第26話:のと・おび(Not obedient)
「布団は借りてきたぞ」
「ありがとう、
あたしの部屋に、母屋から借りてきた布団が運び込まれる。
「いいわよっ。わたしはリビングのソファで寝るからっ」
ツンとした態度で一階へ降りようとする
「よくないわ。あたしと一緒の部屋は嫌だろうけど、あんまり困らせないで」
「迷惑はかけないわっ。雨風がしのげる場所を借りられるだけでも御の字よっ」
ポンポンと真弓さんの頭を撫でる隆紫。
「いい心がけだね。押しかけてしまったことに引け目を感じているのか。迷惑はかけない。その気持ちは受け取っておくよ。けどね、これで体調を崩されでもしたらかえって迷惑なんじゃないかな?」
「………ならその布団貸してよっ。リビングに敷いて寝るからっ」
「どこの世界に客人をリビングに寝かせるやつがいるのやら。僕に恥をかかせないでくれよ。文句は明日の朝にでも聞くから、今日は
渡り廊下の向こうへ行けば母屋がある。
母屋はかなりの部屋数があって余らせているけど、基本的に母屋とは関わらないことになっているらしく、真弓さんを母屋に行かせるような素振りは一切見せなかった。
「それとも茜が僕の部屋に来るか?」
「行かないわよ!!」
ニカッと笑う隆紫に顔を赤くして思いっきり突っ込む。
「残念」
ちっとも残念そうな顔をせずに、あっさりと引き下がって部屋にこもる。
「真弓さん、あたしとは嫌だってわかってる。けど今日は我慢してね」
「………」
部屋を出ていこうとする真弓さん。
「どこいくの?」
「お風呂っ。体がベトベトで気持ち悪いわっ」
今日のところはおとなしく一緒の部屋に寝ることを決めてくれたらしい。
「ここよ。脱いだ服はすぐ洗うわ。着替えを置いておくからそれを着てね」
「………」
振り向かずに沈黙で答える。
時間を見計らって、真弓さんの脱いだ服をすぐ洗濯乾燥機に放り込んでおく。
真弓さんが上がってきて、あたしも体を流した。
あまり会話しないまま時間は過ぎる。夜11時を回り、明かりを消した。
「真弓さんはベッドでね。あたしは床の布団で寝るわ」
「ちょっ…」
「おやすみ」
有無を言わさずに、あたしは床に敷いた布団に潜り込む。
さすがにこっちの布団に潜り込んでくることは無いと踏んでのこと。
「……………」
「………………」
「…………………」
薄っすらと月明かりが差し込む部屋に、沈黙の使者が鎮座していたけど、それはほどなく退散することになった。
「一緒に住んでるくせして、ずいぶん淡白な感じがしたけどっ…邪魔しちゃったのは謝るわっ」
真弓さんが口を開いた。その真意を感じ取って、事実を伝えることにした。
「言っておくけど、隆紫とはまだキスもしてないわ」
「ええっ!?」
ガバっとベッドから起き上がる。
「嘘でしょっ!?わたしに気を遣う必要なんて無いわよっ!?」
「嘘じゃないわ。今朝にやっと抱き締め合ったくらいだもの」
「…信じられないっ。夏休み前から付き合い始めておいて…って、前にわたしが疑って迫った時に目の前でしてたじゃない…キス…」
「あれはキスにならなかったわ。キスって唇を合わせることでしょ。あの時あたしは唇を口の中に引っ込めたわ。だから口にはされたけど、ほっぺの口づけと似たようなものよ。隆紫もそれは予想してのことだったわ。だから彼にはためらいがなかった。あと、真弓さんがここへ来た時は隆紫と一緒に挑発的なことを言ったけど、あの時は何かするつもりはなかったわ。むしろ『最後まで見る』なんて言い出したらどうしようかとヒヤヒヤしたわね」
「…すっかり騙されてたわっ」
「人にはそれぞれのペースがあるの。前にも話をしたけど、隆紫はまだ引け目を感じているみたい。姉の事故で…。あと仕事がとんでもなく忙しいのよ。あたしを構ってる余裕も無い感じね」
真弓さんはしばし呆けて、あたしが黙ったから再びベッドに身を預ける。
「あなたは…それで満足なのっ?」
「正直に言えば少し寂しいわ。これは嘘偽りの無い気持ちよ。けど隆紫とは確かなつながりを感じてるから、安心はしてるわ」
「ずいぶん余裕なのねっ…わたしが盗っちゃうかもしれないわよっ」
「ふふ…」
「何よっ」
「本当に隆紫のことが好きなのね」
「そうよっ、あれだけ気を回せるいい男なんてそうそう居ないわっ」
再び夜闇に沈黙の使者が舞い降りるけど、腰を落ち着ける間もなくまた退散する。
「…けど、あの誘拐事件の時…あなたを助けようとわたしはこの屋敷に呼びつけられて、わたしがあなたの居場所を特定できることを知った時の彼は…土下座をして頼み込まれたっ。その時に分かったわっ。あなたへの想いは揺るがない。勝てないって」
そんなことがあったんだ…。
「あたしだって、隆紫の想いにただ甘えるだけのつもりはないわ。誰にも渡さない。誰が来ても、誰に盗られても、何度でも振り向かせてみせる」
何度目だろう。沈黙の使者が舞い降りてきたのは。
そろそろ日付が変わろうという頃…。
「聞かないのね…なんでここに転がり込んだのかっ…」
「言いたくないならあえて聞かないわ。これまで人の秘密を勝手に暴いてきて困らせたことがあったから、自分から言ってくれるまで待つことにしたの」
「……………アルバイトのことで…親とケンカしたのよっ」
真弓さんが口を開いた。
「わかってくれなかったんだね」
「うんっ、わたしが行ってるのは縁があってチェーンの居酒屋なんだけど、未成年ということで前から親に反対されてたのっ。自分のことは自分で決めるって思って働き始めたんだけど、親に心配されるようなことは何もなくて、仲間たちは助け合いの心があってとても働きやすくて居心地がいいのっ…けど今日…」
「親がバイト先へ乗り込んできて、店長さんを巻き込んで口論になってこじれた挙げ句、飛び出してきた、と」
「もしかして彼から聞いたのっ!?」
「ううん、なんとなくそうじゃないかなって思っただけよ」
けど、親の気持ちも少しはわかるかな。酩酊してる人に絡まれて事件へ発展する可能性は、夜間にコンビニで働く人よりも多そうだし。
「ひどい話だよねっ。実際に見もしないで決めつけてめちゃくちゃにされて、黙っていられるわけが無いじゃないっ。行く宛もなくオフィス街を歩いてたら、
とても隆紫らしいわね。そういうところ。
「………このことは話したっけ?今のあたしは融資の条件じゃなくて、明先家に雇われてるメイドの身ってこと」
「聞いたような聞いてないようなっ…」
「最初は嫌で仕方なかった。けど家族を救うために渋々引き受けたわ。隆紫のことは心底嫌いだったの。けど一緒に過ごしている内に心が惹かれていって、気がついたら夢中になってた。でも届かない気持ちを拗らせていて、そんな時に真弓さんが隆紫にアタックするって言うものだから、いっそ真弓さんが落としてくれれば諦めもつくと思って…結果的に騙してしまった。融資の返済が終わって実家に帰ったけど、あれだけ帰りたかった実家にはあたしらしさが無かった。それで隆紫の執事から連絡を受けて、メイドとしてまた新たなスタートをしたのよ。当然親からは反対されたわ。けど仕方なかったとはいえ、一度はやってきたことだし、ここにあたしらしさがあると分かったから、親を説得してここに戻ってきた」
一呼吸置いて、言葉をつなげる。
「今もここに居るのは、あたしが自分で選んだことよ。親の言いなりになるなんて、自分自身を否定することだもの」
真弓さんには、隆紫と付き合ってることについて一切のお礼や謝罪はしない。
それが彼女に対する礼儀だと思うから。
「真弓さん、あなたはどうしたいの?それが答えの全てだと思うわ」
……………
「もうそろそろ寝ましょう。あたしの朝は早いけど、真弓さんは自分のペースで起きてくれればいいからね」
「………わかったっ」
今度こそ、二人の間に沈黙の使者が降り立ち、朝日が差し込むその時までしばし支配を続けていた。
翌朝
いつものとおり朝食の準備をする。
隆紫に止められた精力アップ食材は余らせてしまったから、少しずつ一週間くらいかけて料理へ混ぜることにした。
昨夜、真弓さんとは分かりあえた気がした。
でも騙したことについては話が別。
許してもらうつもりはないし、あたし自身の
誠意を見せれば、許してはくれなくとも認めてもらうことはできると思うから。
「おはようっ」
ふと後ろからかかる声に、あたしは振り向く。
「おはようございます。真弓さん。朝食はあと10分ほどでできるから待っててね」
「本当にメイド服着てるんだっ?」
「最初は嫌がらせだったと思うわ。慣れないヒラヒラの服を着せて、恥ずかしがる様子を思い浮かべてニヤニヤしてたのかも。嫌われようと必死だったんじゃないかな」
トントントンと包丁で野菜を刻む音が響く。
「明先さんが、櫟家を不幸にしてしまった報いとして幸せになってはいけない。けど櫟さんは近くに置いて幸せになるのを見守る、と言ってたけどっ…」
「多分だけど、好きな人が近くにいながらも手を出せない、届かない歯がゆさや辛さを自分の罰として受け入れる意味もあったんだと思う。隆紫からそう聞いたわけじゃないけど、なんとなくそんな気がするわ」
お皿に野菜を盛り付けていく。緑、赤、黄色と彩り豊かで見た目にも華やかさが出ている。
「ということは、恋人になる前の段階でも…人質になってた頃、脅されてベッドを共にするようなことも無かったんだっ?」
「誓って、一切無かったわ。嫌がらせとして毎朝首元にキスマークを付けられはしたけど…ほんとに意地悪だったな、あの頃の隆紫は。あたしは一日も早くここを出て行きたいと願うばかりだったわ。もし今もあの頃のままで、あたしに隆紫を嫌う気持ちを持たせることができるとするなら、手段を選ばないで無理矢理に襲われたかも知れないけど…」
「…仮に襲って嫌われようとしても、今度は櫟さんが悲しむから、それは無いんじゃないかなっ?幸せになるどころかもっと不幸になるわけじゃないっ」
「…それもそうね。そろそろ朝食ができるわ。テーブルの椅子に座って待ってね」
あたしは隆紫を呼びに二階へ足を運ぶ。
「おはよう、真弓くん」
「おはよう…なんだか妙な気分ねっ。朝起きてすぐに明先さんの顔が見られるなんてっ」
「あたしは片付けがあるから、早く召し上がれ」
隆紫を席に着かせて食べるように促す。
体育祭実行委員の仕事以外では口を利かない、と言われたあたしだけど、この朝食では何気ない会話に花を咲かせた。
「それじゃ、洗濯物は乾いてるから着替えてね。あたしはまだリビングで仕事があるから降りてるわ」
パタン、とドアを閉めて一階へ降りる。
「何よっ…下着まで全部きっちり洗ってくれちゃってっ…」
つぶやきつつ、昨夜に借りた寝間着と下着を全部着替えることにした。
「そろそろ登校よ。行きましょう」
制服に着替えたあたしは、真弓さんを誘って登校することにした。
「待って、今行くっ」
そんな姿を、隆紫は
「ほう、茜様は御学友の方とご一緒ですか。あちらの御学友はいつぞやの…」
「そうだ。誘拐事件の時に僕が探していた人だ。すれ違いがあって茜を嫌っていたけど、ひと晩で打ち解けたらしいな。やはり一緒の部屋にしたのは正解だったな」
「明先さんはここから車なんですねっ」
黒塗りの胴長な車を見て、物珍しそうに眺めている。
「そうよ。けどあたしより遅く登校するの。途中で仕事してるんじゃないかしら?」
「本当に忙しいんだっ…」
「それで真弓さん、今夜はどうするの?また泊まるなら歓迎するわよ」
「ううん、泊めてくれてあり…って、これは明先さんに言うことよねっ。朝食、美味しかったっ。いつまでも厄介になるわけにはいかないから、帰ったら親を説得してみるっ」
「ふふっ、うまくいくといいわね」
あたしは真弓さんにニッコリと笑顔を送る。
それを見ると、何かを思い出したかのように、プイッとそっぽを向いていた。
少しは認めてくれたかな?
翌日
「明先さんっ、わたし…あのバイトを続けられることになったわ」
「そうか。働きやすいって言ってたもんな。よかった」
「それと…櫟さんっ…」
何か照れた様子で言いづらそうにしている。
「ありがとっ」
ボソッとこぼして、そっぽ向いてしまった。
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