第27話:ぜん・さい(Gentle sight)
居酒屋のアルバイトを続けられることになった
昨日のこと。
「ただいまっ」
「
家に帰ると母がいた。挨拶も無く、母の追求が始まる。
「心配かけてごめんなさい。昨夜は友達のところに泊めてもらったわっ」
「…無事だったからいいけど、お父さんが帰ってきたら話があります。それまで寝るんじゃないわよ」
少し呆れた空気を出しつつ、気が重くなる瑠璃だった。
「話があるのは、わたしも同じ」
父が帰ってきて、夕食を済ませた後で居間に呼ばれる。
「瑠璃、そこに座りなさい」
「はいっ」
「昨夜のことは聞いた。友達の家にお邪魔したそうだな」
「そうよっ」
はっきりと答える。その様子に父は眉がピクッと動く。
「無事だったからよかったようなものの、何か事件に巻き込まれたらどうするつもりだったんだっ!!?どれだけ心配したと思っているっ!!?」
早くも落ちた雷に、瑠璃は思わず怯んでしまう。
そんな時、頭をよぎったのは
『真弓さん、あなたはどうしたいの?それが答えの全てだと思うわ』
そう…わたしがどうしたいか。ここで負けちゃだめっ!
「連絡もしないで外泊したのは悪かったわっ!けどお父さんはバイト先のことを何も知らないで勝手に否定してやめさせようとするっ!そんな横暴が許されると思ってるのっ!?」
「瑠璃っ!!お前は甘いっ!!成人すらしてないお前にとって夜の街がどれだけ怖いところかを知らないから、そんなことが言えるんだっ!!事件になってからでは何もかも遅いんだぞっ!!!」
「店長もそのことは気にしてたっ!!だから夜は遅くても8時までということになってるし、先輩が駅まで送り届けてくれてるっ!!」
「それがなお悪いというのだっ!!職場に迷惑をかけているという自覚が足りてないお前に何が分かるっ!!?バイトだからと言っても遊びじゃないのだぞっ!!!」
「あたしは駅まで送り届けてなんて頼んでないっ!働き始めてから店長が勝手に決めてそうなっただけでっ…それが許されないのなら辞めるよう言われてるわよっ!」
「話にならん…いいか、もう二度と…」
瑠璃は握りしめていたスマートフォンを取り出して、耳元に当てる。
「瑠璃っ!!今はお父さんと話を…」
「…はい、今代わりますっ」
耳に当てていたスマートフォンを父に差し出した。
「バイト先の店長よっ。話がしたいってっ」
瑠璃はこのお説教が始まる時からずっと、通話状態にしていた。
家に帰ってから、バイト先に連絡をしたら、こうするように言われていた。
「おお、これは店長どの。先日は突然失礼しました。もう娘はそっちに行かせませんので………え…?いやしかし…娘の話を聞いてる限り帰りにまでご迷惑をおかけしていて………女の子一人では夜道も危険ですし、かといってこのままでも良いとはとても……………はい………はい…………そう言われましても…………ですが、それでは忙しい時間なのに………えっと…」
次第にトーンダウンしてくる父に、追い打ちを仕掛けることにした。
「お父さんっ。わたしがわたしらしくあれる場所を奪うなら、もう二度と口きかないよっ?」
瑠璃はキッと真っ直ぐ父を見据える。
焦りと狼狽の色を濃く顔に出している父に、電話の声が追い打ちを仕掛けた。
「………はい……はい……では、その条件で………今、娘に代わります」
スマートフォンを耳に当てると、店長の声が飛び込んできた。
「大変だったね。お疲れ様、瑠璃さん。30分短縮して夜7時半までの時間になってもいいなら、今お父上から了解をもらいました。どうしますか?」
「ぜひっ」
これが瑠璃の顔に、ぱあっと笑顔を輝かせた瞬間だった。
その顔を見た父は内心ホッと胸を撫で下ろすも、娘の居場所を問答無用で奪おうとした自分の行いを恥じて、しばし黙りこんだ。
「そうだったんだ…」
ひととおり話を聞き終わり、なかなか壮絶なやり取りがあったことを知る。
「櫟さんが寝る前に言った一言が無かったら、多分バイトは辞めることなったと思うっ」
「そう、役に立ててよかったわ。ところでなぜ30分短縮で手を打ったのかしら?」
「ランチタイムから入って7時半に上がる女性の先輩がいるからよっ」
「なるほど、その先輩に駅まで送ってもらうことにしたわけね」
「うんっ」
隆紫はそんな二人を眺めて
「はは、もうすっかり仲良しだな」
とつぶやく。
「そうだっ。明先さん、泊めてくれてありがとうっ。このお礼は必ずするからっ」
「気にすることはない。助け合う。当然のことをしただけだ」
あたしは騙していたことを改めて聞くなんて野暮なことはしない。
あえて触れないで、真弓さんのあたしに対する態度で判断する。
「いいえ、お礼をしますっ。借りは作らないしいつまでも残さない主義だからっ」
「だったら前の事件で茜の位置を教えてくれたあれを当てておこう」
隆紫の提案に、真弓さんは首を横に振る。
「あれはあの熱意に負けて自分で決めたことだものっ。それは貸しじゃないわっ。借りを返すとしたらこれから先のことだよっ」
「それじゃ、そういうことにしておこうか」
ふわりと微笑む隆紫だけど、少々迷惑そうな色を宿していた。
真弓さんのこんな頑固なところは、
「あたしの一言は貸しにならなかったの?」
「頼んだわけじゃなくて、ただの会話でヒントをもらったっ。それだけっ」
「聞いた限りだと昨夜の件も頼んだわけじゃないみたいだけど?」
「明らかに施しを受けた分は、頼んでなくても借りは借りよっ」
キーンコーンカーンコーン…
本鈴が校舎を駆け抜けた。
「それじゃ、席に戻るわね」
「うんっ」
よかった。体育祭実行委員が同じになった時は先が思いやられたけど、思わぬところで心を許しあえた手応えを感じる。
でも暗黙のルールがある。
それは、騙したことは口にしない。
真弓さんの目の前で隆紫とイチャイチャしない。
この二つ。
もしその気になられたら、あたしたちはすぐ破局しかねない危機にある。
学校に同居がバレてしまえば、おそらく無事では済まされない。
決して踏み越えてはいけない一線が、あたしたちには引かれている。
でも、手段を選ばない破局は望んでいないらしい。
しかし真弓さんの目的は、こうして近くで観察することで、隆紫とあたしが別れた場合の行動をすぐ起こせるよう虎視眈々と狙っていることをあたしは知らなかった。
「あーあ、今日も体育祭実行委員会かっ…今日からは学年単位でやるんだってっ。次に全校でやる時は委員長だけだから、わたしが一番多く顔出さなきゃならないんだよっ」
放課後になり、委員会の仕事が入ってしまったからゾロゾロと三人で会議室に使う教室へ足を向ける。
「それは嫌になっちゃうよね。バイトなんかで出られそうにない時は代わってあげようか?」
「や。借りは作りたくないっ。貸しならいくらでも作るけどっ」
こういうところは変に律儀というか、偏った考えを持っているらしい。
「それでシフトの時間が合わないことを理由に、バイト先からアンマッチ宣告されないよう用心してよね?せっかく親からもぎ取った了承なんだから」
「うっ…それを言われるとっ…」
「ほら、ボサッとしてないで入った入った」
隆紫に促されて、会議室となっている教室に入っていく。
「ねえ真弓さん、もうちょっと抑えめにしたほうがいいと思わない?」
会議が終わって教室を後にしてから、あたしが声をかける。
「だってあれくらい言わないと進まないじゃないっ」
「それはそうだけど…」
船頭多くして船山に登ると言われてることを証明するかのように、あれこれ決まらないまま時間が過ぎつつあるところで、真弓さんがガツンと叱責したことで全員が黙ってしまった。
以後は割とスムーズに決まっていったけど、さすがに言い過ぎと思うところまで言ってしまったと思う。
「それに
あたしが言ったことをまるごと投げ返されて、言葉を失う。
「それじゃ急いでバイト行くからっ」
そう言い残して足早に姿を消した。
「…隆紫、どう思う?」
「あの勝ち気なところがあいつらしさだろうな。けど…」
「何?」
「いや、今考えても仕方ないことだ」
どうやら隆紫は何かひっかかっているようだけど、言わないということは知っても仕方ないことか、今は知るべきことではないということ。
無理に暴いて困らせるのは本意じゃない。
あたしはあえて聞かないでおくことにした。
けれども、少しだけでも引っかかってることを聞いておけばよかったと思うのは、もう少し先のことだった。
「ねえ、さっきのどう思う?」
体育祭実行委員の女子たちが数人集まって話をしていた。
「確かに正論だけど、言い方ってものがあるよね」
「私達だって真剣に議論してるからこそ、なかなかまとまらないのに…それをあんな言い方されちゃ…」
「だったらさ…」
こそこそと作戦会議をしている委員会の女子たちだったけど、それを気にかける人は誰もいなかった。
あたしはどうにも委員会でのことが気になっていた。
確かに真弓さんの言い分は正論だった。
けどあの瞬間、空気が凍ったような気がして、どうにもいたたまれなくなった。
離れの外がヘッドライトの光で照らされる。
もう見慣れている彼が帰ってきた合図。
「ただいま」
「おかえり、隆紫」
待ち焦がれた、帰ってきた愛しい人の胸をめがけて飛び込む。
目の前が隆紫の体で埋め尽くされたその瞬間…
フッと目の前が明るく開けた。
そのまま前へ傾き、バランスを崩して…
ビターン!
「ちょっと!隆紫!!なんで避けるのよ!!?」
床に思いっきり倒れ込んだあたしは、起き上がりざまに不満の声を上げる。
「ごめんごめん、ほら」
苦笑いしながら腕を広げて、しっかり受け止める意志を示した。
「もう…」
今度はバランスを崩してしまわないよう、慎重に胸に顔を当てて腕を背中に回した。
背中に手を回すと、隆紫もあたしを包み込むような抱き締め方をしてくる。
この瞬間は言葉にできないほどの幸せを感じる。
ここに来た時には考えられないこと。
「茜…」
「隆紫…」
お互いに名前を呼び合って、その存在を確かめ合う。
時々だけど、さっきみたいに忘れた頃、意地悪をしてくる。
けど付き合うようになってからの意地悪は、お互いが心を許して求め合い、離れたくない前提で成り立っている。
しばらくこうして抱き合って、二人でリビングに入った。
「夕飯できてるよ。今用意するね」
「いつもありがとう。茜」
付き合い始めてからの隆紫は、気持ちを言葉にすることにためらいがない。
あたしが欲しい言葉をしっかり口にしてくれる。
作っておいた夕食をテーブルに並べて、二人きりのディナータイム。
一流シェフによるフルコースや渾身の一皿ではないけど、好きな人と一緒の食事はどんな美食にも勝る。
幸せなひとときを共有する喜びを噛み締めて、食後のティーを
「ところで隆紫の方は大丈夫なの?体育祭の準備で時間削られちゃってるでしょ?」
「まあ、なんとかなってる。夏休みの時は実に様々な事故があったけど、今では散々対策を打ってきたし、茜に逢いたくてちゃっちゃと片付けてきてる」
「じゃあ前はどうだったのよ?」
そう言いつつジト目を隆紫に向けた。
「………息抜きしながらやってたかな」
「わざと遅くなるよう時間配分したってこと?」
「そういう捉え方もあるかな」
はぁ…
軽くため息をつく。
「まああの頃はあたしも隆紫の顔を見るのが辛かったから、あまり追求しないけど」
そういえば、隆紫とどこかに出かけた記憶が無いな…。
付き合ってるんだから、もう少し恋人らしいことしたい。
「ねえ隆紫、忙しいのは分かるんだけど、せっかく付き合ってるんだから…もう少し恋人らしいことしてみたいな…」
「そうだな、それじゃ今夜は僕の部屋に」
パシャッ
「油断してた…」
明らかにそんなつもりで言ったわけではないことなど分かりきっている。けど…
「そういうムード無いこと言わないの」
隆紫にひっかけた水の入ったコップを置きながら、あたしは軽くため息をつく。
「茜がここに来てすぐ、こうやって水をひっかけられたな」
「あなたが嫌われようと意地悪したからよ」
「あの頃は自制心との戦いだった。けど今は…」
そう言いつつ、優しい眼差しを向けてきた。
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