第29話:はに・りど(Furniture readiness)

「と、まあ散々だったわよ」

 やっと実現した隆紫とのデートで起きたことは、昼休みのランチを学食で摂りつつかおるに話した。

「あはははっ、それは災難だったわねー」

「笑い事じゃないわよ。まさかあそこまで世間を知らないなんて思わなかったもの」

 今思い出しても顔から火が出そうな思いをした。


 ガシャーン!


 どこかで食器をばらまいてしまったような音が響く。

「ちょっとっ!今足引っ掛けたでしょっ!?」

「あら、席から立ち上がろうと体の向きを変えたところで勝手に私の足に躓いたのは誰かしらね?」

 見覚えがある顔がそこにあった。

 どうやら真弓さんが食べ終わった食器を片付けに行こうとしたところで、接触して転んだらしい。

 真弓さんが足に接触した女生徒は、確か体育祭実行委員の瀬尾せおさん。

 前に委員会の会議で真弓さんが叱責した後で彼女を睨んでいた人。


「ねー、あれちょっとまずくないー?」

「そうね、ちょっと行ってくるわ」

 あたしは険悪になりそうな空気に見かねて、真弓さんのところへ足を進める。


「事情はどうあれ、あなたの足でわたしが転んだのは確かなんだから謝ってよっ!」

「勝手に躓いたくせして謝るなんてどうして?その高圧的な態度をすれば相手が折れてくれると思ってるあたり、空気の読めないお子様よね」

「なんですってっ!?」

 真弓さんが瀬尾さんの至近距離まで近づいて、右手を上げた。


 パシッ!


「何をするのっ!?」

 振り向いた目線の先には、あたしがいた。

 振り下ろそうとした腕を掴んで、叩くのを止めている。

「ダメ。手を出しちゃ、相手の思うつぼよ」

 ここは人の目が多い。どっちに非があろうとも、手を出すことは圧倒的に不利な立場へ立つことになる。

「でもっ!!転ばせた上にわたしを侮辱してきたんだよっ!?」

「ここは抑えて」

「ずいぶんと威勢がいいのね。委員会でもあなたの大声でみんな黙り込んじゃったけど、あれで味を占めちゃったのかな?」

「~~~~~っ!!」

 掴んだ真弓さんの右手が再び暴れ始める。

「あれは挑発よ!乗っちゃダメ!」

 あたしが抑え込んでいることで、手を出せなくなっている真弓さんを眺めてから席を立つ瀬尾さん。

「そこまで言うならいいわよ。謝ってあげても。ただし、体育祭の100m走で私に勝てたらね。必ず出てよね。あなたが負けたら手を上げたこと、謝ってもらうわ。お友達に止められて未遂だったけどね」

 コソッとあたしたちにだけ聞こえる声量で言い残して学食を後にした。


「止めてくれてありがとっ。頭に血が登ってたわっ」

 学食を出て、教室に戻った真弓さんは冷静になっていた。

「もしあそこで叩いてたら、一方的に真弓さんが悪者にされてたわよ。そんなの見ていられなかったわ」

「ふー、見ていてヒヤヒヤしたよー」

「それで、こんなに集まって何してるんだ?」

 三人で集まって話をしていたところへ隆紫が顔を出した。

「それがね…」

 学食でのことを話し終えた後、軽くため息を吐いたように見えた。

「やはりちょっかいをかけてきたか…」

「やはり、ってこれ予想してたの?」

「最初に想像していたよりはずいぶんとセコい手口だ、という違いはある」

 それで何事もなく済めばいいが、と心の中で呟く隆紫だった。

「わざと足を引っ掛けてきたってのは本当?」

「確かに席を立とうとした動きはあったわっ。でもあの悪びれない言い方はわざととしか思えないわよっ。どうせ委員会での仕返しでしょっ」

「やっぱりそうよね。それで、勝負は受けるの?」

「ふふん、見てなさいよねっ。泡食わせてやるわよ」

「しかしあいつって確か陸上部のエースだったよな。俊足の瀬尾とでも呼ばれてたような気がする」

 隆紫が突然後出し情報を口にする。

「ええっ!?隆紫、それは相手が悪いんじゃ…?」

「どうするんだ、真弓?」

 しかし真弓さんは黙って不敵な笑みを浮かべていた。


 離れに帰り、隆紫と夕食の時間になる。

「真弓のやつ…ずいぶん自信ありげだったけど、勝てるつもりなのかな?」

「わからないわよ。彼女の全力疾走なんて見たこと無いもの」

「確かにな」

 しかし隆紫は誘拐事件の時、近くでこっそりと録音されていたことを思い出す。

 真弓を乗せて残した車の様子を見通せる最短距離を避けて、姿を見せないまま会話を録音していた。

 救出後、倉庫を出る前に叫んだ茜の悲痛な告白も聞いていたらしい。

 歩いて車まで茜を送ったが、そこから姿を見せることなく車に戻るとしたら、見通せる最短よりも数倍の距離を遠回りする必要がある。

 つまりそれほど足が速いであろうことは想像に難くない。

 真弓のことは気になるとしても、手の内を明かさないなら隆紫は詮索するつもりもない。

 他人への興味がないわけではない。

 他人の秘密を暴いて困らせることを嫌っているだけ。

 ただし、秘密を暴かなければ困る場合や、窮状の打開につながると見込んだ場合は遠慮なく秘密を暴く。

「まだ真弓の秘密を暴くほどには深刻化してないか」

 そう呟いて口を閉ざす。

「何か言った?」

「いや、真弓の件で僕が動く必要は無いと思っただけだ」

 こういう細かいところでも、あたしは感動してしまう。

 付き合う前の隆紫だったら何でも無い、の一言で終わっていたはず。

 心を開いてくれたことが実感できる瞬間は何よりうれしい。

「どうした茜?ニヤニヤして気持ち悪いぞ」

「ううん、隆紫がこうして隠さずに言ってくれて幸せなの」

「そうか…そうだったな。前なら嫌われるためになることだったら、何でも選ばず冷たく接してきたからな」

「…仮にだけど、もし麗白ましろさんがあと一ヶ月くらい来なかったとしたら、あたしはどうなったの?」

「僕が耐えきれなかったから、融資とは関係なくメイドを辞めてもらったろうな」

「やっぱり…で、もしあたしが食い下がったらどうしたの?」

 そう問いかけたら、隆紫は顎に手を当てた。

「そうだな…無理矢理組み敷いて、下着姿にさせて途中でやめたかな。これ以上されたくなければ出ていけ、とでも言って。それで傷つくのは分かってるけど、そうでもしなければ追い返せなければ、そうしたはずだ」

 あの夜に言われたことは正しかったのかも知れない。

「真弓さんと一緒に寝た夜、似たようなことを言われたわ。隆紫はあたしに嫌われようとするために、あたしを本気で襲うかもしれない、と言ってみたら…傷ついて悲しませるようなことはしないだろう…って」

「…どうしても離れてくれないなら、手段を選んでいられなかったろうな。もうこの話はやめよう。たられば話をしても仕方ない」

「ううん、仕方なくなんてない。隆紫が何を考えてるのか知りたいもの」

「そうか…けど僕がそんな話をしたくない」

「…わかった。けど時々でいいから、たられば話であっても聞かせてね。隆紫の全部を知りたいから」


 部屋に戻って、宿題を広げる。

 付き合い始めてから、離れでは二人きりの時間が増えた。

 前のデートではキスしようとしてきたけど、離れではそんな素振りすら見せない。

 正面から抱きしめ合うけど、それ以上の接触を意識して避けているようだ。

 あたしから誘ったり、なぜ離れでキスしないのかを聞くのも恥ずかしいから、この距離を今も保っている。


「はぁ…」

 隆紫は自室に戻ってため息をついた。

「あの時はせっかくいいムードになったけど…水を差されて以来そんな空気じゃなくなってしまったよな…いくら二人きり一つ屋根の下だからといっても、初めてのキスは想い出深いものにしたいから、離れ以外の場所で…なかなかチャンス無いな…」

 机に置いてあるPCの電源を入れて、メールのチェックから始める。

 ちゃっちゃと仕事を片付けているとはいえ、少し目を離すとすぐに仕事が溜まってしまう。こうして少しの時間でも片付けないと、気づけば山積みになってしまう。

 かといって茜に手伝ってもらえることは何一つない。

「次に茜とデートできる日はいつになるのやら…やれやれだ…」

 一つずつ仕事を片付けて、日付が変わろうとする頃にやっと宿題を広げる。


 体育祭実行委員は週に二度、放課後を使って集まっている。

 真弓さんはさらにもう一度、委員長会として顔を出している。

 来週末に迫った体育祭は、委員会をさらに忙しくすることは明らかだった。

 そしてロングホームルームでは、真弓さんが教壇に立って参加種目を決めることになる。

「それでは参加種目を決めたいと思いますっ。配ったプリントを見て決めてください。100m走はわたしが出ますっ」

 さらりと勝手に自分の参加種目を一つ決めているけど、特に異論や反論する人は居なかった。

 そういえば100m走だっけ。瀬尾さんと勝負するの。

 あたしたち三人は委員会として救護テントを任されるけど、別のもう三人が控えているから、競技に参加しても問題はない。

 必ず一人一種目がノルマとなっているけど、それでも種目が多くて一人二種目出ても少し足りないくらいだった。

 所属している部によって参加種目に制限をつけることになっていて、走ることがメインでない玉入れや綱引きなどは複数参加が可能で、距離の異なる走る競技が複数ある中で、陸上部は一度のみ参加可能となっている。

 つまり瀬尾さんが100m走一本に絞って参加することは明白だった。

 ちなみに真弓さんは50m走も出ることになった。

 どうやらこのクラスでは、走る競技の人気が無いらしい。

 委員会で決まったのは、組は学年ごとに3つへ割り振り、赤、黄、青の組となり、同学年の2つ離れたクラスと同じ組となる。

 1年、2年、3年がそれぞれ同じ法則で色の組ごとに分かれて点数を競い合う。

 これが唯一、上級生や下級生を問わず協力し合って一体になるイベント。

「それでは、これにて出場種目を決定としますっ」

 あまり乗り気でない人と気合い十分な人で温度差があったものの、なんとか出場種目がすべて決まった。


 放課後。

 全校の出場種目がすべて決まったことを受けて、まずは学年会が開かれた。

 進行係がそれらを集約して、開催当日へ向け一覧化されることになっている。

 真弓さんが、瀬尾さんを視界に捉えると「フフン」と言いたげな顔を向けた。

 体育祭そのものは生徒たちが主体となり、先生たちは経験を活かした安全確認など保護を最優先とするのが通例になっている。

 この委員会も先生方は顔を出しているものの、ほとんど傍聴者のようなもの。

 あくまでも生徒主体というスタンスは崩していない。

 続いてテントや三角コーンなど、校内にある体育祭用の備品を一覧にまとめて割り振りを始めた。

 去年と種目はそれほど変わっていないため、特に追加で必要となるものはないと結論付けられる。

「では今年も追加で必要になるものは無しとします」

 議事進行役が淡々と当日に向けての未確定事項を確定とさせていく。

 しかし議事進行役も、時々真弓さんの方へチラリと目線を送っていることが気になる。

 こういう時の真弓さんが言うことはド正論で、反論の余地がない。

 それだけに非効率なことやノリで決めようという流れに水を差す。

 真弓さんの存在が周囲をピリピリとさせているまま、総出で備品の点検に入ることになった。


「よし、そっち支えておいて」

「はい」

 あたしはテントの支柱にしがみついて、倒れないよう体重をかける。

 ぐいっと反対側の支柱が立てられて、しがみついてる支柱が大きく揺れた。

 支柱の足が固定され、風が吹いても自立していられる程度には安定している。

「組み立て終わったの?」

「ああ。後はサビてたり変形や不自然な穴が空いてないかを確認しよう」

「わかったわ」

 周囲を見ると、倉庫から出された各備品があちこちに展開されている。

 去年は委員じゃなかったからわからなかったけど、こうして準備する人たちがいるからこそ成り立ってるんだ…。

 あたしがしがみついていた支柱を見ると、何か打ち付けた様な跡が残っていた。

「隆紫、これはいいのかな?」

「どれ」

 近づいてきて、指差したところを眺めている。

「この程度なら問題ないな。けど報告はしておくか」

 隆紫はその部分をスマートフォンで写真に撮ってから他の箇所を点検し始めた。

 こういう卒なくこなす姿を見て、学生でありながら取締役として仕事をしている姿を重ね合わせていた。

 誘拐事件の時も色々と作戦を考えていたらしいし、あたしに欠けている様々なことを先回りしてケアしてくれている。

 あたし、隆紫に甘えすぎてるのかも。

 もっとしっかりしなきゃ。


 ほどなく、すべての点検が完了した。

「では破損や著しい汚れも無いので、これにて本番の準備は完了とします」


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