第31話:せる・すこ(Self scorn)
「あの綱を持っていかなければっ…」
今更悔やんでも遅い。
きっちりやっておかなければ気が済まない考え方ゆえに、招いた結果だった。
「真弓さーん、真弓さーん!いるなら返事して!」
ふと近づいてくる呼びかけの声は、
「ここよっ!ここにいるわっ!!」
扉をドンドンと叩きながら叫んだ。
「真弓さん!?ここにいるの!?」
あたしは体育倉庫の前で大声を出す。
「そう!閉じ込められちゃったっ!助けてっ!!」
扉越しに聞こえる声は鈍くて、まるで布団の中で叫んでいるようなくもぐった声だけど、間違いなく真弓さんの声だった。
「待ってて!今開けるから!」
見ると、扉を固定する棒が戸袋部分に袈裟懸けのような形でガッチリとハマってしまっている。
棒を掴んで引っ張ってみるけど、固すぎて全然取れそうにない。
『それでは100m走を開始します。参加者、入場!』
グラウンドの方から聞こえる放送は、真弓さんが参加する種目だった。
まずいっ!始まっちゃったよっ!!
あたしは足を倉庫の扉を固定している棒の側に添えて、棒を引っ張りながら足でも壁を蹴って思いっきり力を込める。
バキッ!!ドサッ!
棒が中ほどで折れ、あたしは勢い余って地面に放り出される。
ガラッと扉が開いて出てくる真弓さん。
「真弓さん!早くしないと…!」
「わかってるわっ!」
起き上がったあたしは、真弓さんの手を引いてグラウンドへ足を進める。
その途中で、真弓さんの様子が変なことに気づく。
「まさか…足を…?」
「ちょっとひねっただけよっ。問題ないわっ」
口ではそう言ってるけど、表情に余裕はない。
「問題…アリじゃない!棄権しよう!」
「それはできないっ!絶対に
「真弓…さん…」
決意に満ちたその目を見ていたら、ここであたしが勝手に棄権を決めるのは許されないと感じた。
「…わかった、なら少しでも足の負担を減らさなきゃ!」
真弓さんの両手を取って体を捻り、両手をあたしの両肩に回させる。
そのまま少しかがんで上半身を前に倒す。
「おんぶしてくれるってことっ?」
「文句は後で聞くわ!早く!」
「言いたいことはいっぱいあるけどっ…ここは頼むわっ」
真弓さんが体重を預けてきて、おんぶしたままできる限り早足でグラウンドに向かった。
パンパンパン!!
一年が走り終わり、ゴールの合図が高らかに鳴らされた。
クラスごとに分け隔てる僅かな隙間を通って、競技エリアを仕切るロープをまたいで100m走のスタートライン目指して必死に走る。
すでに二年の参加者がスタートラインに立っていて、出走を待っている中で一つだけ空いてるレーンに先生とうちのクラスメイト一人が何やら相談をしていた。
「すみませーん!お待たせしました!」
近くまで駆け寄って、真弓さんを降ろす。
会場がにわかにどよめきたち、スタートラインあたりにいる人達も困惑の色を見せた。
「はあっ、はあっ、はあっ…」
息を切らしながら額の汗を拭う。
「それじゃ、ゴールで待ってる」
「一位、取るからねっ!」
グッと親指を立ててウインクしながら宣言する真弓さんだけど、表情にいつもの冴えは見当たらない。
「いつまでも来ないから、逃げたかと思ったわよ」
隣のレーンには
「逃げたっ?わたしを倉庫に閉じ込めて不戦勝を狙っておきながらよく言うわっ」
「…はい?」
「とぼけるならそれでいいわっ。それも含めて謝ってもらうからっ」
キョトンとする瀬尾さんに言葉を吐きかける。
「何のことかわからないけど、陸上部のメンツに賭けて負けないわ」
「勝負よっ」
パァン!
100m走開始の合図が鳴らされた。
一斉に走り出す走者たち。
真弓さんの隣を走る瀬尾さんは、陸上部のエースだけあってさすがに速い。
けど真弓さんは…
苦しそうな表情をしつつ、瀬尾さんに食いつこうと足を踏み出す。
そしてコースの半分を越えようというその時…
真弓さんが半身だけトップの瀬尾さんをリードしたっ!
「げっ!」
必死に走っている本人以外が気づかないほど小さい声で、瀬尾さんが驚く。
あんなに速いペースの人と、怪我した足で走ったら…。
「痛っ!!!」
ドサッ!
崩れるように、真弓さんがコース上で転んでしまった。
「真弓さんっ!!」
ゴールで待っていたあたしは、たまらずグラウンドの真ん中で倒れてしまった真弓さんの元へ駆けていく。
「来ないでっ!!」
鬼の形相であたしを睨みつけて叫ぶ。
歯を食いしばって起き上がるも、もう走ることができないようで、一歩踏み出してはバランスを崩して、倒れそうになっても踏ん張ってまた一歩を踏み出す。
あたしが真弓さんのところへ駆けつけた時には、真弓さんを除く走者はすべてゴールの向こうへ姿を消している。
フラフラと一歩ずつゴールへと向かう。
仕方なく、あたしはゴールへ先回りして真弓さんの到着を待つ。
「これは…」
「ただごとじゃない。もう退場させましょう。担架と救急車の手配を」
後ろで教職員の二人が相談している声が聞こえた。
「待ってあげてくださいっ!!ゴールまではもう少し…待ってあげてください…」
まっすぐと教職員の目を見て訴えかける。
その二人は顔を見合わせて、しばし躊躇の色を見せた。
「わかった。ただし次に倒れたら無条件で退場させる」
「…ありがとうございます」
一枚幕を隔てたような聞こえ方で
あと一歩、あと一歩でゴールラインを超える。
引きずるようにして、ゴールラインを踏んだ。
精根尽き果てた様子で、真弓さんはその場に倒れ込む寸前に、あたしが抱きとめる。
「真弓さん!しっかり!」
「早く担架を持ってこいっ!」
教職員が大声を上げて指示を出す。
「真弓さん。怪我してるのに、なんでこんな無茶を…」
「なん…だっ…て…?」
後ろからかかった驚きの声は、肩で息をしている瀬尾さんから発せられたものだった。
「それは…本当なの?」
「…もう少しだけ足が保てば、あんたを見返せるところだったのにっ…残念だわっ」
左足首は真っ赤に腫れ上がり、冷や汗が止まらず滴り落ちる真弓さんの様子は、もう学校の医療設備では手に負えないことが明らかだった。
「でも、約束は約束っ…」
『ごめんっ!』
二人の声が重なって耳に飛び込んできた。
驚いた様子だったけど、真弓さんは苦悶の表情で固まっていて、驚くほどの余裕はなかった。
「正直、見くびってたわ。怪我してもなお追いつかれるどころか、わずかでも追い抜かれるなんて思わなかった。ほとんど本気になって引き離そうとした瞬間にこんな結果だったけど、それだけのハンデがあってこれじゃ完全に負けよ。今まできつくあたって…ごめんなさい」
正門の外では、救急車のサイレンが次第に近づいてきている。
もう返事をする余裕もないのか、苦痛に顔を歪めたまま黙って担架で学校の正門から外へ運ばれていった。
ぽんぽん
ふと、頭を軽く叩くように撫でられた。
「隆紫…」
なにかに縋るような気持ちで、その胸に体を預ける。
「後で、お見舞いに行ってやろうな」
「うん」
胸にこみ上げるものを感じつつ、あたしたちは持ち場の救護テントへ戻った。
今回の体育祭は、午後のプログラムから猛追してきた紅組が、総合優勝を果たす。
体育祭が終わって、この片付けをもってあたしたちはお役御免となる。
その片付けは委員が総出で行った。
ほぼ片付いた頃…。
「あなたたち、まさかとは思うけど真弓さんを閉じ込めたんじゃないでしょうね?」
瀬尾さんと同じクラスの委員二人が、瀬尾さんに問い詰められていた。
「それは…」
「もういいわ。否定しなかった。それが答えね。おまけに怪我までさせて、何をそんなに疎ましく思ってたの?」
突き刺すような目線を送る瀬尾さんにたじろぐ二人。
「怪我は違う…!そんなの知らなかった…」
「真弓さんを閉じ込めてまでわたしに勝たせようとした。今さら知らなかったと言われても納得できるわけが…」
「あいつの怪我は午前の騎馬戦中に落馬で負ったものだ。そいつらは関係ない」
ふと言葉を遮ったのは隆紫だった。
声の主へ目線を送る瀬尾さん。
「実際、騎馬戦の後こっそり手当てしていた。嘘だと思うなら後日真弓に直接聞いたらどうだ?」
「…それは、間違いないの?二人とも」
「間違いない」
迷いなく、今度は否定する二人。
「そう、でもね」
グッと握る拳に力が入り…
パァン!パァン!
二人の頬を交互に強く打つ瀬尾さん。
叩かれた二人は、気まずそうにうつむき加減のまま立っていた。
「今度真弓さんに会ったら、閉じ込めたことは謝りなさいよね」
『…はい』
体育祭の後片付けも終わり、次の登校日は反省会をやって今度こそ委員会の役目を終えられる。
隆紫は先生から病院の場所を教えてもらい、猿楽さんの運転する車でその病院まで二人で行くことにした。
「ここね」
「そのようだ」
真弓さんは運び込まれた病院で、そのまま検査入院になったらしい。
病室には手書きで
「やっぱり来たわねっ」
ご挨拶な一言を浴びせかけられて、あたしと隆紫は二人して苦笑する。
真っ白なベッドで横たわり、左足は包帯がぐるぐる巻かれていて、むやみに動かせないよう上から吊り下げられている。
その痛々しい姿を見て、限界を超えた無理をしていたことがうかがい知れる。
「ふふっ、来ない道理は無いでしょ?」
「委員会の仕事、途中で放り出してごめんっ」
「仕方ないわ。お昼は途中でいなくなって心配したよ」
「容態はどうなんだ?」
口を挟んできた隆紫に、少し表情を曇らせる。
「まだなんとも言えないけど、もう二度と競技する足としては…使えないかもしれないと、お医者様に言われたっ」
「…歩けるようにはなるの?」
「重度の捻挫だから、治れば普通の歩きなら問題ないと思うわっ」
あたしと隆紫はそこにあった椅子を並べて座る。
「ほんと…二人はお似合いよねっ…悔しいけど…それにしても
「不思議な魅力のある人だった。たぶん、真っ直ぐで純粋なんだろうな。それでいてパワフルな一面があって、気遣いや礼儀を忘れない」
「まるであなたの姉みたいだね、隆紫」
「あいつは頑固なだけさ。ドレス着たお嬢様スタイルも絶対やめないしな」
「それ、あなたが言うの?」
「僕にドレスが似合うと思うのか?」
「そっちじゃないわよ。頑固なところ」
ジト目で突っ込んだ他愛のない冗談を、三人で静かに笑う。
「そうだ、君を閉じ込めた犯人が判明した」
「瀬尾さんが差し向けたんでしょっ?」
「いや、瀬尾さんは全く知らなかった。あの二人が勝手にやったことだ。瀬尾さんは二人に激しい
「そう…ま、あの件が無くてもどのみちここで寝ていることになったと思うけどねっ」
三人とも、言葉を無くして沈黙する。
サワ…と窓から秋の香りを乗せた風が病室に飛び込んできた。
「ねえ…二人でキスして見せてよっ」
かあっ!
真弓さんから思わぬ言葉が飛び出して、あたしの顔は真っ赤になる。
「なっ…何言ってるの?真弓さん…?」
「その反応、やっぱりまだなんだねっ」
「ああ、まだだよ。前にしようとしたことはあった。でも電話がかかってきてやめちゃったけど」
「どうして?一緒に住んでるんだから、いくらでもチャンスはあるでしょっ?」
真意の読み取りにくい真弓さんの顔を見ていたけど、隣の隆紫が口を開く。
「僕にとっても初めてだから、うちでなんて安易に済ませたくないんだ」
そういう…ことだったの…。
「ということでいいのかな?僕の口から言わせたかったんだよね、真弓?」
「ふふっ、すごい洞察力だねっ」
目をつぶって微笑みながら答える真弓さん。
「それくらい見抜けなきゃ、明先の責任者はやってられないのさ」
「真弓さん…あなた…」
「知りたかったんでしょ?キスしてくれない理由っ。明先さんも、それを切り出すきっかけが無くて困ってたというところかなっ」
「ああ、そのとおりだ」
「明先の責任者と言えども、好きな人の気持ちになるとずいぶん弱気になるのねっ」
クスッと笑いながら微笑む真弓さん。
「大切な人の気持ちばかりは、流石にな…」
自嘲気味に目を瞑って顔を逸らす隆紫。
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