第24話:ばい・あぷ(Vitality up)
8月。夏休み本番。
しかも
隆紫の取締役仕事も一段落して、二人一緒の時間をたっぷり取れるようになった。
二人で海に行って、波打ち際でキャッキャと水を浴びせ合ったり、夜の縁日では浴衣を着て屋台で買った味の濃い食べ物を「しょっぱいね」と言って少し困った色を笑顔に含めて、打ち上がった見事な花火を並んで見上げる。
山にハイキングやキャンプしに行って、ちょっと危ない目にあいつつも隆紫に救ってもらって急接近。
夜は草原に二人寝転んで空を見上げて、星座を指差しながら神話のエピソードを交えつつ愛を語らい、ふとぶつかった視線を逸らすことができず、初めてのキスを済ませ…お互いにかけがえのない人だと確かめ合う。
そうしてしばしのバカンスから帰って離れへ戻ってきた頃には、目の前にいる愛する人の全部が欲しいと思うようになっていて、住み慣れた愛の巣で初めての夜を共にする…。
…なんてことは一切なく、夏休みはあっという間に終わった。
「今日も暑いね
「ちょっと待ったー!なんで!?なんで何もなく終わったのー!?さっきの回想シーンは一体何ーっ!?」
水筒に入れた麦茶を片手に、挨拶代わりの問いかけをするあたしへ、髪を逆立てる勢いでツッコんでくる薫。
「だって隆紫、仕事で毎日缶詰になってたんだもん。さっきのはあたしの妄想よ」
そう。
8月になれば時間が取れると言ってたけど、朝に緊急連絡が入ってきては猿楽さんの運転する車に乗って
それも毎日。
せっかく付き合い始めたというのに、隆紫の夏休みはほとんどを仕事に奪われてしまった。
一人で離れにいても仕方ないから、その日のノルマとしている掃除をして、空いた時間は実家に行って過ごした。隆紫には前もってそう断っておいた。
両親はあたしがメイドとして働いてることをあまり良く思ってなかったけど、前と何ら変わらないことだから、と納得してもらった。
仕事でもお世話になってる相手だから、滅多なことは無いだろうと自分を言い聞かせるような素振りも見せていた。
「そっかー、そう簡単には仕事から開放してもらえないかー」
「付き合っていても、こうなることは分かってるつもり…だけど…」
「頭ではわかっててもつらいよねー」
「うん」
「おはよう諸君」
隆紫が教室に入ってきた。
朝も食事を一緒にしたけど、明らかに疲弊している。
あたしはお嬢様口調をやめた。隆紫も気取った王子様口調はもうしていない。
それを差し引いても以前のような覇気がない。
「茜、おはよう」
「おはよう、隆紫」
挨拶は離れでもう済ませているとはいえ、同居していることは内緒だから、朝の挨拶は二度することになる。
お互いにあまり干渉しないよう心がけてるけど、宿題はやったのかしら?
それぞれの授業開始は、挨拶代わりの宿題回収だったけど、隆紫はきっちり宿題を片付けていた。
いったいいつやったのよ…。
まさか毎日夜遅く帰ってきて、それからやってたの?
こんな生活を続けてたら本当に体壊しちゃうよ。
隆紫は仕事を、あたしに決して手伝わせてくれない。
だからせめてできることをやると決めた。
そのために調べて取り寄せたものがある。
「ねえ隆紫、今夜は帰ってこられそうなの?」
放課後になり、並んで学校の外で待っている車に行くまでの間で会話をしている。
「わからんが、夜八時くらいにはなりそうだ」
「晩ごはんって仕事の間に食べちゃうの?」
「どうした急に?」
「あたしも少しは隆紫のメイ…」
慌ててあたしの口を塞ぐ隆紫。
「バカッ、うかつなことを口走るな」
こそっと怒られてしまう。
「あ、そうだよね…」
「わかったよ。早く帰るようにするから待ってろ」
「うん、約束だよ」
にっこり笑って車に乗り込む。
あれから、あたしたちの関係は自然に広まっていき、半ば公認のカップルになっていた。
主人とメイドという関係はもちろん秘密。
少し心配していたけど、薫も真弓さんも一つ屋根の下で暮らしていることを誰にもバラしてない。
真弓さんとは気まずいままだけど、普通のクラスメイトとして接している。
掃除をしながら、いろいろなことに思いを馳せる。
夕食にする時間を逆算して、そろそろ食事の支度を始めることにした。
「隆紫には、元気になってもらわなきゃ。腕によりをかけて料理作ろうっと」
こうして料理していることが幸せなんて、思いもしなかった。
これまでずっと隆紫のことを嫌っていたか、振り向いてくれなかったか。
今はこうして心が通じ合って、とても満たされた心地になっている。
「ただいま」
夜7時ごろになって、隆紫が玄関に姿を現した。
「おかえり、隆紫。晩ごはんできてるよ」
「制服はどうにも堅苦しい。着替えてくるとするよ」
「うん」
「で…茜、お前一体何を作ったんだ?」
久々に笑顔で食卓を挟んで、美味しく食べた後に隆紫から出た一言だった。
「隆紫が元気になる料理だけど?」
見ると食べ終わってもなお席から立とうとしない。
「もしかして、美味しくなかった!?」
「いや、味の問題じゃない…いつもながら美味しかった。だから余計残念なことになっている」
言ってる意味がわからない。
「あっ、お腹下しそうなの!?傷んでる食材は無いって確認したんだけど!?」
「…その食材は何を使った?」
「えっとね…卵、豚肉、うなぎ、アボカド…ソースには朝鮮人参、ニラ、にんにく、牡蠣、マカ…ポタージュはお芋、スッポンやマムシのエキス…それとね…」
大きめのお皿に色とりどりで一人分ずつ盛り付けして出したから、食材は多岐にわたる。
「元気になる食べ物ばかりを集めたんだ。ね、元気になった?」
久々に隆紫のため腕を奮って食事を作れた喜びで、にぱっと笑顔を向ける。
「………ああ、このまま席から立てないくらいにはな…原因が分かってよかったよ」
なぜか恨みがましい口調で答える隆紫。
「えっ!?席から立てないって、そんなに疲れてるの!?大変!すぐ横になったほうが…!」
「だーっ!!もういいからお前は片付けしてろっ!!」
なぜかカリカリして爆発寸前の様子だったから、テーブルのお皿を片付けに入る。
流し台に立ってお皿を洗っている最中に隆紫はコソコソとリビングを後にした。
「どうしたんだろう?」
あたしは首を傾げてつぶやく。
「ったく…あいつは自分のやってることがどういうことか、分かってないな」
部屋に避難した隆紫は、危機から逃れた安堵のような感覚と共に独り言を漏らす。
「なんとかこっちを鎮めないとな…」
「ふう、今日も忙しかったな…」
湯船に浸かって慌ただしかった一日を振り返る。
やっと茜とはお互いに想いを寄せ合う仲になれた。
けどあまりに忙しすぎて、一緒にいる時間をなかなか作れずにいる。
「いや…忙しいなんて言い訳だな…だがあの仕事量はどう考えても多い」
それは無理もない。
学生をやっている傍らで仕事をしているのだから、仕事に割ける時間はたかが知れている。
本来であればゆっくりめにやったとして定時で帰ることができる程度の仕事量でも、隆紫は時間が圧倒的に足りない。
「隆紫、背中流してあげるね」
あたしは意を決して、隆紫のいる風呂場に足を踏み入れる。
「待て!そんな仕事は頼ん…」
「これは仕事じゃないわよ。あたしがやりたいからやるの」
用意していたものを浴室の入り口付近に置いて、椅子をあたしの前に用意する。
「どうしたの?そっぽ向いて」
「どうもこうもない!こういうのは…」
「決めつけてないで、確認してから言ってもいいんじゃない?」
言葉を投げかけると、恐る恐るこっちを向いた。
「水着…か」
安心したような声で返事をする。
「何を想像したのかな?」
「だが、それくらいは自分でやる。だから寝てろ」
「冷たいこと言わないでよ」
結局押し切る形で隆紫の背中をスポンジで優しく流し始めた。
「いつもいつも、隆紫は忙しすぎて一緒にいる時間が無いもの…。こうでもしないとまともにお話すらできないでしょ」
「それはそうと…なんださっきからこの匂いは?かなり花というか甘く粉っぽい感じだが」
「うん、イランイランをベースにあたしがブレンドした特製アロマよ。そこに置いてあるわ」
指差したは入り口あたり。
入った時に置いたもの。
カップキャンドルでエッセンシャルオイルの入った金属のお皿を熱して香りが広がる加熱タイプ。
「ちょっと待て。他には何を入れたんだ?」
「ジャスミンとローズを少々ね。隆紫が元気出るように…」
バシャッ!
「あっ!もったいないっ!」
隆紫は椅子に座ったまま手にした洗面器で、ドア付近に置いたアロマディフューザーのキャンドルにお湯をどっさり浴びせた。
「なんてことするのよ!これじゃもうこのキャンドルは使えないじゃないっ!」
「茜…いいからそいつを早くどかしてくれ」
「でも…」
「いいからそれを脱衣所でも構わないから、浴室の外に出してくれ!」
少し怒り気味に振り向きもせずに言い捨てる。
「もう…せっかく用意したのに、これじゃ台無しじゃないの」
脱衣所に、びしょ濡れのアロマディフューザーを追い出した。
「それと茜、もう背中は流さなくていいから、そのまま出てってくれ」
「そんな…」
「僕のことはいいから早く寝てろ!」
隆紫を元気にしようと張り切ってたけど、なぜか怒り出した。
こうなると何を言っても無駄と判断したあたしは、浴室のドアを開けて出ることにした。
「人の気も…知らないで…せっかく想いが通じ合ったのに、これじゃあの頃と同じじゃないの。あたしがここに来た、あの頃と…」
怒る気はしなかった。
ただ、悲しかった。
想いを、気持ちを拒絶されたみたいで、悲しかった。
水着を脱いで体を拭いて、服に身を包んでバスルームを後にする。
「人の気も知らないで…それは僕のセリフだ…危なかった…こんなの、勢いですることじゃないからな」
顔を赤くしながら、口を抑える。
油断すれば、このまま茜を追いかけてどうにかしてしまいそうだった。
「茜には、しっかり言っておかないとダメか…これじゃ僕の理性が吹き飛ぶぞ」
翌朝
「茜、確認しておくが…今朝の朝食、食材は何を使ってるんだ?」
二人でテーブルを囲んで楽しい朝食となるはずだったけど、なぜか隆紫はどこか警戒している様子だった。
「見てのとおり手作りのサンドイッチと特製ドレッシングのサラダよ?あとハーブティーも用意してるわ」
「…だから、その中身を聞いているんだ」
「パンとハムでしょ。挟んでるペースト状のものは卵とマヨネーズ、冬虫夏草とガラナの粉末。サラダはレタスとトマト、キュウリにカニカマ。ドレッシングは和風に醤油とミリン、お砂糖とお塩と味噌に山芋とスッポンエキス。ハーブティーはムイラ・プアマよ」
言い終わるより前に、隆紫は用意しておいた朝食のお皿を持って冷蔵庫に放り込んだ。
「どうしたの隆紫?」
「…これは今夜食べる。僕は即席麺で済ませておく」
ヒラリとするメイド服に身を包んだあたしは隆紫のところへ駆け寄る。
「そんな、どうして!?せっかく隆紫のために作ったのよ!?」
「お前、自分がやってることの意味をわかってるのか?」
「意味…?」
何も思い当たることがなくて、キョトンとする。
「どういうこと?」
はぁ、とこれ見よがしにため息をつく。
「やっぱり分かってなかったか…いいか!?昨日からお前がやってることは、確かに元気が出ることだがな、その元気が出る先は主にこっちなんだ!」
と言いつつ、隆紫はあるところを指差す。
その指差したところを見て、あたしはキョトンとしていた。
数秒考えた後、意味がわかったあたしはボッ!と顔を真っ赤にしてしまう。
「えっ!?えっ!?まさかっ!!?」
「ついお前を襲っちまうところだったんだよっ!!何度必死に我慢したことかっ!!」
「元気になる方法、で調べたのにそういう意味だったなんてっ…!」
もうまともに隆紫の顔を見ることができなくなっていた。
「だからもう、今までどおりの普通でやってくれよ。それに、僕は君が何をしてくれなくとも元気になれるんだ」
「…それって?」
ふわっ、とあたしの体は自分の意志とは関係なく、引き寄せられる力に身を任せた。
ぽふっ
「こうして茜を抱きしめているだけで、十分元気をもらえるんだ」
抱きとめられて、体を包み込むような少しゴツゴツした胸と腕に安心感を覚える。
「うん。あたしもこうして…抱きしめられたい」
ふと、お腹のあたりに違和感を覚えた。
「…こっちが元気になっちゃったの?」
「茜が可愛くて仕方ないからな」
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