが…怖い」

「どーして?見た感じでは明先くん、あの人を鬱陶しく思ってるみたいだよー?聞ーちゃえばスッキリすると思うんだけどなー」

 言うことは一理ある。

 けど、どうしても気持ちがゴチャゴチャしていて、隆紫に本当のことを聞いても素直に受け止められないと感じている自分がいる。だから聞かないようにしている。

 もちろんこのままじゃダメってことも分かってるけど、隆紫の言うことをしっかり受け止められる状態でないと、余計にこじれてしまう。そんな気がする。

 浮かない茜の顔を見た薫は、頭の中で策を巡らせた。


 移動教室を終えて教室に帰ってきた隆紫は、机の棚に紙切れが置いてあることに気づく。

 その紙切れを見て、ため息をついた。

「やれやれ、何の用事か知らないけど、ここらでハッキリさせておくか。茜との関係も微妙な状態だしな」

 昼休みになり、薫は職員用のお手洗いへ足を向ける。

 窓を少し開けておいて、外の音がよく聞こえることを確認した。

 外からジャッジャッと足音が聞こえてきた。

 薫はその場で身をかがめて息を潜める。

 そしてもう一人の足音が近づいてきた。

司東しとうさん、こんなところに呼び出したのはどういうつもりだ?」

「あれ?明先くんが呼び出したんじゃないの?」

「…は?」

 二人の間に微妙な空気が流れる。

「ったく、誰かのいたずらか。お前のせいで最近は振り回されっぱなしだ」

「あら、前にキスした仲じゃない」

だったけどな。それに、不意打ちだったからよけるのが間に合わなかった」

 やっぱり…。

 お手洗いで身をかがめていた薫は、そのやりとりを聞いて前から思っていた疑問が確信に変わっていた。

「その様子だと櫟さんとはまだ仲直りできていないみたいね」

「誰かさんのおかげでな」

 呼び出しが誰かに仕組まれたことだと確信した隆紫はその場から足を進める。

 紫苑さんの横を通り過ぎて声が次第に遠くなり、薫の耳には入らなくなった。

 その後を追いかける足音を確認して、薫は立ち上がる。

「これで証言は取れたから、茜にさり気なく伝えよーかな」

 呟いてすぐに職員用お手洗いを後にした。


「明先くんってつれないよね」

 校舎へ戻る間に、紫苑さんが話しかけてくる。

「好きな人以外に好かれようと思っていないだけだ。特に僕をとしか見てない人には、むしろ嫌われようとしているくらいだ」

「櫟さんは違うと言いたいのかしら?」

「ああ、絶対に違う。僕なりに確信がある」

 誘拐事件の時にされた悲痛な告白を思い出した。

 あの恐怖と安堵で気持ちが高ぶっているあの状況下において、打算で演技をしていたとしたら、もはやプロの役者すら目指せるであろう。

「それって確認したのかしら?」

「確認するまでもない」

 茜とはまだ体の関係になっていない。今はプラトニックな付き合い方をしている。

 …待てよ…もし僕を利用しようというなら、この状態を保つことはむしろ好都合なんて思っているんじゃ…?

 不意に頭へ浮かんだ疑問は、少しずつ疑念に変わっていた。

「どうかしら。櫟さんもあなたを優良物件と思って近づいてるんじゃないの?」

「違うっ!断じて違うっ!すでに櫟託送便は明先がグループに取り込んでいるっ!このうえ僕に近づく理由など…」

「それよ。こうして明先さんに取り入ればその地位は確たるものになる。違う?」

 隆紫にその考え方は無かった。

「まさか…そんなわけが…」

「今頃、彼女のご両親はシメシメなんて思ってたりするんじゃないの?」

「そんなことは…ありえない…」

 口で否定しつつも、心の奥底でもしかしたらという考えが首をもたげていた。

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