第22話:かむ・ばく(Come back)

 隆紫が今までひたすら隠していたであろう、過去の話を聞くことができた。


 まさか…そんなことがあったなんて…。

 だから隆紫りゅうじは、話せなかったんだ…。

 それで、罪の意識を感じているんだ…。

 自分が運転手を脅迫して無理に急がせたタクシーが原因で、姉が帰らぬ人になってしまったから。

 やっと…やっと疑問の多くが一つの線でつながった。

 話す勇気が出せなかったのは、あたしが隆紫を姉のかたきと思ってしまうことを恐れていたんだ。

 確かに…これは話すのに…勇気がいるわね…。

 こんなことを隆紫はずっと一人で抱え込んでいたんだ。


 でも、だったらなんで、これを話した後にあたしの気持ちを受け入れてくれるかという問いかけに答えてくれなかったのか。

 その疑問はまだ残っている。

 少し気持ちの整理をしたくて、今日は隆紫と顔を合わせず話もすることなくベッドに潜り込んだ。


 朝になってもまだ晴れない疑問がモヤモヤしていて、隆紫と話をしようと決意した時にはもう放課後だった。


「隆紫、ちょっといい?」

 めんどくさそうな顔をしつつも、あたしについてくる。

 話がしやすいひと気の無いいつもの場所で足を止めた。

「何の用だ?」

「高校二年生にして明先ロジスティクス取締役のあなたに、あまり時間を取らせるつもりはないわ」

 目がピクッと動いたのをはっきり見た。

「…なぜ…それを…?ホームページでも見たのか…?」

 はっ!

 そういえばホームページには役員の名前って載ってるわよね…。

 すっかり見落としてたわっ!

「昨日…あなたの姉、麗白ましろさんに聞いたの」

「あいつ…戻ってきてたのか…」

「あたしと会った後すぐに発ったみたいだけど。事故の件も、あたしの姉のことも、全部聞いたわ。それでもまだ晴れない疑問があるの」

「あいつ…全部喋ったのか…」

 苦虫を噛み潰したような顔をする隆紫。

「僕を…恨んでる…よな?姉を殺してしまった…僕を…」

「恨んでないわ。話の内容は多分、隆紫が真弓さんに話したことと同じだと思う。でもまだわからないの。どうして、あたしを専属メイドにしたの?」

 いまだ、口を開く様子を見せない。

「あたしは怒ってるんじゃない。どうしてあたしなのかを知りたい。姉の件は不幸な事故だった。姉を失った悲しみも大きかった。けど隆紫は必死にあたしたちをすくい上げてくれた。けど、だったらどうして、あたしを…」

「お前は…茜の笑顔は、僕が守ると決めたからだ。だからいつも目の届く側に置くため、融資に必要なかったはずの追加条件をつけたんだ。専属メイドという条件を」

 あたしはハッとなる。

「だがそれと、茜と時間を共にすることは別だ。僕は君の姉を殺してしまった。その罪は僕の一生をかけてつぐなうつもりだ。君の側にいて、守り抜くため…幸せにするため…」

 バカよ…あなた…。

「………幸せにしたい…よく言うわよ。隆紫…あたしが今、一番不幸に思ってることって何だと思う?」

 再び隆紫は口を閉ざす。

「あなたに…隆紫に…振り向いてもらえないことよっ!」

 わかっていた、と言いたげな顔でそっぽを向く。

「どれだけ待てば、振り向いてくれるのっ!?」

「僕が…君の姉を差し置いて…幸せになってはならない」

「あたしを幸せにするんでしょっ!?あなた無しでどう幸せになれって言うのよっ!姉が、それを望んでいたとでもいうのっ!?」

 目に涙を浮かべながら、あたしは必死に食い下がった。

「もう、君と話すことは何もない。僕の一生をかけて君を守りぬく意思に、何も変わりはない」

 隆紫は背を向けると、振り向きもせずに遠ざかっていった。

「…ほんと、姉弟きょうだいそろってそういうところもそっくりよね。自分が決めたことをかたくなに守り抜く…単に石頭なだけじゃない」


 翌日。

 それは休みの日、午前中のことだった。


 コンコン


 ふと、ドアがノックされる。

「どうぞ」

 ドアが開けられ、屋敷の庭でたまに見かけるけど名前を知らない人が姿を現す。

「茜様、これまでお疲れさまでした。本日付けをもってあなたの侍女メイド仕事は任を解かれました。荷物をまとめて退居してください。お部屋の家財返却は別途配送致します」

「どういう…こと?まさか隆紫…様の機嫌を損ねたからですか?」

「違います。あなたをメイドとして迎える条件が解消したからです」

「まさか…」

「はい。櫟家に融資した借金の完済を昨日、確認しました」

「そう…」

 まさかこんなにも早く麗白さんから慰謝料が支払われたなんて…。

 それも融資分を賄える額で…。


 嫌だった。

 最初は隆紫の世話をすることが。

 けど今は隆紫の側にいることができないのは…嫌。

 でも…これであたしと彼をつなぎとめるものは無くなってしまった。


 挨拶は不要ということで、あたしは屋敷を後にして、かつては戻りたかった自宅に帰ってきた。


「おおぉぉっ!茜ぇぇ!!無事だったか~っ!」

 お父様の鬱陶しいくらい熱烈な歓迎を受けて、けど素直に喜べなかった。

「仕事はどうなったの?」

「やっと落ち着いてきて、安定軌道に乗ったよ。本当に苦労かけたね~!そういえば慰謝料と称して、とんでもない額が振り込まれてたけど、茜は何か知ってるか?」

「…実は」

 麗白ましろお嬢様から聞いた話を聞かせた。

「そうか…妙だとは思ったんだ。なぜ明先グループ入りの話が向こうから来たのか…けどこれで疑問が晴れたな」


 両親と事件ゆうかいのことを含めて全部話した。

 そして戻ってきたあたしの部屋。

 家財はまだ運ばれてきていないから、ガランとしていた。

 何もかも、懐かしい感じがしている。

 これからはここで生活していくんだ…。

 念願の実家に戻ってきて嬉しいはずなのに、なぜか心は浮かない。

 理由はわかりきっている。

 愛する人が、ここにはいない。


 姉の部屋に足を運ぶ。

 両親は多忙を極めたせいか、病院で受け取った遺品すら机に置かれたままでホコリを被っていた。

 もう誰も使うことのない部屋は、あの日から時が止まったまま、まるでタイムカプセルのように変わらない光景が広がっている。

 バッグを開けると、プレゼンテーションで使うはずだったであろう資料が目に入ってきた。

 仕事を手伝うようになった姉は、仕事の鬼と化していた。

 他のことに気を遣う余裕も無かったように見える。


 パラ、パラと資料に目を通す。

 もう二度と使われることのない資料。

 姉は一家を救うために奔走していた。

 いや、あたしたちの一家だけじゃない。

 従業員すべての生活をかけて、その身を捧げてきた。


 ヒラッ


 ふと、資料の間から折りたたまれた紙が床に落ちて、ホコリが舞い上がる。

 舞い上がったホコリは、窓から差し込んでいる朝日に照らされてキラキラと光る。

 落ちた紙を拾って確認すると…


『隆紫くんへ』


 と書かれていることに気づいた。

 この筆跡…かなり崩れてるけど、字の癖などは姉の筆跡そのものだった。

 紙を広げて、中を確認する。


 ポタッ…


 気がついたら涙を流していた。

「…お姉ちゃん…こんな状態になっても…あたしのことまで…」

 あたしは姉が残した紙を持ち出して、大切に封筒へしまった。


 翌登校日


「隆紫、ちょっといい?」

「どうした。困り事か?家具類なら運び出しの準備を今頃しているはずだ」

「いいから来て」

 呼び出して、周りに人が居ないことを確認してから、昨日見つけた姉の手紙を封筒ごと渡す。

「何も聞かずに、これを読んで」

「ったく何だよ。一方的で生意気だな」

 不満そうな顔をしつつも、封筒から紙を出した瞬間に隆紫の顔がこわばった。

「それは姉の遺品から出てきたものよ」


 読み進めていくうちに、隆紫の手は震えだして、やがて声と共に涙を流し始めた。


 姉の遺言。

 体の自由が利かない中で、必死に書いたであろう手紙。

 痛みがひどかったのか、崩れたひらがなばかりで書かれた、悲痛さを禁じ得ないプレゼンテーション資料の裏に書かれた直筆。

 内容は適宜漢字に直して書くと、こうなる。


 -------

 隆紫くんへ


 麗白さんから連絡を受けて、今日会えるのを楽しみにしていました。

 けど意識が薄れる中で事情を聞いて、急ぐあまり取り返しのつかないことをしてしまったことを後悔しました。

 私は私の体をよくわかっています。

 誰かに言葉で伝える時間はもう残されていませんので、こうして手紙を残します。

 以前から姉にあなたのことをよく聞きました。

 実際に同席した時の印象もよくて、とても頑張り屋で、プレッシャーにも負けないひたむきさは、私にも痛いほど伝わってきます。

 あなたは妹の茜と会話したことがないでしょう。

 けどあなたの頑張りをみれば茜はきっとあなたを気に入るはずです。

 この事故は私の無理な横断が原因です。あなたに責任はありません。

 もし茜があなたを気に入ったら、妹と時間を共に過ごして幸せにしてあげてください。

 あなたが責任を感じているなら、私より妹の気持ちを大切にしてほしいのが、私の勝手なお願いです。

 先立つ不幸をお許しください。

 -------


「う…うわああああぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 泣き崩れた隆紫につられて、あたしも涙があふれてとまらなくなる。

 隆紫は手紙を握りしめ、泣き崩れたのをあたしが胸で受け止める。

 姉は、最後の最後まで、どこまでも姉自身以外のことばかり優先して、あまりに短い時間を必死に生きてきた。

 死ぬ間際まで…ずっと…。

 手紙に書いてあった日時は、姉が息を引き取る1時間前だった。

 そしてあたしたち家族が駆けつけたのは、その30分後のこと。


 その日は、お互いに口を開けばまともな会話になるより前の段階で涙声になってしまったため、話をすることなく帰った。

 今日起きたことを思い返しては、目の前がゆらゆらと波打つ水面を見ているかのような光が差し込んでくる。


 翌日


 いつもと変わらない朝がやってくる。

 身支度を整え、登校する。

 今日は一学期の終業式。

 どことなくあたしを避けるようにしている隆紫を視界の端に捉えながら終業式を終えて放課後になった。

「茜…少し、話がある」

「隆紫…うん。あたしも…」


 屋上へ出て、背を向けたままの隆紫が口を開く。

「茜…昨日はみっともない姿を見せてしまったな。かっこ悪かったろ」

「ううん、自分をさらけ出した強さがとってもかっこよかったよ」

 少しくすぐったそうな顔をこちらに向けて話を続ける。

「君の大切な…姉を、家族を…僕が殺してしまった。家族を失った櫟家へ、せめてもの贖罪しょくざいとして、茜を悲しませてしまった報いとして、僕が幸せになってはいけないと…自分を縛り上げてきた」

 体をこちらに向けて、数歩歩み寄って向かい合う

「でも、間違ってたんだね。とても強い君の姉は、茜の幸せを誰よりも望んでいた。僕が幸せになってはならないなんて、とんだ思い上がりだった」


 びゅおおおっ!


 風が通り抜けて、あたしの髪やスカート、隆紫の制服を激しく揺らす。

「あんな遺言を書かれちゃ、応えないわけにはいかないよな」

 半歩だけ歩み寄ってきて

「まだ、茜が僕のことを想ってくれているなら、その気持ちに応えたい。主人とメイドなんて関係じゃなく、対等な男と女として…共に気持ちや時間を共有したい」

 柔らかい視線を向けてくる隆紫。

「好きだ。茜」

「うん、あたしも…隆紫が好き」

 ぽすっ、と胸に飛び込んで、やっと…やっと気持ちが届いた充実感を噛み締めていた。


「おかえりなさいませ。隆紫様」

「ああ、ただいま」

 いろいろありすぎて、ボーッとしたままはなれに帰った。

「ずいぶんとお疲れのようですけど、ご要望などありましたら何なりとお申し付けくださいませ」

 隆紫は迎えのメイドにかばんを手渡す。

「ああ…って待て。いつ僕に新たなメイドが…」

「なんですか?」

「………」

 口をあんぐりと開けたまま呆然と立ってあたしを見ている。

「茜っ!?なぜここにっ!!メイドはもうやめたはず…」

「ご紹介いただき、融資の条件ではなくて、正式に雇われのメイドとして引き続きお仕えすることになりました。これからも誠心誠意、真心で隆紫様にお仕え致します」

 あたしは深々と頭を下げて、隆紫を見つめる。

「ふ…ふふふ…猿楽さるがく!お前の仕業だなっ!?」

 隆紫の後ろに控えていた執事の猿楽に突っかかる隆紫。

「はて、存じませんが。茜様がメイドの任を解かれて、坊っちゃんがいたく落ち込んでおられたことなど…」

 すまし顔をしている彼だけど、口調は明らかにわざとらしい。

「猿楽!お前なぁ…!」

 二人の漫才みたいなやりとりを、あたしは微笑みながら眺めていた。

 薫に言ったことは実際に起きた。

 隆紫の側にいられるのはせいぜい一週間程度だ、と。

 けどこうして再び隆紫の側に居られる。

 愛する人と、一緒に。

「これからもよろしくね。隆紫」

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