第30話:りぐ・また(Regret mutter)
ポン………パンパン…パン…パン。
体育祭の開催を知らせる音花火が打ち上がる。
この花火が見えも聞こえもしない遠くから来る人が大勢いる高校だけど、昔は地元密着の校風だったため、伝統として打ち上げている。
離れからだと、耳を澄ませておけばかすかに聞こえる程度の音だった。
それでもすぐそこの道路に車が通れば、その雑音で聞こえなくなってしまう。
あれからも
あたしとの時間は、学校よりも優先度が低いと思われているのは寂しいけど、隆紫の忙しさは何となく分かる。
それでも毎日顔を合わせることができるから、何とか寂しさを紛らわせられる。
まだキスすらしていない関係で、起きた後と帰ってきてから抱きしめ合うだけ。
「おはよう、
「おはよう」
隆紫は両手を広げて受け入れる意志を示してくれる。
ぽふっ
メイド服のまま、彼の腕に抱かれる。
「…まるで夢みたいだ…こうして茜と一緒に居られるなんて」
「あたしも…隆紫と付き合えるなんて思わなかった。何度も諦めて、でも諦めきれなくて…やっと振り向いてくれて、今とても幸せよ」
「僕もだ…」
お互いの体温を感じあって、しばしの幸せを共有する。
二人きりの時間は多い。
毎朝毎晩でそれぞれ一時間もないけど、毎日こうして好きな人の顔を見ることができるあたしは、とても幸せ者だと思う。
それまでずっと辛い思いをしてきた分、喜びも深い。
少し風が冷たく感じる季節。天気は快晴。
委員会として少し早めに登校する。ジャージに着替えて校庭へ出る。
昨日のうちに設営を済ませておいたから、朝は校内と会場である校庭の点検。
もう何人か校舎に入っていく委員会以外の生徒がいる。
「あれ?真弓さんは?」
「体育倉庫を見に行くと言ってた」
ガラッ
体育倉庫のドアを開ける真弓。
「何よ、綱引きの綱がまだあるじゃないっ」
真弓は綱を担いで倉庫の外に出して、校庭のカラーコーン置き場に持ち出した。
「これでよしっ」
準備と点検が一通り終わり、体育祭が開催された。
開会式が終わり、全体で体操をする。
「それじゃ行ってくるね」
救護テントから最初に出ていくのはあたし。
『これより大縄跳びを行います。参加者は入場ゲートへお集まりください』
これは大人数だから、あまり注目されずに参加できる。
隆紫と付き合ってるということもあって、ただでさえ目立ってしまってるから、あまり目立たない種目を選んだ。
一斉に飛び始めて、縄に足を引っ掛けたらそこで終了。
紅組、黄色組、緑組、青組と次々に脱落していき、あたしの白組と橙組が残る。
ピピー!
縄に合わせて飛んだものの、足元に止まった縄を踏んでしまった。
誰かが足を引っ掛けてしまったらしい。
「あー…」
前後から落胆の声が漏れ、バラバラと列を離れる。
「よくやったな。足を引っ張らずに済んだか」
「うん、ちょっと危なかったけどね」
救護テントに戻り、隆紫が
「さて、次はわたしねっ」
間に一つ種目を挟んで、眺めている途中で真弓さんがテントを離れる。
入場ゲートに向かう真弓さんの後ろ姿を見送り…
「さて、あいつはどれだけの足なんだろうな」
「そうね…
これから50m走が控えている。
瀬尾さんも出る100m走は午後のプログラムになっている。
この50m走は、瀬尾さんとの勝負への試金石になるかもしれない。
参加者が入場し、それぞれの学年で横並びになる。
まずは一年。
あまり接点の無い人達ばかりが走っているから、いまいち応援にも気が入らない。
一年が走り終わって、二年。
「さてと…見てなさいよねっ…」
トン、トンと小さく跳ねて体を慣らす。
左右を見渡しても見知った人はいないけど、気合十分。
「位置について、よーい…」
パァン!
「はやっ!」
開始数秒で真弓さんが体一つ分飛び出た。
そのままジリジリと引き離して、ゴールテープを切った頃には文句なしぶっちぎりの一位だった。
「5秒31か…」
いつの間にかストップウォッチを手にしていた隆紫がつぶやく。
「5秒台っ!?」
「確かに速いな。陸上部ではないのが惜しいくらいだ」
「瀬尾さん…」
「何?」
瀬尾さんが委員会で一緒になっている二人のうち、一人が声をかける。
「確か、あの人だよね?100m走で勝負するの」
「そうよ。なかなか楽しめそうね」
口元を少し上へ歪めてぼそっと口にする。
瀬尾さんは50m走で5秒12が自己最高記録。
救護テントの誰かさんみたいにタイムの計測こそしていなかったけど、その速さの見極めはほぼ狂いなくできていた。
「まさかこんなところに燃えさせてくれる相手がいたなんて…これは勝負し甲斐があるわね」
救護テントにはもう一組の人が控えていたけど、種目参加のためちらほらとテントを抜けては入ってくることを繰り返している。
転んで擦り傷を負ってここへ来る人もいるけど、保険医の先生も手伝ってくれているから、それほど負担はない。
「それじゃ行ってくるっ」
「あたしも行くね」
「いってらっしゃい」
二人揃って午前最後の種目である騎馬戦へ赴く。
救護テントには、隆紫ともう一組の一人が残っただけだった。
ちらほら出ていたけが人も手当てを終えて、テントの下はガランとしている。
「明先さん、だよね?」
「ああ、保険医の先生を除けば二人だけになっちゃったけど、気を引き締めて救護活動しよう」
グラウンドがよく見える位置に座った隆紫の隣、服が擦れ合うほど近いところに、同じ救護係の女子生徒が椅子を置いて座った。
「あたしは
にっこりと笑顔を向けてくる紫苑。
「それは光栄だな。それより騎馬戦、始まるよ」
しかし隆紫はさして気にすることもなくグラウンドへ目線を送る。
「明先さんって、さっき出ていった人と付き合ってるんでしょ?」
「うん。大切な彼女だ」
「だから喋り方が変わったの?前はもっと鼻にかかったような気取った喋り方だったはずだけど?」
「多分、君の考えている理由とは全く違うけど、きっかけはそうだ」
「理由って?」
「彼女に嫌われなければならなかった」
「どうして?」
「そこまで話す必要はないだろう…あっ!」
隆紫が立ち上がって、大切な人がいる方向に目線を送る。
「くっ!」
あたしは騎馬戦の前位置にいた。
真弓さんが乗って戦う位置にいて、後ろからの攻撃にバランスを崩しかける。
「左手側から回り込んでっ」
息を合わせて騎馬後ろの二人があたしを軸に方向転換する。
方向を合わせてあたしは前へ進む。
「うあっ!!」
すぐ横にいた騎馬が崩れて、後ろの一人に倒れ込む。
「おわっ!!」
足を取られた後ろの騎馬役はたまらずその場で崩れてしまう。
「ちょっ!!!」
後ろの騎馬役が崩れたことで、あたしの肩にかかる手はずり落ち、手には引っ張られるような力がかかる。
ドサッ!
あたしが先頭を務めた騎馬は、真弓さんの落馬によりここで失格になってしまう。
「大丈夫?真弓さん」
転んでお尻をついていた真弓さんに手を差し伸べた。
「ええ、大丈夫よっ」
あたしの手を掴んで立ち上がる。
落馬、つまり失格になってしまったことで、邪魔にならないよう退場する。
「
真弓さんは持ち場の救護テントに戻るものの、それまで我慢していた左足首の痛みが強くなり、気づかれないようこっそり手当していた。
「まずったわねっ…これじゃ走れないかしらっ…」
『それではこれよりお昼休憩に入ります。13時から午後のプログラムを開始します』
お昼のアナウンスが流れて、蜘蛛の子を散らすかのように校舎へ向かう人とグラウンドの外周へ向かう人の波が立つ。
ごく僅かながら、応援席兼待機場所に留まる人の姿もある。
「茜、一緒に食べようか」
「うん。お弁当作っておいたよ」
「それは楽しみだな」
「ねぇ、真弓さんも…」
振り向いて呼びかけるも、そこに彼女の姿はなかった。
「あれ…?」
「行こう、茜」
同じ頃…。
「今の勢いだと優勝が結構微妙なラインかも」
「どうせなら優勝したいよね。先生、優勝したら駅前のスイーツ屋にあるシュークリームをクラス全員にごちそうしてくれるって言ってたし…」
瀬尾さんと同じクラスの体育祭実行委員二人が、お昼にする場所を探して体育倉庫のある校舎裏に足を進めていた。
「わたしたちの橙組とあの人がいる白組の点数って僅差だし、午後もこの勢いだと逆転されちゃうかも…」
「それはそうと、あの人が100m走に出たらかなりまずいんじゃない?50m走でぶっちきりだったよね?」
「瀬尾さんが負けるなんて考えられないけど、点差を稼ぐにはちょっと心許ないわね…って、あの人って…」
向こうに見える人影に気づく二人。
「まずいわっ…かなり痛みだしてきたっ…」
人目を避けるために来た体育倉庫の前で、真弓さんは痛む足を抑えていた。
「櫟さんや明先さんに知られたら、絶対余計なお世話をしてくるよねっ」
痛む左足を上げて、負担をかけないようかばっている。
体育倉庫のドアを開けて、ドアの縁にできた段差へ腰を掛けようとしたその瞬間…
トンッ
ふと、真弓さんが背中を押される。
「いたっ!」
倒れまいと反射的に左足でふんばろうとするけど、痛めた左足に激痛が走った。
踏ん張れないまま、体育倉庫の中に倒れ込む。
ガララ…
倒れ込んですぐに扉が閉められた。
「なにか抑えるものを…」
外に響く声は、なんとなく聞き覚えのあるものだった。
「えっと、はい」
誰かに閉められたドアの外で、ガタガタと音がする。
ガリッと音を立てて、静かになった。
「ちょっとっ!何するのよっ!?開けなさいっ!」
真弓さんは痛む足をかばいながら、ドアを開けようとしたけどビクともしない。
遠ざかる足音の中、二人の会話が耳に飛び込んでくる。
「これで瀬尾さんの不戦勝よ…」
「そうね」
頭に来た真弓さんは、カビ臭い倉庫の中で大きく息を吸い込む。
「あんたたちっ!!瀬尾さんの差し金ねっ!!?覚えてなさいよっ!!」
大声で叫んでみるも、返事はなかった。
扉に鍵をかけられた気配はない。つっかえ棒で塞がれたと考えるのが自然かもしれない。
周りを見渡しても出られそうなところはない。
背後から入る光に気づいて振り向いてみるも、唯一の窓には外の柵がある。
おまけに手が届く高さではないから、窓を開けて叫んで助けを呼ぶことも無理。
「誰かっ!!助けてっ!!」
必死に叫んでみるも、周囲のざわめきはかなり遠いうえに、そのざわめき自体が真弓の声をかき消してしまう。
仕方なく窓を開けることにした。
窓を開けてしまえば声はもっと遠くへ届くはず。
ボールのカゴをひっくり返して脚立にして乗る。
痛む左足をかばいながら、何とか必要な高さを確保できた。
「何よこれっ…サビてるっ?」
窓の留め具を外そうとしてみるけど、硬くてとても外せそうにもない。
「外れてーっ…!!」
ふと手応えが無くなって、勢いが余り後ろに転んでしまう。
ぼふっ
ボールのカゴをひっくり返して乗ったところから落ちたけど、幸い高飛びマットが背中を押し返してくれた。
「今間違いなく留め具が動いたわよねっ…」
留め具を見てみると…
「嘘…つまみが…曲がってる…」
留め具を掛け外しするハンドルがグニャリと手前に曲がっていた。
『昼休み終了10分前です。まもなくプログラムを再開します』
放送の声が辺りを包み込む。
「まずいっ…このままじゃ本当に閉じ込められっぱなしになるっ!」
ダンダンダンッ!!
「誰かっ!!ここを開けてっ!!」
思いっきりドアを叩きつつ叫ぶも、もともと体育倉庫の辺りはひとけの少ない場所だから、その声に気づくことはなかった。
「携帯電話…持ってくればよかった…」
後悔しても、何一つ変わりはしない。
「誰か助けて…」
『これから綱引きを行います。綱引きの次は100m走です。100m走の参加者は入場ゲートへお集まりください』
「真弓さん、どうしたんだろうね?100m走に向けて準備でもしてるのかな?」
「さあな」
「あたし探してくる」
隆紫にこの場を任せて、あたしはテントを抜ける。
「あいつ…あんな足で走れるのか…?」
あたしを見送った隆紫がぼそっとつぶやいた。
ダンッ!
開かない体育倉庫のドアを叩く。
叩いた手がジンジンと痺れる。
「綱引き用の綱…出しておくんじゃなかったっ…」
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