第23話:すて・ほむ(Stay home)

「おはよう、かおる

あかねー、おはよー。今度は何があったのー?」

 察しのいい薫は、あたしの変化を敏感に感じ取っていた。

 今日は夏休み期間の登校日一回目。

 薫とは久しぶりの再会だった。

「うん、いろいろあってね…隆紫りゅうじと付き合うことになったわ」

「………マジ?偽装カップルじゃなくてー?」

「マジ。やっと念願がかなった気分よ」

「念願がかなったから?そのふつーな喋り方してるのー」

 そういうところの変化もしっかり気づくのは、さすが薫ってところかな。

「ううん、そういうことじゃないの。あたしが憧れてたお嬢様は、隆紫の姉で麗白ましろさんって言うの。こないだ二人でお話したのよ」

「再会できたんだー?」

「うん。所詮あたしの付け焼き刃じゃ、あの清楚さは無理ってことがわかったわ。麗白さんは上品でお淑やかな振る舞いが幼少の頃から仕込まれた彼女自身の自然な姿なんだって。あたしがいくら憧れていても、そこまでできないことがわかったからお淑やかな振る舞いは諦めて、自然なあたしでいることにしたの」

「うんうん、やっぱそっちのほうが肩肘張らなくていーから印象いーわよ」

 隆紫はと言うと、夏休みで学校に行かない日も明先本社に毎日顔を出している。

 明日から8月に入るけど、やっと仕事が落ち着いてきたから一緒に居られる時間が増える予定だ。

 メイドとして舞い戻ってきたあたしだけど、離れに置いてあった家財は運び出しをせずにそのままにしてあった。

 姉の遺言を見つけた後に猿楽さんから連絡があって、離れへ戻る気になったからそのままにしてもらった。


「おはようっ」

 教室に入ってきた真弓さんが誰にともなく挨拶する。

「真弓さん、ちょっといいかな?」

「………」

 視線をこっちに向けるけど、返事はしてくれない。

 あたしが教室を出ると真弓さんは少し後ろに着いてくる。


「で、何よっ」

 ツンツンな態度で促される。

「伝えたいことがあるの」

「あなた、ずいぶん喋り方が変わったんじゃないっ?」

「これが元々の喋り方よ。あたしが勝手に憧れていた人ともう一度話す機会があってね、無理してることを見破られたからもうあの喋り方はやめた」

 気を取り直して、口を開く。

「あの事件のことは隆紫に聞いたわ。あたしの居場所を探す協力をしてくれて…助かったわ」

 ムッとしたまま口を閉ざしている。

「それとあたし、隆紫と正式に付き合い始めたわ。偽装カップルなんかじゃなくて」

 じんわりと、険悪な空気が漂い始めてるけどまだ言うことがある。

「あと…隆紫のお屋敷で、あたしはまだメイドを続けてる」

 これは隆紫から伝えるよう言われていたこと。

 あたしは言いたくなかったけど、隠すのは恩を仇で返すことだと言われて、納得はしてないけど明かす気にはなれた。

「ふーん、こうして呼んだのは自慢するためっ?」

「いえ、助けてくれた恩として、筋は通さなきゃと思って隆紫と話し合ったから」

 ひた、と真弓さんの目を見つめる。

「まあいいわっ。このネタを学校側へバラしたら面白いことになりそうだし、家でも学校でもずっと一緒にいればお互いに嫌なところがわかって破局も早まりそうだし、わたしにもまだチャンスは残されてるってことよねっ」

 あたしの横を、真弓さんが通り過ぎる。

「言っておくけど、二人の関係は認めてないからねっ。せいぜい奪われないようしっかりつなぎとめておきなさいよっ」

 通り過ぎざまにそう言われて、振り向いて後ろ姿を見送る。


 入れ替わるようにして、隆紫が後ろから来た。

「ちゃんと伝えたようだな」

「うん。でも大丈夫かな…?」

「あいつはあれで面白半分の吹聴はしない。前に話した過去の事故も全部知っていて、それでも誰一人として話はしてないそうだ。口は堅いやつだ」

 横に立った隆紫の手が反対側の肩にぽん、と載せられた。

 頼りがいのある好きな人と寄り添っていたくなって、体を隆紫の方へ傾ける。

「あたし、幸せだよ」

「僕もだ」

「…ところで、気取った王子様口調はもうしないの?」

「してほしいのか?」

「ううん、あたしも素のままで過ごすと決めたけど、隆紫はあたしと違う理由でやめたんだろうなと思ってね」

 キュッと肩を抱き寄せられる。

「あの喋り方で、茜が僕を嫌ってくれればいいと思っていたからさ。女子からも賛否両論だったらしいから、言い寄ってくる人が少しでも減れば一石二鳥だとも思っていた」

「嫌いになんて…ならないよ。だって離れでの喋り方は普通だったもん。意地悪はされたけどね」

「…意地悪か…してたな。もはや懐かしくすらあるね。僕は、茜に嫌われなければならなかった。好かれて、想いを寄せられると余計に辛くなるから…嫌われた方が楽だった。だから、あの事件が解決した時の悲痛な告白は…いっそ死んでしまいたくなるほど辛かった…。他にも、辛く当たったことがあったけど、嫌われようと必死だったんだ」

「…そろそろ教室に戻ろう。隆紫」

「ああ」

 もたれかかるのをやめて、教室へ歩き出す。


 あれから、夏休みに入ってから、隆紫とは離れで色々教えてもらった。

 学校でも散々仕事していたのは物流拠点の全国展開着工遅れや手配ミスなど、様々な事故が発生していたかららしい。

 やっと最後の拠点が正常稼働を始めたから、これで隆紫の仕事は落ち着きを取り戻す見込みだということまで聞けた。

 あたしの両親もこのことには関わっていて、けど重要な判断は隆紫に一任されているため、両親は展開済みの拠点を取りまとめることに集中していた。

 拠点設置の手違いを起こして手薄だった拠点周辺地域に臨時の仮拠点を作り、手作業で仕分けや配達をしていた現場の苦労もあったそうだ。

 朝ごはん、居る時は昼ごはんと夜ごはんも二人でおしゃべりをしながら食事をすることができて、味気なかった一人ごはんの時からは今の状況が想像もできなかった。


 登校日は早々と放課後になり、校舎がざわつき始める。

 周りから見ていても、あたしたちはしっかりカップルに見えるらしく、隆紫狙いの女子たちがにわかに騒がしくなっていることなど、知る由もなかった。


「ねぇ、あの明先さんが同じクラスの女子と付き合い始めたって本当?」

「その噂、マジらしいよ」

「せっかくの超優良物件なのに、先越されちゃうなんて悔しい!」

 女子たちが集まって、ざわついている校舎の喧騒を盛りたてんばかりに声を出して参加していた。

「付き合ってる相手って大したこと無いんでしょ?締め上げて別れさせよっか」

 好き放題言ってる人たちの声が耳に入って、足を止める一人の女子。

「なら聞くけどさ、仮にあなたたちの誰かが明先さんと付き合ったとして、恨みっこなしで祝福できるのっ?」

 話に割って入っていったのは真弓だった。

「なんだお前?いきなり割って入ってきて何様のつもり?」

 突っかかってきたのは気が強そうな女子だった。真弓の前に立ちはだかる。

「あなたでいいわ。仮にあなたが明先さんに選ばれたとして、他のみんなは無条件に祝福できるっ?」

 五人いるうちの四人に視線を送る。

「できないわよねっ?なら誰が選ばれたら祝福できるのっ!?納得できるのっ!?」

「……………」

 誰も返事をする人はいなかった。

「わたしだって祝福したくないわよっ!明先さんにわたしが選ばれたとして、されるとも思ってないっ!けどね…」

「うるさいんだよ部外者が!あっち行ってろ!」

 気の強そうな女子が右手を真弓に向かって振りかぶる。


 パァンッ!


 髪を乱して、その右手を顔に受けた。

 じんじんと痛む頬を抑えて、叩いた人を睨む。

くぬぎ…さん…?」

 とっさに間へ入って、真弓さんの代わりにあたしは平手を受けていた。

「なんだこいつ。そいつの仲間か?」

「…あたしが…あたしが…その明先隆紫の彼女よ。言いたいことがあるならあたしに直接言いなさいっ!」

 わずかにたじろぐ女子たち。

「隆紫が…これまでどれだけ悩んできたか知らないでしょ!?あたしだって知らないわよっ!一人で抱え込んで、自分で解決しようとして、決して一生報われることのない努力に一生を捧げると決意して、それでも必死に自分と戦い続けてきた隆紫の気持ちなんて、あなたたちに分かるのっ!?」

 騒ぎになり始めたことを察した他の生徒たちが、次第に廊下で輪になり始めていた。

「…ただでさえ苛ついてるのに、余計イライラするわね…彼女だからって調子に…」

「乗るのはそこまでにしてくれよ」

 あたしの胸ぐらを掴まれたところで、輪に入ってきた一人の男の子。

「隆紫…」

「急に走り出して何かと思えば、こういうことだったのか。茜」

 突っかかってきた女子は慌てて掴んだ手を離して、しおらしい仕草をするものの、隆紫の目は冷たい。

「人の彼女に手を上げたのはどういうことか説明してもらおうかな」

「いえ…その…これは…」

 言葉に詰まる気の強そうだった女子。

「僕の彼女が言ったとおり、僕は一生誰とも付き合わずに棺桶までを覚悟していた。けど、そんな僕を変えてくれたのは他ならない彼女だった。君は、そこまでやりきる気持ちはあったのか?どれだけ辛い思いをしても、諦めずに僕と関わり続けることができたのか?気持ちが届かない、と何度も諦めていたはずだ。そのたびに彼女は奮い立ち、僕が変わるきっかけを勝ち取った。そんな強さを、君は持っているのか?」

 名前も知らない目の前の女子たちうつむき加減で目を逸らす。

 さっきまでの勢いはもう見る影もない。

「もう、こんなことはしないと約束してくれるか?」

「…はい。約束します」

 最後はすっかりしぼんでしまった様子で、すっかり見物人の輪になった人の壁を押し割って姿を消した。

「はい、これにて一件落着。解散だよ」

 パンパンと手を叩いて隆紫が人だかりの輪を散らし始める。

 蜘蛛の子を散らすように廊下は再び行き交う人の波が戻っていた。


「お礼なんて…言わないからねっ」

 あたしは真弓さんを見る。

 複雑そうな顔をしたまま、そこに立っていた。

「真弓さんって、ああいうのが許せない人だったんだね」

「だって、頭くるじゃないっ。ただ外野から見ているだけなのに、思いどおりにならないと無責任に文句を言う身勝手さがっ。当事者にしかわからない事情も知らずに言いたい放題言われてるなんてっ…すごく気分悪いっ」

「…結果的に約束を破った形になっちゃったけど、あたしは真弓さんがそういう人でよかったと思ってるわ」

 ふわっと微笑んで、でもお礼や謝辞は言わない。

 真弓さんが惨めになってしまう気がしたから。

「二人の間に…あんなことがあったのを知らなかったら…こんな風には思ってなかったかもっ…」

 隆紫から、真弓さんにはあたしたちのほとんどを喋ったと聞いている。

 隠せば広くバラされるのは確実だったから、事情を説明して内緒にすることをお願いした、とも。

「言っておくけど、わたしは認めてないんだからねっ。あと軽々しくわたしに声をかけないでよっ」

「ふう、仕方ないわね。もう少しお話したかったけど、やめておくわね」


「まさか茜が真弓をかばいに行くとは思わなかったよ」

 校舎を出るため、昇降口に向かって二人で歩いていた。

「だって…真弓さんの気持ちを考えたら…つい体が動いちゃって」

 あたしはまだ真弓さんがどうして隆紫を好きになったかは知らない。

 けど、好意を隠さず向かっていく姿を見て、一番近くに居ながら近づくことを恐れていたあたしが情けなく感じていた。

 結果的には、あたしが隆紫に好意を寄せるほど、隆紫を苦しめる結果になっていたとはいえ、勇気を出さかったことに変わりはない。

 傷つくのが怖かったから。

 傷つくことを恐れて距離を取っていたあたしと、傷つくことを恐れず近寄っていた真弓さん。

 傷つかないよう、恐れて逃げたあたしが隆紫の側にいて、傷ついても諦めなかった真弓さんが隆紫の側を離れることになった。

 その気持ちを考えたら、真弓さんが言い合って危なくなったところを放っておけなくなった。

 けど、あたしは真弓さんにお礼をいうことも、謝ることも許されない。

 それが真弓さんを傷つけることになるから。

 でもお話はしたかった。

 それを真弓さんは望んでいないから、あたしはただその意志を大切にしてあげることくらいしかできない。

「ところで隆紫は、本当に来月…というか明日から時間取れそうなの?」

「ん?ああ、ここしばらく働き詰めだったからな。おかげで今後は在宅勤務でなんとかなりそうだ。今日も会社には行かなくて済みそうだ」

「そう…」

「このままどこか行こうか?」

「ううん、今日は疲れちゃったから部屋で休むわ」

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